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聴こえない人のための音楽講座2回目

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自己紹介②

今日はハッピーイースターですね! と言いつつ、私は何もしてません笑 その代わり、昨日は義実家でラクレットracletteを食べたよ!色んなチーズとハムを食べ比べながら美味しく頂きました🐰こればかりは、フランスに引っ越して嬉しい瞬間の1つです。うまうま。

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難聴児支援👂🏻の難しさって⁇

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ポチ(1970年代生まれ)

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マルコ(1976年生まれ)

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通院日記Part. 3 耳の手術をしてきました!

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僕の障害

富士急ハイランドでの聴覚障害者への乗車拒否問題について。

耳が聞こえないってどんな感じ?

自分がつまらない聴者のコピーになっているのではないかとぞっとした。そして聾学校の子どもたちの愛すべき複雑さと豊かさに思い至ったのであった。

私は自分ひとりきりのチームで、異星に降り立った。私は「大人」に頼る発想がなく、早く大人になりたい、自身の人生に責任を持ちたいと思っていた。

聾学校高等部にあがれば「手話」が解禁される。それまでタブーだった手話を堂々と使っていいのだ。あまりの変わりように、気持ち悪いと私は思った。

自分は「弱かった」自分を語り始めた。屈曲した世界は、屈曲のままに、つぶさに語るしかないのだ。どれだけ言葉を重ねても世界は描けないとしても。

聴覚障害者が1人でディズニーのガイドツアーに参加したらどうなる!?

「合理的であれば区別」の合理的って?

一般高校がたとえ暗いトンネルであっても、聾学校に戻るつもりはなかった。一般高校でも聾学校でも、私にはさして代わり映えしないと思っていた。

聾学校から一般高校への「インテグレーション」へ向けて、私は自身の葬列を歩いていた。行く先にある冷たく暗い何かを大いなる楽観で覆い隠そうとしていた。

聾学校の「養訓」は何を勉強する時間なのか分からなかった。道徳や学活と同じような位置づけで私にはそれらの区別はなかった。

私は、自身の本の世界を聾学校に持ち込まなかった。読書感想文コンクールについても同様で私は、聾学校図書室にあっただけの本について書いた。

高校合格の新聞取材で、将来の夢は先生になること、と私は口に上せた。しかし、私は全く先生になるつもりはなく、考えたことすらなかった。

それは「友情」か「憐憫」か。聴こえる「友達」とのつながりの意味を、私は高校時代ずっと考えていた。

聾学校にやってきた人形劇団は、字幕も手話もなしに、人形を操った。人形劇を見る私たちも、「人形」さながらに、鑑賞した。

子どものとき、縁日の「見世物小屋」で生まれて初めて「障害者」と出会った。そこで私は、見世物にもなれず「働けない」自分を見た。

高校生の私は、放課後は書を求め町へ、てくてくと一人歩いた。毎日欠かさない「部活動」だった。

聾学校では2~3年勉強が遅れるのが当たり前だった。私は聾学校の勉強に見切りをつけ、自分で管理をしながら勉強をした。

耳の聞こえない方のコミュニケーション

聾学校で、私たちは子どもらしく遊んだ。「熱心に」「一生懸命」といった言葉をふりかざす先生と私たちは、どこかかみ合っていなかった。

私は、スイカ割りの「ルール」を知らなかった。聾学校でありながら、聴こえる人のゲームルールが行き渡っていた。

私たち聞こえない子どもだけでなく、聞こえる大人たちもまた、分かったふりをすることがあるのだと気づいた。それは、発音の悪い子への気遣いなのだろうと思った。

手話サークルに行っても、真に「手話」と出逢えなかった。手話は、身振り、音声の補助としか思っていなかった。

[書評]五十嵐大『しくじり家族』のしくじりアイロニーがいま大切。

聾学校卒業のときに授与された「川本口話賞」。成績優秀の証しだと受け止めていたが、自分がもらう違和感も抱いていた。

聾学校にいた、同じ聾の大人たち。同じ身体性を背負っていながら、私たちは交わらなかった。

「原因不明」の腹痛に悩まされながら、私は高い空から私自身の体を見下ろしていた。私は思考を身体から切り離してその場をやり過ごした。

高校からの帰りに、私は聾学校にぶらりと寄った。身体に馴染んだ校舎を、私は好きに歩き回った。

「大丈夫?」と聞かれてすぐに話せるわけじゃない。何気ない会話ができてこそ、話せることがある。聞いてほしいことがある。

聾学校から一般学校に入って、他者のまなざしを恐怖と感じるようになった。私は自身を守るため、他者を遮断するトイレ個室に避難した。