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ヤドカリ放浪記2024〜新見-真庭編〜

5月11日
7:17
城山公園

嫌な夢を見た
俺が別府で店を開き、働いてる夢
それにしてもガッツリ寝た
此で寝不足は解消された筈
とりあえず城山公園を登ってみる
鬼の像が立っていた

どうやら新見は鬼だらけの里らしい
さてちょいと目的地へ向うにはまだ時間が早いので少し辺りを散策してみる
7:30
思誠小学校

新見市立で通称・思誠校
体育館が白壁造りで立派な造り
その横の門は何かしら歴史を感じる
此処が新見陣屋城跡なのか?

後にその門は鳳凰門と呼ばれる門で1755年に創立された新見藩校の思誠舘時代の門を現代に復活させたものらしい
その先には『丸川松隠と思誠舘』なる説明書きがあった

丸川松隠なる人物が新見藩の藩校思誠館に招かれて、1793年から一七年の間、多くの人材を育てた上、藩校の脇を流れる風木谷の川底を石畳に、そこに石垣を造るなどの功績を残した人物らしい

そんな藩校時代の名残が所々に見られる小学校
7:38
D51879車輪

思誠小学校創立百周年記念設置
1944年に日立汽車会社で造られ、富山や熊本で活躍
1965年に新見へ移され、伯備線で更に活躍し、市原D51三重連では、その名を全国に知られたが1971年ついにその役目をこの地で終えた
その年はたまたま本校創立百周年に当り、その逞しさと忍耐力にあやかり、あえて永くその偉業をこの地にとどめる
との事
7:40
新見陣屋城跡

津山藩主・森長継の六男で宮川藩主・関長政の養子となって家督を継いだ関長治によって築かれた
以降、関氏が九代続いたが明治六年てに建物は払い下げ取り壊された
陣屋跡は学校や製鉄所として利用され、現在は思誠小学校が建っている
小学校と高校の間に石段と石垣が残っているらしいが見付けきらず…
7:42
丸川松隠碑銘

思誠小学校体育館上の丘に立っている高さ三.六㍍もある巨大な碑
1929年に新見阿哲の有志が建立した物
松隠の盟友・佐藤一斎の撰文が彫り込まれた石碑らしい
7:48
えびす神社

由緒不明
黒住教新見教会所の境内の一画に祀られていた
えびす神社がメインじゃなかったのね
怪しいのですぐに出た
7:50
御殿町

予備知識無く訪れた新見市街地
朝散歩してたら出くわした街並みで江戸時代に初代新見藩主・関長治候によってつくられた町らしい
元禄時代には城を造る事ができなかった為、御殿(館邸)を建てた事から現在は新見御殿町と呼ばれている
ご新設に地図があり、意外と見所が多そうだったので街並み散策をする事にした
7:52
石垣と川

関長治侯がこの町を造る迄は高梁川が流れていた場所
消火器庫の裏側に溝が昔の川の岸の跡と言われている
町造りの際、川の位置を変え、現在の松原通りの辺りは川原を埋め立てて造られたた町らしい
そんな川あとと石垣
その横には新見八景の碑が立っている
7:54
三味線横丁

たぬき小路と親しまれてきた小路
この小路には昭和40年頃まで料亭が連ね賑わっていた
明治に入ると石灰岩の資源に富む新見はセメント産業の町として栄えていき、近代化を急ぐ日本の基幹産業としての誇りと繁栄が新見の町を活気づかせていた

そうした時代に出来たのがこのたぬき小路でその賑わいから三味線横丁といわれている
今この三味線横丁には明治の中頃に建てられたと伝えられる建物がいくつか残されている
7:56
津国屋内蔵

津国屋内蔵は1814年の建物で山田方谷が9歳の頃、丸川松隠の家塾で勉強をしていた時代の札座・鉄問屋・造り酒屋
当時津国屋で使われていたものや一間半七社の神棚・酒蔵の鬼瓦・山田方谷の手紙等が展示されている
関重繭史会の看板が出ている
7:57
カツマル醤油醸造

明治32年創業の大正から昭和の初めの建築物
ギャラリーでは四季を通じて色々な作品展を催し、地元特産品等も販売する
レトロな建物の中のモダンなギャラリーはほっと一息楽しめるスペースとして町の交流の場となっている
7:59
御殿町センター

御殿町づくり事業のシンボル施設として旧元福酒造跡地に平成6年に建てられた施設
外観は商家の蔵をイメージし、館内には旧新見藩主関家にまつわる資料を展示してあり、研修室等も兼ね備えている
そんな施設の敷地内には中川博之顕彰歌碑が立っている

ラブユー東京って曲を作った人らしい
ボタン押したけど曲は鳴らなかった
8:03
田原屋

明治時代の建築物で海鼠壁が当時の商いの凄さを思わす
塩干物、酒や度量衡器販売、衡器修復等の商いをしてきた田原屋は現在西方でお酒の卸をしており、塩干物はニコー産業へ引き継がれている
今も度量衡器販売所と衡器修復所の看板は見れる
8:05
かつみ屋

此処は他の建物みたいに由緒がある訳ではない
しかし昭和の頃から存在してそうな日用品・食料品販売の個人商店
まだ営業しているのかは不明
この後、開店するかもしれないし、しないかもしれない
コカコーラにペプシのホーロー看板が味がある

8:06
児玉邸

昭和の戦前まで置屋料亭として栄えました元料亭 梅屋
戦後、児玉氏が買い取り、民家として使われてきたが当時の面影を今も伺う事
ができる
二階に上がる階段は客用と仲居用と相対して造られており、部屋回りは全て廊下つづき
期間限定で建物内見学可能らしい
8:12
元大阪屋旅館別館

明治から昭和30年代まで料理旅館をしていた旅館別館で昭和の初めの建築物
床柱の黒柿も今に残っている
当時の政財界人が多く訪れ、厚生大臣を務めてた橋本龍伍もよく泊まっていたらしい
8:14
太池邸

近代新見地域の商業の中心地として栄えた中町界隈にあって、その中核的な商家の一つ
明治末期の建物で新見初の百貨店として呉服をはじめ、色々な商品を扱っていた
現在は新見市が借り受け、交流拠点施設として活用
腹がグルグルなる💦
8:16
高梁川

高瀬舟発着場跡
新見河岸は本町の裏と真福寺裏にあった
この河岸の石組みは水谷巻という独特の組み方で350年以上経った今でも余り崩れておらず、三日市ケレップと呼ばれている
ここから新見藩のみならず備中北部の天領や松山領を含めた地域の鉄及び産物の大部分が積み込まれていた
新見河岸から出る高瀬舟は三と八の日に月六便、朝八時出発で高梁一泊後、二日で新見へ帰っていた
玉島へは往復で一週間と決めら、通行料は現在のお金で三〜四千円位だった
8:18
真福寺

高梁川を背に鎮座する備中西国観音霊場九番札所
浄土宗の寺院で此処には新見庄三日市庭跡が残っており、鎌倉時代から既に市庭(市場)が開かれていた
当初は高梁川の中洲にあり、高瀬川舟運が発達すると高瀬舟の発着場として物資が集積され毎月三の日には市場が開かれ周辺地域から多くの人達が集まっていた
又鎌倉時代後期から戦国時代には新見庄と呼ばれる京都東寺の荘園で地頭の力が台頭してくると度々利権争いが起こった
そんな地(´・ω・`)
8:22
林邸

江戸時代の醤油屋で屋号は金川屋
江戸からの佇まいを感じられる建物
内部見学は出来ない
8:24
金村屋麹店

江戸時代は酒屋
屋号は金村屋で現在は麹屋として現役
天井が低く、歴史を感じさせる建物
児玉邸同様、期間限定で建物内見学可能らしい
ここの外観を見た後、鳥の小便が手の甲に当たる…
8:25
常夜灯

読んで字の如く、常に夜は灯している巨大灯籠
江戸時代の街灯のような物だろう
特に説明的なものは無かった
8:30
竹井邸

武家屋敷の景観にあわせた昭和初期には珍しい和洋折衷の設計でハイカラな建物として当時評判になり、今に残る建物
8:36
城山公園
新見御殿町散策終了
自販機でピーチスコールを購入して喉を潤す
厠でひと踏ん張りしてスッキリした所で出発
でもまだちょっと早いんだよな〜(^ω^;
9:05
第6高梁川橋梁

高梁川沿いを走ってると、列車が通過
さっき線路で待機してた撮り鉄は此を待ってたのかな?
そんな列車が橋梁を通過するのを走りながらの見た
9:06
絹掛の滝

到着した国道沿いに位置する滝
駐車場に入ると直ぐにその姿を現した
眼前の第一の滝は高さ五十m余りで、上流の中の滝、高さ十二 m、奥の院は高さ二十八mの三段の滝から構成されている
奥の院は滝の裏側から滝しぶきが霧のように降りそそぐ様を見る事ができる
なお絹掛の滝の岸壁の裾に岩屋があり、石仏の不動尊が安置されていることから不動の滝とも呼ばれている
おぉ〜水量は無いものの実に優雅で見応えのある滝だ
一番下流の所に鯉が滝登りしている石像を配置しているのがお洒落

9:12
絹掛の滝不動尊

もと新見藩主関候が高梁川を往来する当時の唯一の交通機関であった舟の交通安全を祈願し、大阪の工匠に依頼し、製作したもの
滝横の岩屋内にお祀りされている

お参り中ずっとお経が流れているのがちょっと不気味であるw
9:21
大月醤油

県道50号線から高梁川を渡った所にポツンと現れた創業明治三八年の醤油醸造場
その味のある佇まいについ立ち寄ってしまった
で店内物色

するとさっき見た列車のラベルが貼ってある醤油…
そんな人気がある列車なの?
特急やくもと云う列車らしい
それはそうと大月醤油
酒も扱っていた
なので店主に色々と話を聞いた
新見市唯一の酒造の日本酒も扱っていたけど此処の商品である醤油アイスを購入する

うん、醤油だった(´・ω・`)
9:34
蒸気機関車D51838

昭和18年に神戸の国鉄鷹取工場で製作されて以来、山陽本線及び伯備線で旅客貨物の輸送に日夜全力を尽くしてきた蒸気機関車
中でも新見機関区での活躍中はデゴイチの愛称で多くのファンに親しまれ、新見市布原地内におけるD51蒸気機関車三重連結の疾走は全国的にも有名になった
またこの機関車は昭和46年4月島根県三瓶山で開かれた全国植樹祭の時に伯備線でお召列車をけん引し、次いで翌47年には岡山交通博にも展示されるなど数々の功績を残している
しかし時勢の赴く所、機関車のディーゼル化電化によって昭和49年2月その役目を終えた
新見市はこの由緒ある機関車を保存して、一般公開し、広く教育資料にする為、国鉄に依頼しました所、昭和49年6月16日無償貸与を受け、ここに展示する事になった
だからゲージで囲まれているのか
9:36
井倉の滝

高さが約70mの滝
この後、入る井倉洞なる鍾乳洞内の地下水を洞外へ排水する為に作られた人工滝である
高梁川に掛かる滝でこの辺り一帯を井倉峡と呼ぶらしい
9:40
井倉洞

県指定天然記念物
高梁川沿いにそそり立つ直立240mの絶壁の壁面に入口があり、永い年月の間に雨水等が浸食してできた全長1200mの鍾乳洞
何気に鍾乳洞好きな俺
久し振りに鍾乳洞を楽しむとします
9:44
入洞

入口から既に清水が滴っている
洞内からは冷気がヒンヤリ
そして入ってすぐに青い照明に照らされた小さな水溜り
冷たくて気持ち良い♪
そして大きな水溜り
橋を渡ると〜
9:47
月ロケット

化粧まわしと同じスポットに名付けられた鍾乳石
青く照らされてる部分がロケットで緑に照らされてる所が噴射してると見なしてるのかな?
それはそうと色々な照明を駆使してるからカラフルな鍾乳洞だ
9:49
ありさの滝

そう名付けられた鍾乳壁
女性的な美しい滝らしい
実際には水は流れていないが、雨が降ると水が流れて本当に滝になるらしい
9:51
登亀

まるで亀が崖を登っている様な鍾乳石
色んな鍾乳石を見てきたが此ほど納得させられる名称の鍾乳石は初めてだw
9:53
黄金殿堂

凄い水の流れる音が響く
少し先に行くと階段
その下に流れている
かなりの水量だ♪
そんな階段から見上げてみるとかなり奥行きのある天井
ベルホールだ
高さは三十㍍あるらしい
9:55
こうもり岩

そんな殿堂の一部
名称の通りだ
その下にはくらげ岩

9:56
金すだれ・銀すだれ

ありがちな石灰幕だ
しかしそのスケールは壮大だ
見応えあるな〜井倉洞♡
9:57
地軸の滝

落差50mの本物の滝
洞内にある滝としては高さ・水量ともに他に見る事のない洞内瀑
探検隊はこの滝の横に木の杭を打ち、足場にして滝の上に登って行き、未知なる鍾乳洞を開拓したらしい
この日の水量はそうでも無いが、滝壺に溜まった地下水は美しい
10:02
地軸の滝上流

昭和35年に調査隊が地軸の滝を登って滝の上に更に美しい鍾乳洞が続いているのを発見し丶此を公開する為に滝の上へ登る人工に造った隧道を登って行くと地軸の滝の滝口に出た
下で観るより水量はあるがそれでも少ない
此処もやはり雨が降ると凄い事になるんだろうな
10:04
水晶殿

思っていたよりは小さなスポット
特にクリスタルな感じはない
だが美しい
この美しさが井倉洞の魅力なんだろう♪
10:06
鬼の手袋

氷柱石が連なって手の形に見える
その大きさはまさに鬼の手袋だね
一寸暑くなってきたので此処で上着を脱ぐ
併し洞内温度九℃
結構ハードな鍾乳洞見学なのだ
10:09
瀬戸の海

田んぼの畔の形状に似てる為、畦石と呼ばれる鍾乳石
リムストーンとも呼ばれる
そんな鍾乳石に囲まれてたリムストーンプール
一円が一杯沈んでる…
ホンマ日本人は馬鹿の一つ覚えみたいに…
10:12
スフィンクス

名も無い鍾乳石からこの赤い照明に照らされたスフィンクス
金網に遮られているし、この名称にイマイチ疑問が持たれる…
10:13
黒い会議

石筍が三つ
その石筍が寄り集まって会議をしている様に見えたらしく、名付けられた鍾乳石
でも黒いって付けなくても良くね?
10:14
三段峡

これは見事なフローストーン
この名称は納得
まるで冬場に凍りついた段瀑
観ていて飽きない自然の芸術だ
10:15
武人の館

黒い会議みたいに石筍があるのかと思ったが違った
そこの説明にはまるで野武士を思わせるようなほら穴と記されている…
どういう意味ですか?
10:16
竹林

それらしく見せる為に照明は緑を当てた石柱群
流石と呼ばれるフローストーンと一緒になった様な鍾乳石だ
10:17
虹の谷

リムストーンの一種かな
三種類の照明に照らされている
かなり水量が多いみたいで静かに見える畦石だが此処から流れる地下水の流れが見もの

そこはフローストーンになっている
此処で八合目
10:18
地獄の釜

雨が降ると水が溜る畦石
地獄と呼ぶには小さ過ぎる
その淵には石筍がブツブツ立っている
10:19
八重の塔

こうもり石や三段峡と同じ氷柱石
上方には石灰幕
一度で二度美味しいスポットだ
そんな鍾乳石に生える植物

たまにこうやって洞窟内で生えている草を見るが素晴らしい生命力だと思う
10:20
とうせんぼう

おそらく井倉洞最大の石筍
まさしく道を遮る二本のとうせんぼう
そのすぐ先の青い照明が当てられてる名もなきスポットの方が素晴らしい
石灰が含まれている様だ
俺は此を白滝と呼ぼう
10:23
白銀の扉

以前は白く輝いていたらしい氷柱石
現在は粘土質の影響らしく他の鍾乳石同様、ありきたりの色になっている
10:24
だるま大師

これほど不気味な鍾乳石は見たことない
見ようによっては確かにそう見えるが、これはもはや人面石💦
10:25
ささやきの間

何故この名称が付いたのか理解不能なスポット
そして鍾乳洞に入って、はや五十分
楽しくて仕方がない♡
10:26
しゅろの柱

階段の途中にあった金網に遮られた石筍
まさに石の筍で姫竹に見えるw
しかししゅろってどう云う意味なんだろう?
10:27
隠れキリシタン(仮)

照明が当てられている名もなきスポット
これもまた立派な石筍だ
まるで洞窟内に祀られているマリア像
なので俺は隠れキリシタンと名付けたw
10:28
月の廻廊

金網されていて見づらい石灰幕
緑に照らされていて少し不気味…
10:29
水衣

壁や床面をフィルム状に流れる水が方解石の層を作り、流れるような模様になる鍾乳石
他の鍾乳石と同様に地下水の石灰分が結晶化する事によって形成されたフローストーン
結構な水量でまるで瓢箪から酒が溢れ出している様
これはもう立派な冷泉だよね♪
10:32
千人坊主

下から伸びる石筍がたくさんの坊主に見えるらしいスポット
そんな石筍より上の石灰幕が珍しかったなぁ〜
此処で九合目
もうゴールは近そうだ
10:33
見返りの池

綺麗だけど…多分鍾乳洞の最終地点を示唆しての名称だろう
手前にも小さな池がある
10:34
無人の広野

金網が遮る緑の照明が当てられたエリア
石筍をサボテンに見立てているらしい
10:36
音の滝

井倉洞ラストスポット
ちょうど鍾乳石の裏に滝があるらしいので見えないスポット
鏡でも置いて反射で見させれば良いのに…
さぁ~此処からは三百㍍下るのみ
相変わらず水の流れる音が響く
ミュージックは流さなくて良い
そんな一時間に及ぶ鍾乳探検
10:45
鍾乳洞出口

地上へ生還
足湯ならぬ足水があったっぽい
恐らく夏季限定なのであろう

井倉洞内から湧出する地下水を利用した足水なんだろう
入ってなくて残念である
10:46
阿里佐の宮

戦国の世、元亀天正の頃、この里に茂作と阿里佐と云う恋仲の若い二人が居た
たまたま高梁松山城主の次女・鶴姫が井倉峡へ紅葉狩りに来た際、その凛々しい美姫の姿に茂作は心を奪われ、自分でも一城の主になれば鶴姫を妻にできると夢を追い、阿里佐を捨て、姿を消してしまった
阿里佐はきっと戻って来ると待ち侘びたが茂作の消息は絶えたままだった
生きる望みを失った阿里佐は井倉峡の舟かくしの淵へ命を投げてしまった
里人は悲恋の乙女を憐れみ、淵の上に小祠を祀り、阿里佐の宮として春秋に祭りをし、今も縁結び様として若い人達の信仰を集めている
鶴姫は後に児島常山城主に嫁ぎ、城が毛利の大群に亡ぼされた時、女軍を指揮して奮戦し自害し、戦国史に女軍の戦いとして勇名をとどめた
茂作の其の後は誰も知らない…
足水と同じ空間に祀られている
そんなこんな井倉洞鑑賞
結局、一時間十分と見学予定時間の倍の時間が掛かりました
10:49
井倉の滝

直ぐ真横に出た
近くで見ると中々の迫力だ
此はもう黙っていられない
河川に降りて滝の真下まで行った

流石落差70mある滝だ
迫力が半端ない
打たれてみたかったけど、対岸に観光客が一杯いらっしゃったので諦めた
11:28
羅生門さくら公園
予定には無かったルート上近くを通るので寄ってみた桜スポット
シーズン時は染井吉野や陽光・紅豊・関山など開花時期が異なる約十種類、七百本もの桜が植えられている
なので長期間に渡って様々な桜の開花が楽しめるが勿論、今時期に咲いている筈はない
まぁ〜目的は元々桜では無いので構わないのだが…
11:35
羅生門

標高四百㍍前後の草間台のドリーネにできた灰岩の巨大なアーチ
これは古い鍾乳洞が崩落し、一部が残存してできた鍾乳洞のなれの果ての姿らしい
予想外に素晴らしい自然の芸術である
此は第一の門らしくて、第四まであるらしい
だがそれはガイドが付かないと行けないらしいので断念する
…でも体調さえ良ければ一人でも無理して行ってたと思うw
12:07
草間の間歇冷泉

入口から結構な未舗装の坂を下って川に出る
対岸に渡って上流に向って行くと左手にあった高梁川の支流、佐代川の岸壁に開口する直径五十㎝の穴から噴出する間歇泉

古くから地元では潮の満ち干と関連があるとして潮滝と呼んできた
間歇周期は五〜六時間、一日に四回、約五十分間に渡り、清冽な水が流れ出ている
なお水温十五度の間歇冷泉は全国的にも珍しい
冷泉と聞いたら黙っちゃいられない
充分楽しんだ後、降りてきた場所が分からなくて軽く遭難する
無事で良かった〜💦
かなり疲れた…(^ω^;
12:54
満奇洞

新見市では最も早く開発され、昭和初期には既に他県にまで知られていた総延長は四五〇㍍に及ぶ鍾乳洞
鐘乳管・つらら石・畦石・カーテン・石筍・石柱が発達し、また小さいながらも洞穴サンゴ・血石等も無数に存在し、鍾乳石の宝庫と呼んでも過言ではないスポット
満奇洞の名称は地名の槇にちなんで歌人・与謝野鉄幹・ 晶子夫婦が昭和四年ここを訪れた時に「奇に満ちた洞窟」と絶賛して命名
まきの洞 ゆめに吾が見る世の如く
玉よりなれる 殿つくりかな
と短歌を残している
また映画八ツ墓村のロケ地でもある
さてこの日、二ヶ所目の鍾乳洞を楽しみます
13:01
入洞

入ってすぐ休憩室
どうやら出口にもなっている様だ
そんな休憩室の奥にある本当の満奇洞の入口へ
13:03
洞門

中腰で潜る天然の門
潜ると池が広がる
説明が流れる
そして井倉洞と同様カラフルな照明で照らした洞窟世界が広がる
13:05
五重の塔

満奇洞で最初に名付けられた鍾乳石
恐らく石柱が途中で折れた物だろう
青や紫の照明が切替わり照らされている
う〜ん、五重塔と云うよりはマリア像
13:07
炭釜

鍾乳石としては表面ツルツル
しかしその名称に納得させられる黒さ
流れ石の一種なのかな?
こんな鍾乳石は初めて見ました
13:08
仁王の足

他の客は素通りしがちのエリアにある鍾乳石
少し奥まっている所にある為、皆順路の一部と思ってない様だ
そんなエリアにある石柱
確かに何かの下半身に見える
うん…井倉洞と違ってネーミングにセンスを感じるね
13:09
臥牛

株全体の形状を牛が寝ている様に見立てて名付けられた多肉植物の名称
その植物が分からない
なのでどの鍾乳石が臥牛なのか分からない
13:10
大黒柱

正規のルートに戻って氷柱石に囲まれた石柱
手前にもっと大黒柱っぽいのあったよ
13:11
千枚田

満奇洞の畦石
うん、実にリムストーンプールの名に相応しい
併し秋吉台の千枚皿には敵わないなw
13:13
山田

どういう経緯で名付けられたのか理解不可能なスポットに出食わした
山田って人が見付けたのか!?
それにしても本当に乾燥してるね〜
鍾乳洞って鍾乳石が湿ってこその鍾乳洞だと思った
13:14
鬼の手水鉢

リムストーンプール
云うならば一枚皿
しかし可笑しな名称だ
手水鉢とは神前や仏前で身を清めるための水を入れた器だから鬼は決して使わないと思う
13:15
ナイアガラの滝

氷柱石群
これは違うと思う(´・ω・`)
13:16
亀石

炭釜同様の鍾乳石
これも黒い
そして亀には見えない
黒い山って感じかな
13:16
泉水

カラフルな泉
もちろん照明を当ててるのだが…
そんな泉はしばらく続くが名称が付けられた鍾乳石が密集するエリアでもある
ちなみに反対側は入海なるエリア
13:18
象の足

ちょっと分からない
俺なら竜の骸とでも名付けるかな
13:19
鬼の金棒

見えません
せっかくネーミングセンスが良い鍾乳洞だと思ったのに…
そんな奥には〜
13:20
鬼の居間

こんな狭い所に鬼は入れません
でもまぁ〜雰囲気的には判ります
黒い会議よりは全然w
13:21
鏡石

入海の中に伸びる鍾乳石
夢の架け橋が架かる
そこから望む炭釜みたいな鍾乳石
それよりその上の氷柱石の方が見応えあるよ
エイリアンの襲来とでも名付けよう
13:22
釣鐘

これはそのまま
まさに釣鐘って感じです
夢の架け橋の袂に有ります
更にその直ぐ後には〜
13:23
華厳の滝

最初はえ〜っとガッカリしたけど天井を覗くと納得
しかしこんなに地下水が溜ってるのに鍾乳壁が湿ってないのが不思議
13:24
竜宮

そう云う泉のエリアを見渡せる入海エリア
此処は行止りなので引き返し、再び鬼の居間の前を通って次のスポットへ
13:25
ひだ天井

石灰幕の荘厳さに魅了される
照明がまた良い仕事をしている
俺的には満奇洞No.3スポットだ(*´ω`*)
13:26
西吉原

石筍密集地帯
照明で誤魔化している感じがする
そんな見応えのないエリアで惹かれたのが〜
13:27
サグラダファミリア(仮)

名も無き鍾乳石
しかし絶対此方に名称付けるべきだろって思うほど見応えある立派な鍾乳石
後ろの吉原の照明が余計にこの鍾乳石を際立たせている
13:28
東吉原

西同様照明で誤魔化しているだけのスポット
そんな事しなくても良い石筍なんだから演出と名称をもう少し考えた方がイイと思う
13:29
東大川橋

水も流れていないスポットに架かる赤い欄干の橋
短い橋だが鐘乳洞にこんな立派な橋が架かってるのって珍しくないですか?
13:30
東大川

そんな橋の下のスポット
ちょっと降りてみた
自ら危険を冒す愚か者です(*´ω`*)
13:31
五百羅漢

橋を渡って仏教要素の強いエリアへ
まぁ〜五百羅漢なんてよく有り価値な名称だがその隣は〜
13:32
奥の院

何故この名称なのか?
単に五百羅漢があるエリアだから安易に名付けられたとしか思えない
そんなスポットに生している苔…
可愛い♡
何気に苔好き(´ω`)
13:33
竜宮橋
先程、入海エリアから見渡した竜宮に架かっていた橋だ
この橋も立派な赤い欄干橋
でもまだ此処を渡らず、左のエリアに流れる
それが正規のルートだ
13:34
夢の宮殿

だから何故この名称なのだろうか?
しかしその先が夢の世界だった
だから夢の入口としての宮殿無のだろうか?
13:35
恋人の泉

満奇洞最大No.1のスポット
竜宮の奥の泉スポット
定期的に照明が変わり実に美しい

しかし恋人の聖地に認定されてるのが気に食わない
なんでんかんでん勝手に選定しやがって
でも桂由美も亡くなったね〜
そんな恋人の聖地に魅了される俺
しばし見惚れる♡
13:40
竜宮
夢の宮殿に戻って竜宮橋前へ
そして橋へ
橋の上から入海の方を眺める
恋人の泉の方を眺める
そして渡り切ると〜
13:41
乙姫と浦島

だからなんでそう云う名称になる?
此処が竜宮エリアだからか?
さらにその奥には〜
13:42
乙姫の寝殿

意味不明である
そしてそこだけ立入禁止の立札が二枚も…
意味深です
覗きたくなりましたらw
13:43
白糸の滝

竜宮から入海に行くルート途中にある石灰幕と氷柱石群
悪くないスポットだ
久し振りにシックリくる名称の鍾乳石であるw
しかし中腰がツラい💦
13:44
ケルンの寺院

何故急にドイツ要素?
ケルン大聖堂にも観えないよ…
何はともあれ入海まで戻ってきた
此処から行きルートと同じ帰り道になるのだが、もう一周しようw
もう撮る必要が無いのでジックリと鑑賞する
併し所々で鍾乳石が折れてるのが残念だな
13:54
笠石

出口への分岐点
用は一度通った所にあったスポットであるが見落としていた
確かに傘
珍しい形の鍾乳石です♪
13:55
あみだ石

仁王の足の隣にあった
ライトでよく解らなかった
後は名もなき鍾乳石を見て出口ルートへ
13:57
銀の幕

出口ルートにある鍾乳石
出口ルートからの五重塔を過ぎると現れる
井倉洞の銀の幕同様現在はメッキは剥がれてるw
でもこれこそナイアガラの滝だと思うけどな〜ってスポット
結構見応えある鍾乳石だ
此処が俺的満奇洞No.2です
13:58
唐獅子


そんな銀の膜の一画に石筍
俺には布袋様にしか見えない
13:59
竹すだれ

大ホール
満奇洞最後のスポットである
最後もカラフル照明でこれぞ満奇洞って演出
14:00
出口
あまり見所無くて短いなぁ〜と思ってたけど、それでも一時間
休憩室まで戻って来ました
休まずそのまま満奇洞を出る
さて三つ目の鍾乳洞・備中鐘乳穴に行こうと思ったけど、結構歩いたので足がガクブル
腹も減ったし、食事を求めるコースに変更した
14:43
かどや食堂

満奇洞の食堂が開いてなかったのでG地図で調べたら、この店を見付けた
で訪れたのだが此又開いてなかった…orz
併しこの地の町並みが良かったのでちょいと散策
月田の町並みを歩いてみる

怪我の功名だ♪
14:46
中井酒造

月田の街並みの一画にある酒造
旭川なる日本酒を作っていたらしいが現在は休業中との事
そんな月田は古くからの月田郷の中心地で江戸時代は城下町の高田から備後東城へ向かう東城往来沿いの市場町として栄えた街
また木材の産地であり、幕末から大正時代までは竹細工も盛んであった



腹減った…(´+ω+`)
14:48
津田酒店

月田の個人商店
現役ながらも昔懐かしい佇まいを残している
この後も少しだけ散策

あれは旅館跡かな〜とか推測しながら歩く
短い通りだが実に風情を感じる情緒ある町並みだ
14:57
勝山町並み保存地区

出雲街道の宿場町として栄えた勝山
現在でも昔ながらの白壁の土蔵・格子窓の商家・古い町並みが残っており、岡山県で最初に町並み保存地区に指定された
今では暖簾が勝山のシンボルになっていて町のあちこちで観光客の目を楽しませてくれる
15:02
ウッドストリート

勝山町並み保存地区入口横に広がる商店街
雁木みたいなのが連なる平成8年に地元産の桧材でリニューアルした木の香りのする商店街だ

屋根部分がない独特な形は当たり前だが積雪にも強いらしい
通りは車道と歩道が緩やかな曲線で隔てられており、歩道には硯に用いられる地元産の黒い高田石がちりばめられている

最初、これが勝山町並み保存地区と思っていたのは此処だけの話
全然惹かれないよな〜と思ったんだよね
15:11
冨士食堂

ウッドストリートを抜けて国道313号線を渡った所にあるGoogleマップ検索でHITした俺好みの食堂
暖簾出てるし、営業中の筈なのに扉が開かない
休み時間?
中休みない筈なのに…
15:12
中国勝山駅

JR西日本姫新線の駅の一つ
勝山町並み保存地区の地図でも会ったらと思い立寄る
だが観光案内所が閉まってた…
観光地なんだから休むなよとは云わないけど、せめて地図位置いとけよ💢
せめて
15:16
ふっかつ次郎長

ウッドストリートの一画にあるホルモン焼きそばのお店で遅めの昼飯
なんでも昭和28年に創業した鉄板焼屋次郎長だったが高齢により閉店
しかし次男である現店長が令和3年に65年間受け継いできた両親の味である秘伝のタレを受け継ぎ復活
それこそ現在の屋号の由来だ
そんな名店の味を引き継いだホルモン焼きそばを頼もうと思ったが、ホルそばめしなる未知なるメニューがあったので注文
大盛りで注文
すると目の前で作ってくれる

しかしメニュー見ると色々魅力的な料理が揃ってるな〜
勝山で泊まるなら此処で一杯やっても良いな〜
でも温泉に入りたいので先に進むけどね
そんなこんなで運ばれて来たホルそばめし大盛り

メッチャ旨かった♪
これはビール飲みたかったな〜
焼きそばも食べてみたかったな〜
また勝山に訪れる事が有れば是非寄りたいな〜
何はともあれご馳走様
エネルギー充電完了です
折角なので町並み散策しときましょうか♪
15:52
勝山町並み保存地区

室町時代に始まったとされる高瀬舟の発着場跡が旭川沿い約700mに渡って残り、玉石積みと白壁の景観が往時の賑わいを偲ばせている
そんな町並み
時間が時間なので駆け足で撮影しつつ、町並みを観て歩く

16:06
真庭市立中央図書館

真庭市内に七つある市立図書館の一つ
かなり立派な図書館である
どうやら町並みは此処までの様だ
この先にも勝山高田城の史跡があるそうだが流石に時間帯的に無理なので此処で折り返そう
16:09
御前酒蔵元辻本店

三浦藩二万三千石の城下町として栄えており、1804年創業当時より三浦公への献上酒を造り、殿様専用酒として御膳酒の名を頂いた由緒ある酒蔵

男はつらいよのロケ地でもあるらしく、記念碑が建っている
そんな蔵元直営ショップにしくらに入ってみる

此処に勝山城下町の観光地図あった
遅いよ💦
16:14
やあとうせ喜志家

軒先の紫陽花に惹かれた
建物自体も歴史ある白壁造り
一軒一軒に由来無いからこう云うのに惹かれる♪

16:19
勝山文化往来館ひしお

2005年に開業したカフェ併設ギャラリー
コンサートや演劇など文化発信の場として活用される体験交流施設
町並み図書館でもらしい
16:20
安養寺

阿弥陀仏を本尊とする浄土宗の寺院
創建は1132〜35年の長承年間
勝山藩主三浦家の菩提寺であり、現在の本堂は火災の後、1814年に再建されたもの
16:24
渡辺屋敷

勝山で唯一昔のままの姿を残している上級武士の家屋
勝山武家屋敷館を探していたが、まさかの渡辺屋敷がそれとは気付かなくて、ずっと武家屋敷館を探していたのは此処だけの話…

館って付いてるからてっきり資料館的な施設と思うじゃん
まさか武家屋敷そのものが資料館とは思いもしなかったわ
16:26
明徳寺

鳥居があったから、てっきり神社かと思ったら寺だった
一応、秋葉大権現もあったがメインは明徳寺
創建は1703年
聖観世音を本尊とする臨済宗の寺院である
本尊は平安時代後期の作と推定される木造の座像で岡山県指定の文化財になっている
また境内には白菊塚なる史跡がある
16:32
郷宿

勝山藩の指定した宿で近郷の村役人が公用などで城下に出た際に宿泊していた宿跡
改装して和蕎麦や鮎料理等の郷土料理を楽しめる店が入っていたが閉業したらしい
16:35
大雲寺

1564年、本山證如土人法弟雙羽師開山の寺院
雙羽師は近隣に飲料水が乏しいと知ると井戸を掘り、水源を確保した
雙肘井戸と呼ばれている

天分元年に焼失したが1740年に再建
境内にある雙翅の松は推定樹齢三百年と言われている
此処を最後に勝山町並み保存地区観光を終える
16:47
マルイ勝山店

保存地区から旭川を渡るとあるスーパー
この先、買物できそうな所が無いと思うので晩飯になりそうなものを軽く買っておく
17:03
三浦邸椎の木御殿

1764年、三河国西尾より移封になり、勝山領主となった三浦氏は1869年、版籍奉還により十代、107年にして終った
城地・建物等総てのものは国有となり、旧領主三浦顕次子爵はこの台地に住居を建て移り住んだ
以来三代の居所として現在に及んだが平成元年二月旧勝山町へ寄贈された
この地に樹齢数百年と推定される
椎の大木があり、これによって椎の木の地名が付けられている

無論もう閉まっているので外観のみを観て回る
17:20
湯原温泉郷

湯原温泉・下湯原温泉・真賀温泉・足温泉・郷緑温泉と湯原地域にある五つの温泉地の総称
古より人々に愛され育まれてきた五つの温泉地には、それぞれに特徴のある泉質と歴史がある
久し振りに訪れたら立派な看板が出来ていた
17:21
真賀温泉

1318~1399年の後醍醐天皇の時代、伯耆船上山の戦いに敗れた二人の武将が岩の間に湧き出ている温泉に入浴して傷を癒したと伝えられる名湯
江戸時代も勝山藩・津山藩により湯治場として使われていた由緒がある
今でも昔懐かしい湯治場の雰囲気を漂わせている旭川沿いに位置する温泉地である
此処に降り立つのは何年振りだろう
駐車上車を停めると長い階段を登る
17:28
薬師堂

瑠璃光と書かれてるから恐らく薬師堂
由緒は書いていない
由緒書きと思っていた案内板には何故か真賀温泉の成分表が書かれていた
何はともあれ参拝
オン コロコロ センダリ マトオギ ソワカ
17:30
鹿子の木

目通り45m、樹高25m、推定樹齢450年といわれる薬師堂の奥に聳え立つ巨木
鹿子の木はクスノキ科の常緑広葉高木で樹皮が円い小庁となって毎年脱落更新するの で鹿の子文様になるので鹿子 の木と呼ばれている
付近にも此に次ぐ老木五株があり、亜熱帯植物でこの地が分布の北限といわれている
湯原町の天然記念物に指定されている
17:32
真賀温泉館

真賀温泉の共同浴場
かなり久し振りに此方でひとっ風呂
終始一人で貸切状態で独泉

源泉かけ流しで実に俺は好みの湯加減でマッタリ入浴する
此処は変わらないな〜♪
18:36
湯原温泉

奥津・湯郷と共に古くから美作三湯と呼ばれている岡山を代表する名湯
性空上人が重病で倒れ、その時に天童が夢枕に現れて、この湯を暗示したという
性空はその地に赴き、平癒
それ以後、薬湯として広く知られる様になったのが始まり
また豊臣政権の五大老の一人である宇喜多秀家の母堂が病を癒したといわれ、その御礼に秀家が浴室を修繕したという逸話もある
併し地元歴史研究家によれば、それより以前に周辺でたたら製鉄が盛んになり出した弥生の中期頃からそこで働く物達の湯治に使われていたという
そんな歴史の温泉地
18:38
ゆばら湯っ足り広場

今宵の寝床なり足湯公園
RVパークも併設しているが俺は無料の🅿を使わせてもらう

さてまだ少し時間が早いので温泉街へ散策に参りますか
18:44
湯原温泉街

旭川を中心に元禄時代創業の老舗旅館や射的場、土産物屋が建ち並ぶ昔ながらの温泉街を形成している町並み
でも直ぐに河原に降りて歩く
18:46
柳湯洗濯場

河原を歩いてると見付けた垂れ流しの湯
その洗い場の後ろには浴場があった
昔、緑のテントのジモ泉の代わりだろうか?
昔からあった?
全然知らなかった
18:48
湯舟跡

柳湯洗濯場の直ぐ側にあった湯舟跡
三人程入れるだろうか立派な岩風呂だ
温泉が注がれていたら間違いなく浸かっていたなw
そんな湯舟跡を見てから旭川沿いに歩いてると釣人とアヒル

シュールな風景でした
18:53
はんざき足湯

一見、山椒魚型とは分からないタイルアート足湯
上から見ないと、はんざきとは気付かないよw
これも知らなかった
新しく出来たのね
そんな足湯の先に〜
18:54
緑のジモ泉

あったコレだ
昔、会員のおじちゃんが許可くれて入った事のある想い出の一湯だ
無論今回は入らせて貰えなかった
18:55
鼓橋

再び温泉街
何故か九份の提灯が吊らされていた
その橋を渡ると飲食店が数軒…
昼が遅くて腹一杯
今日はなんだか呑める気がしてたんだけどな…
18:58
油屋

元禄元年創業の宿・元禄旅籠
旅人の道中の灯りの油を提供し続け、油屋と呼ばれた宿らしい
映画・千と千尋の神隠しの油屋のモデルの一つになった噂も老舗旅館だ
二階にははんざきが顔を覗かしているのが可愛い♪

18:59
薬師堂

本堂の開基は四百年前の慶長年間
本尊はこの前の温泉館の湯元から出現したといわれ小指ほどの大きさの金銅製の薬師如来
明治26年の大水害でこの堂が本尊もろとも流されたが、この小さな御本尊が此処から80㎞ほど下流の金川町の河原で釣人を呼びとめて、砂の中から拾われ「湯原に帰りたい」という夢のお告げで帰って来た
以来、健康かえる・銭かえるのお薬師様として温泉の効能と共にあらたかである
そんな薬師堂の前には温泉が注がれている手水鉢

またはんざきを背負っている上人様の像は少し不気味

こんなのあったっけ?
19:08
砂湯

湯原温泉名物露天風呂
そう言えば前回訪れた時は台風の影響かで何かでお湯の供給が止まって浸かれなかったんだっけ
でも浸かった気があるけどね
今回はシッカリお湯は供給されていて、入浴者も一杯
でももう真賀温泉で仕上げてるので今回は見学のみ
足湯が出来てた

足湯には浸かったけど、ぬるいかった
19:24
広見酒店

砂湯の帰り道、川沿いのメイン通りから一本裏に入ったらあった酒屋
店内に入って物色する
で缶酎ハイと発泡酒を一本ずつ購入する
発泡酒はその場で開けて、飲みながら帰路に就く
19:40
ヤドカリ帰還

缶酎ハイも開けて晩酌開始
勝山のマルイで買っておいた弁当を肴に晩酌と思ったけど、弁当を食べる程腹減ってないので缶酎ハイのみで晩酌する

そんな湯原温泉での夜
そんな今回の放浪で一番遅くまで遊んだ一日
今日はバファリン呑まなくて平気でした♡

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