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あすか(1968年生まれ)

(授業中に先生の命令で同級生からも暴力を受けたことについて)

そう、先生だけでなく。先生が命令したの。先生が、命令、したの。私のことを、みんなで殴ってくださいね~、ケンカしてください~って。
みんなは、はいって受け入れた。私のところにみんながやって来て、ボコボコ殴られたんだ。
小4のときだったと思う。

●それは「ケンカ」じゃないですよね?1人に対する一方的な暴行ですよね?そうそう、そのとおり。
うん、そうね、最初は私。マジ痛くて…。本当に痛かった。

●何歳だったんですか?
小4だった。ひどすぎるよね。ひどかった。
最初は、私。私がまずやられて、次の人、次、次、で回っていったの。次から次へと。うん。

●なぜあすかさんが最初だったんですか?
理由はわからないのだけど、何だろう、うーん、うーん私気が強いからかな。
「謝りなさい!」と先生に怒られたの。でも私は納得いかなかった。謝る必要があるとは思えなかった。
私は謝りません、その理由を話したけど、先生は聞き入れてくれなかった。
「おまえが悪い!頑固だね」と言われた。でも私はそのまま突き通した。そういうことが何度かあって、それが先生には面白くなかったんだと思う。
謝らない、言うことを聞かない。痛い目にあわせてやろう、みんなで殴ってしまえ、そう思ったんだろうね。
殴られて、痛かった。私は泣いた。痛い。
殴ってきたみんなは、あっごめん…と気遣ってくれたけど先生は、寄ってくることなく何も言わずに向こうへ歩いていった。

何の授業のときでしたか?
体育。体育よ。体育館で殴られたの。

●体育は小4だけでなく、他の学年とも一緒にやっていたのですか?
そう、体育は小4~6で一緒にやっていた。8人。

●つまり7人が1人を狙い撃ちにしたということなんですね?
そう、そう。めった打ちだった。先生は傍観してた。
先生は自分では手を下さなかった。見てるだけだった。うん。

●順々に、というのは、1人が殴られるのが終わったら、次の人が殴られるということなんですか?
体育の授業で、私が殴られて、それが終わって、しばらくたって、次、いつだったかな、あっ、体育の授業が終わって、次の授業のときに次の人が殴られる標的になるの。そして次の授業では、また次の人が殴られるの。
1人ずつ。最初は私。なぜ私が最初だったのかはわからない。
わからないのよ。

●その順番はどうやって決まっていましたか?
反抗的な人の順番かなと思う。
先生が、次はあなた、次はあなた、って指名して決めていた。
次は誰になるのか、決まってなかった。順番のルールは特にないようだったから、先生の頭のなかだけで順番が決まっていたんじゃない?。

●体育の勉強は、そこではなかったんですか?
なかったね。殴られて、それだけで終わったよ。長いよね、45分か、そこら。長いよね。
走って必死に走って、走ったの。
逃げて、必死に走り回って逃げて…。追いつかれて殴られて、痛くて、またぐるぐる回って逃げて。必死に逃げてた。逃げられっこない、7人が追ってくるから、走って、走ってずっと走り続けた。逃げて…。殴られては逃げて。

●体育館の中だけですか?
そう、体育館の中だけ。逃げられない。
体育館から出てしまおうと思っても、出口には先生が立ちはだかっていて、無理。出られなかった。
体育館のなかを逃げ回るしかなかったの。ず~っと。
走り回って、腕をつかまれて、それを振り切って、走ったの。顔を殴られて、痛くて、それでも走って。ず~っと逃げてた。

●8人だから8人で一巡しますよね、そしてまた順番が回ってきますね。最初だった、というのは、意味がわからないのですが…最初というのは、4月のときだったのですか?
うーん、理由は分からないけど…先生が私に強く説教してきたことがあったの。たまたま、その先生は担任だった。
強く、繰り返し説教してきたんだけど私は聞き流していた。自分がそんなに悪いことしたのか、私はよく覚えていないんだけど、強い口調で話してきたの。私ははなから聞く気持ちがなかった。
全然聞いていなかった。
謝りなさい!と何度も強く言われた。あまりよく覚えていないんだけど、私は無視を決め込んでいた。聞いてやるもんかと。
私は悪くない、という気持ちがあった。
先生は、そんな私が気に入らなかったんだと思う。
そういうときに体育の授業があったから、そういうタイミングだったから、私を痛い目にあわせてやろう、私を殴れと命令する。そうなったんじゃないかと。
もし私が形だけでも謝っていたら、こういうことはなかったかも。

●外でも体育やるときがありますよね。外での体育のときは、殴るのはなかったのですか?
なかった。うん。屋内だけ。体育館の中だけ。そう。

●他の人から見られないためにですか?
うんそうだと思う。そうね。他の先生が知ったら、止められていたでしょう。

●体育を体育館でやるというのは、たとえば雨だったり、バスケをやるときだったりする状況ですね?
そう、外は、外はね、サッカーしたり、あとは、ランニング。校庭をランニングしたり。そのくらいかな。
屋内だと、バスケット、バレー、バドミントン。バドミントン…そのくらいかな。ラジオ体操もしたね。
でも、殴られるというのは、今までかつてなかったこと。
ありえないでしょ。殴られたのは、授業1回だけだけど。1回だけだけどね。

●1回だけだったのですか?順々に回って、1周して終わったということですか?
順々に、1回ずつ。それで終わった。
私は、殴ることはしなかった。殴らなきゃいけないの?なぜ?おかしいと思っていた。だから、殴るとしても、手のひらで軽くペシッとやるだけにした、んだけどね…でも…たいていみんな泣いてるしね。

●殴ることを楽しんでいる人もいましたか?
うん、いる。うんいたね。興奮してた。爪を立ててガリガリやってくるんだから怖くて…

●卒業後、そのことについて話し合うことはありましたか?
うん。やりすぎ!あれはひどかったよね、と話してた。
クラスのみんなで。あのとき、小学の時は大変だったよね、殴られるの、やりすぎだよね、と。ひどかったねえと話し合った。
今思えば、あの先生、頭がどうかしていたよね、という話を。考えてみれば、先生おかしかったよね、と。
パワハラ、モラハラ、とか、セクハラ、という言葉自体がなかった時代。当時は。そういう言葉がなかったから、あれはひどい、やりすぎ、で終わってた。
今なら、それはパワハラではないか?暴力はありえない、おかしいって言える。今だったら、クビにもできる。
当時は、クビになんてできなかった。昔は、先生は神様だった。
殴られた、といっても、それで強くなれるといわれた。強くなる?本当に?と、理解できなかった。
うん。先生は、ひどかった。昔は。ずーっと思ってた。

●小4のときから殴られて、1人ずつ殴られて、次の人は、別日の体育の日に殴られていて。それは1年間で終わったんですか?8人いましたよね。
いや1年もなかった。8人、順々にいって、それでもう終わり。それからは通常の授業に戻ったの。体育の、バスケットボールとかサッカーとか、それをしてた。
なぜこの期間だけこうなったのか…わからない。うん、なんか…先生は、生徒同士で殴り合わせることで、すっきりしたかっただけなのか…。腹が立つから、生徒に殴らせたのか。

●小5になっても体育は同じ先生だったのですか?
ううん、違う。異動で出て行った。異動していなくなってから、小5からの授業はまあ改善されたかな。
でも担任の先生、おかしい。酒飲みながら授業してるのよ。酒臭い。

●ええ?さっきの、殴らせた先生とは別なんですよね?
別なのよ。小5、6のときの担任で。おかしい。その先生も変だった。酒臭い。うん。殴らせた先生と2人そろって、腹立つ。
「外で遊ぼう!」というの。外に出るところで、なんだろう・・・何でだろう?あれ?と意味がわからなくなった。
勉強ほんとにしてない。小5,6のときは。

●お酒の匂いわかるんですか?子供なのに。
わかる!わかるのよ。知ってる。本当に酒臭くて!!
みんなで、臭い臭いと言い合った。
臭い臭いって先生に言ったけど、先生は、自分でも承知してます、っていうだけで…。すごく臭かった。

●男性ですか?
そう男性。その先生は40…じゃない?40すぎって感じだった。40過ぎ。40歳過ぎだったかな。おじさんだったよ。
うーん、あっ国語の勉強すればいいのに、それはやりません、と漫画、ドラえもんの漫画を持ってきて、みんなに配って、これを読みましょうという。授業が終わる時間まで。そう授業が終わる時間まで。
漫画を読んでいた。

●そういう授業スタイルは、自分には、合っていたと思いますか?
まさか。読んでて、なんで??と思いながら読んでいた。
先生自身も読むの。読んでいたのよ。授業になってないよね。

●先生が読みたいだけの本を持ってきたということですか?
そう思う。先生は、本を開いてみせて、ここが面白いよ!って言ってきて。はぁ?私は面白いとは思わなかった。どこが?と思いながら読んでいた。先生は、ゲラゲラ笑いながら読んでいた。面白い!と力説しながら。
読み終わったら本を回してまた読むの。順番に回してはまた読む。1巻から何巻まで読んだのかは忘れちゃった。

●授業中それについて、話し合うとかもなかったのですか?
なかった。ない。あっ、あ~、うーん、読み終わったところを、あとで、先生がドラえもん本の中から取り上げて、ここは面白いところですね、とみんなに話す、そんなふうなことはあった。
でもみんなわけがわからなかったの。何か文とか出されたならいいけど、文じゃないところだったから…。よくわからなかった。

●他の先生は、その授業がドラえもん漫画を読んでるだけという状況を把握されてましたか?
分からない。他の先生たちは知ってたのかどうか…分からない。

●保護者の参観はなかったんですか?
親の参観は…あったか…いやなかったね。
別の、別の授業であった。国語、社会、は、親が参観しにきてたような。
父親が1度見に来たんだけど、絶句してた。父は、家で何も言わなかった。国語の学習が必要だな…と感じたんだと思う。
三姉妹の一番下の妹には、そんな状況には置きたくないと思ったんでしょう、いい先生を探し始めて、あの先生はいい先生だ、と声をかけたりして…そういうことがあった。
妹は、たまたま、多くのいい先生がついていた。
偶然なのかな。熱心で、教える情熱を持っている先生たちがついていた。
私は、本当にひどすぎた。小4のときは…ボコボコに殴られていて、わけわからないし。

●そういう時代だったのですか?それともその学校の特徴的なものだったのですか?
わからない。時代だったのか、それは分からない。でも私のクラスは特殊だったと思う。
うん。先生のやり方とか、間違ってたと思う。

●同じような経験をしていた人と会ったことはありますか?
ない。聞いたことがない。ない。そういう教育方法は…先輩たちはどうだったんだろう…分からない。発音練習は多かったとは言ってた。発音練習が多いと。
それは、上の世代からずっと共通しているね。発音練習は共通してた。
だけど!漫画はありえない!と言われた。漫画、おかしいよ!って。
ありえないよね、私の小5,6のときってわけわからない。

●発音訓練とドラえもんどっちがましなんでしょうね?(笑
授業中に、唐突に発音の指導が入る感じでしたか?
そうだね、発音訓練は、あったね。あった。
おせんべいみたいな薄いお菓子を四角く切って、溶けるせんべいがあるでしょ。それを舌の上に乗せると、溶けるの、美味しかったね。
それを切ったのを、舌先に乗せて、タはこう、タ、タ、タ!繰り返して、タ、タ、タ、タと繰り返してた。
それと、ナニヌ…、ナ行、鼻からじゃん。ン、ン、ンって、鼻にかかる!って鼻ばかり指していたね。ナ行は、鼻からじゃん。鼻をさして、ナ!ナ!とずっと繰り返してた。

●私自身は、お菓子を使った発音の練習は幼稚部で終わったんですよ。
私はまだ続いてた。小4まで、だったかな。小4,5…5年生からはなくなったね。先生が変わったから。小4まで。

●小5からは勉強が始まったってことですね?
そうだね。発音練習はそこではなかったような。でも遊び、遊びばかりだったよ。

●小5で習っていた内容は何ですか?
習ったのは…国語、社会。。あっ社会は勉強になってなかった。
外をぶらぶらして、見るだけだったの。
車に乗って、どっか行って回る。ドライブって感じだった。ドライブ。

●社会見学ってことですか?
うん、うーん。そうなんだろうね、でも勉強になってなかった。
ドライブだけ。海を見に行くの。海を見てぶらぶら。それで40分。
先生の車。個人の車。4人乗って。4人乗れた。5人乗りの車だったからちょうど。
ドライブしてて、あれは橋、あれは会社・・と先生が話してて。ずーっとしゃべってて、口だけだからわかんない。
話してるけどわかんないから。私たちは、ふんふんと周りを見てた。そして戻ってきてそれでおしまい。おしまい。時間も終わりだから、ドライブも終わり。
時間がきたらね、もともと45分だから。
なんだろうね、国語と社会の融合?国語…社会と他、国語を融合させた?合わせた感じ、うん合わせてて。
回って、戻ってきて、それだけだった。うん。
ただ歩き回るだけだから、それ勉強になってないじゃんそれ。うん。

●数学は何年のを勉強されていましたか?小5の時は何を勉強していましたか?
算数は、簡単なのだったと思う。掛け算。あれだよ、〇×1は1だね、とかそういうのを。その答えを書いていくの。うん。書いてた、と思う。
うん。速く解く練習でもなかったし。ただ解いていく。それだけ。

●小5で掛け算を始めたんですね?
うん。そうそう。そうだね、小6になっても同じだった。ひたすら掛け算をしてたのが割り算になって。
あのね、私すごい待ったの。すごい待ってた。隣の隣の子が算数がとても苦手で。苦手。
やっと待つのが終わったと思ったら、えっわからないの?あのね違うんだよ、3掛ける2は、こうなんだよって、何か物を置いてこれがこうだからって並べて説明した。教えてた。生徒が!だよ。
生徒が、こう何か並べて説明するの。これはいくつある?4個?そうだよ!って感じ。
そういうふうに説明して・・すごい待った。その子が理解するまで。それまで進まない。
習った授業を私が理解して、他の同級生がやっと理解して追いついてくるまで待って、それから私が次の内容を理解して・・・
そういう感じだった。うん。

●先生は教えてなかったんですか?
先生は教えてた。でも、教えても教えても、その子はわからない。だからみんなは待っていて。ただその繰り返し。
先生は、同じように繰り返し話すだけ。
私は、ハァと思ってた。繰り返すだけ!私は、もう進んじゃおうよと言っていた。でも先生は、ダメ、その子がかわいそうでしょ!ちゃんとフォローしなくちゃって言って聞き入れてくれなかった。
私は、フォロー?ハイハイと思って、待ってた。
時間の無駄?じゃない?とうっすら思っていた。うん。

●先生が熱心に教えるけど、うまくいかない。だから代わりに、あなたが教えてたんですよね。伝わっていましたか?
うん、通じた。ばっちり。同じ、聞こえない同士だから。
その子は、先生の口が読めていなかった。わからないわからないって。だから教えるの苦労してた感じ。
先生はすごい頑張っていたようだった。
生徒はみな同じように、学習を進めていく必要があるんだって。

●あなたが先生の役割も担っていたんですね?
そうだね。私が進んで、他の子が付いてくるのを待つ。追いついてきたら、私が理解して進んで、他の子がついてくるのを待って。。
時間が…かかる。時間がかかった。
私は、うんざりしてた。
先生に、やっとこれで終わりです、と言われたときは、終わったんですね?と確認したぐらいですね。掛け算はこれで終わりです、と言われた。5年で掛け算が終わった。6年になって、やっと割り算。
でもその子はなかなか理解できなかった。待って、待って、どんどん遅れていくの。
テストは…、簡単。100点取れて当たり前の内容だった。100点取れるくらいの簡単なプリント。先生は、すごく褒めてくれた、すごいね100点!と。なんか違うなと思っていた。

●その友達は、手話で教わっていたら理解できたということですか?
うん…うん!そうね。そうね・・・手話あったほうが、理解はスムーズだったと思う。その子は。うん。お互いに、色々話してたから。

●そのまま高聾へ進学したんですね?
そう、同級生全員進学した。科はバラバラだったけども。科は色々あった。普通科、理美容科、木工科…。
勉強が進むのが早かった。普通科はなおさら、勉強がどんどん進む。どんどん進んでいく。それまでの中学部と違うと思った。全然違う。
高校は進むのが早かった。みんなも理解が早い。
自分はびりっけつだった。必死でついていった。
高校に入って、みんな英語は進んでる!自分はこんなの中学では習っていない、と思った。これはなになにです、のジス イズ ア ペン…のような文章さえ私は習ってなかったの。
A,B,C,…のアルファベットを書く練習だけ。それが中学部のとき。
高校では、みんな、アルファベットの先へ進んでる。追いつくのが大変だった。もうみんな習ってるの?自分の学校、遅れてるんだ、と愕然とした。
A,B,C…を書けるだけだったから。アルファベットだけ分かる状況。
それ以外は分からない。

●あすかさんはクラスで一番勉強ができたんですね?
うん?あっいやいや私じゃなくて別の子。ちょっと聴覚障害の程度が軽めだった。聞き取りもわりとできて。2人で普通科に行った。行ったんだけど、英語の授業では固まった。2人で、うちの学校遅れてるじゃん、、と愕然としたね。
ええ・・って感じ。

●小4まで発音訓練だったんですよね?でも時間割には、一応国語、社会…はあったんですよね?
ある。ある。

●でも実態は、発音だったんですか?
そう。ほとんど。あっ、でも、国語、数学自体が少なくて。
ほとんど発音やる授業が週に、何本かあった。

●その授業の名前は「発音」なんですか?
いや、…ヨウクン。養訓だね。時間割のなかで養訓が多かった。体育、理科、社会は、少なくて、ぽつんぽつんとある感じ。少なかったんだよね。

●毎日1つは養訓が入ってたということですか?
うん、あった!

●1日に2回入ってくることもありましたか?
いや1日に1回だね。だから、一日に1回で、週5。
国語、算数はあることはあるんだけど…勉強はあまりしてない。うん、そうだったのよ。
先生は、必死に、「わかる??」と話してくるのだけど、私、みんなは分からない。黙って、聞くだけだった。

●4月に教科書もらいますよね?教科書は使わなかったんですか?
小4の時に、初めて小1の教科書を使ったの。

●小1,2,3は教科書もらってなかったんですか!
ない!もらってない。国語、算数、社会…もらってない!
ずっと発音だけだったの。

●学校が、教科書をずっと保管していたということですか?
そうだね。小4でやっと教科書をもらえた。国語、算数の教科書。それを開いて、読みかた、数字・・・とあって、勉強ってこういうことをやるんだって思った。

●疑問なんですけど、小1のとき時間割には一応、国語、算数ってありますよね?でも、その実態は何だったのですか?
うーん。例えば…自分で文章を作ってみること。
「私は…」いや例えば「今日はいい天気です。」という一文を書く。
その中に、てをには、がある。でも私にはその意味が分からない。
先生は、これは「は」!これは「が」!と言ってくる。
例えば、おんぶをする。「お母さんが子どもをおぶる。」
順序を入れ替えると「子どもがお母さんをおぶる。」になる。これはおかしいよね、というような例示の説明がなかったの。
「”#$%〇§△■、ここは『が』を入れる、”#$%〇§△■、ここは『を』だよ!」
と話すもんだから、全体でも意味が分からない。みんなも。

●答えだけ、ここはこう!これはこれ!といわれる感じですか?
そうそう、そんな感じだった。

●小1から小3まで、3年間ずっと助詞をやっていたということですか?
そうなんです。

●3年間!?3年間もですか!?
そうなのよ。3年間。
口元を手で隠されて、話される。それを読み取る。聞き取る。それを書く。先生が、大きく口を開けて、ゆっくり話すの。
わ・た・し・は、・・・で・す・ね。はい書いて!と。
分からない。とりあえず想像で補って書いてみる。
すると、「ここは『は』!」と怒られる。「ここは『は』って書かないとだめでしょ!」と言われるの。
そうなんだ?書く必要があるんだ‥はいわかりました、ととりあえず言って書く。でも、私は分かっていない。

●小1~3まで、3年間てにをはをみっちりやってその後どうですか?習得できましたか?
無理。習得できてない。習得はできなかったね。
なんの説明もない。手話で教わりたかった。
山へ、例えばね、山へ行く、がある。山に、は意味が違うのよね。
手話でも、ちょっと違うじゃん。そうなんだよ。

●私は、その違いは説明できないんですが…
そうだね。手話はちょっと変わってくるのよ。
それを私は説明してほしかった。説明も何もないし。手話がないから。
ワタシハ…ヘ、イク、て口だけで言われる。その意味の説明はない。
ヘ?ニ?どう違うんだろうってずっと思ってた。
とにかく覚えればいい!といわれたものの。覚えればいいんだよ、とにかく暗記!と言われて…。

●口だけで話されたことを読み取って書くのと、助詞の意味を理解することは、目的が違いますよね?一緒くたになっていたということですか?
そう。そうなんだよね。
ワタシ、ハ!!と口で言われる。わからないままとりあえず書く。
次に、ワタシ、ニ!と言われ、それもわけがわからないまま、書く。
この助詞は何のためについているんだろう、分からなかった。今思えば、その意味を教えてほしかった。なんでそれがなかったんだろう。分からないけど‥‥。

●算数はどうだったのですか?
小1の算数は…書いてた。まず数字をきれいに書く。
小1から小3までの3年間は、足す引くの計算をひたすらやってた。1足す1は2、って計算。時間を計ってやっていたね。その繰り返しだけ。

●足し算は、桁が増えて大きいのもやっていたんですよね?千の位とか。
そうだね。桁は増えていったんだけど。
掛け算は小5から。掛け算は、小5から始まった、と思う。

●小6では割り算ですね。
そうだね。中学にあがってからは、面積。面積を習ったような気がする。同級生はなかなか分からなくて。なになに掛ける2メートルとかそういうのが本当分からなかったみたい。
体積は、さらに掛ける。それも分かってなくて。その子が理解するまでみんな待つ。その子は文章が読めなかった。だから、理解に時間がかかった。縦、横、高さはこうだよって説明して。高さが入ってくるのが体積。
それを一生懸命説明して。でも呑み込めてなかった。理解するのを待ってて。あのね、これとこれをこうするんだよって話しても、分かってない。計算もできない。
何か、いい物ないかなと探して並べて、ちょうどおはじきがあったから、それを並べて、数えていって、そうなんだ!って最後には理解してくれた。
やっと理解してくれた。果てしなく時間がかかる。
それが小6まで。時間が果てしなくかかった。
中学になってからも同じだった。数学苦手なのが3人いて、できる人が、いや違う、数学が苦手だったのが4人。できるのが1人。だから苦しかった。苦しかった。先生も必死に説明してた。その間中待ってた。だから遅々として進まない。
その子が分からなかったのは、国語力がないから。だから解けない。読めない。その子も苦しんでた。しょっちゅう、この意味は何?分からない、分からないと言ってた。
体積の説明で、縦はこう、横はこう、と説明した。そこに水を入れて、何リットルになるって内容。それを説明した。そういう説明を手話ですることが必要だった。
1人が抜きんでていて、他がそれを追う展開。みんな100点取れたら、やっと次に進む。そういう繰り返しで、時間が無駄だった。
一番下の妹の場合は、国語は得意な子、苦手な子で分けてた。クラス分け。
たとえば5人いたら、2人と3人に分ける。そういう方法だった。
私のクラスは違った。みんな一緒に進む。待たなければならない。それが平等ってこと。誰かが先に進むのはかわいそうだから、かわいそうだよね、待ってあげなくてはね、と言われていた。
そんなもんなのかなと思って、仕方なく私もフォローしていた。

●ちょっと確認させていただきたいんですが。やはり、計算問題はわかるけど文章問題はさっぱりできなかった子がいたってことですよね。
そう。そうだね。数学はね…1足す1は…というような計算問題は解けてた。でも文章問題、文章を読んで解く問題は式を立てる。それができなかった子が多かったかな。
みんなできなかった。国語が苦手な子ばかりだった。国語が苦手だと、当然苦しいと思う。私はなんとか、なんとかできてたけど、他の子はできていなかった。それをずっと私は待ってた。

●小4のときに初めて教科書もらったんですよね。そのときはどんな気持ちだったのですか?
自分の?自分の気持ち?やっと教科書をもらって、やっともらえて、それが小1の教科書で、不思議だった。あれ?妹と違うと思った。すぐ下の妹がいて、1つ下で、私は小4、妹は小3だった。
妹は、同じ小3の教科書をもらってた。なんで私は小1のなんだろう?おかしいと思って、母に聞いたの。
父にも聞いた。「私はなんで小1の教科書なの?」と聞いた。
父は「べんきょう、むりでしょ。できない。べんきょできないから、こうなんだよ」と言われた。
そうなんだ…私は勉強ができないんだ、と思った。でも妹は小3のをもらってる。妹と違うじゃないの!と聞いた。
でも「むり。むり、あなたには、むりなんだよ!できない!」と言われるだけだった。そうなんだ、私って「できない子」なんだ…って思った。

●すぐ下の妹さんは小1のときに、あれ、一般の学校ですか?
そうなのよ。妹も聾だった。聾だったんだけど、ふつうの学校。ずっと。小1から。

●では、妹が教科書を毎年もらってるのをそばで見ていて、自分はまだもらっていない、と感じていたんですね?
そう、そう。おかしいと思った。だから親に聞いてた。
親は、「しかたない、あなたはすごく耳が『重い』から」と言われた。
重い?私って重いの?
「あなたは話せないでしょう。妹ちゃんのほうは多少話せるけど。」
言われた当時は意味がわからなかった。「重い」ってどういうことなんだろうと。
なにかひどいこと?病気か何かが重いんだろうか?とずっと思っていた。
そうじゃないんだよね、今は、聴覚障害の程度が重いってことだとわかるんだけど。でも、今でも、なんで?って思う。
妹は、すぐ下の妹のことは、母曰く
「あの子はしゃべれる、から。あなたは、しゃべれない、でしょう」と。「私って喋れていないの?」
「うん、むり。あなたは、しゃべれていない。あの子は、ちょっと聞こえてるから」と母はいう。
実際は、妹は聞こえてはいないんだけど。
母は「あの子は聞こえてるから」って言ってた。
だから、あの子はふつうの学校に行かせたほうがいいって、ことになったんだって。でも、それは当時の私には理解できなかった。
「あなたは、耳が『重い』」て言われて、どういうことなんだろう?と思ってた。
妹と私、同じじゃないの?
重いって何?
私には理解できなかった。ずっと。ずっと思ってた。
それって聴力障害の程度のことなんだったんだよね。
私は、100dB超えてたから。妹は、90dB、だったかな。私よりはちょっと軽かったのかな。
だから、ふつうの学校に行かせたんだって。

●でも90dBと100dBあんまり変わらないような気がします…。70と90はそりゃ違いますけども。90と100はほぼ同じようなものな気がする…
そうだよね。妹は、苦しんでた。学校で勉強についていけない、先生の話していることが早すぎて口が読み取れない、分からない、と苦しんでた。
自分は基本、聾学校でのほほんとしてたのだけれど。
私と妹、あまりにも違いすぎた。自分は聾学校で、ぼーっとしてたのに。妹は、学校の中で苦しんでいたの。
妹はよく父に訴えてた、学校が辛い、これが辛い、あれが辛い、と訴えてた。

●聾学校で、宿題はあったのですか?
ある。宿題ね、あった。あるんだけど、学年対応ではないから、教科書というか…宿題というのは、考えて解くというものではなくて、単なる反復練習というか…漢字の書き取りとかね。
社会も、文章をそのまま書き写す。ちゃんと書き写せていたらOKだった。
書けていなかったら怒られるの。こっぴどく怒られた。

●そのまま写すだけなんですよね?それができていないから怒られるというのはどういう意味ですか?
そう、一言一句違えずに書き写す。計算問題とかはないのよ。ただ書き写す。コピーみたいなもんだよね。
だから頭は何も働いてない。ここからここまで書き写すように、といわれて、それをやる。そしてそれを提出する。
みんな、真面目に出してた。なぜかって。忘れたらゲンコツだから。
脳天ゲンコツ。痛いゲンコツが嫌だからみんな真面目に、忘れずに出した。
母は、すごいね、と褒めてくれていた。宿題を熱心に真面目にやってるから。
違うのよ。ゲンコツを回避したかったから。
母は、でも宿題を真面目にやってることは偉いわ、と言っていた。
そうじゃなかった。ただ書き写すだけって面倒で仕方なかった。
ただ書き写すだけなんだもの。面倒よね。
だけど母は、これは先生のおっしゃったことだから、と。父に言っても、いや母は、母に言ってもあまり聞いてもらえなかったな。

●小1~小3まで、その…、自分にとって意味のない勉強だったと感じてますか?
うん勉強になってない。遊ぶというか、ぼーっとしてた。
発音練習をちょいちょいやって、おしゃべりして、ぶらぶらして。
そういう状況だったから。
何か、意識的に、新たなことを学ぶ、覚えるそういうことは全くなかった。

●運動会はありましたか?その練習もしたんですよね。他行事で、学芸会もありましたか?
あった。学芸会はやったね。
運動会の遊戯は、みんなで動きを揃えて、踊ったね。
学芸会の劇は、ねずみの嫁入り、とか色々。手話はなし。手話なかったのよ。口だけで、台詞を、ぺちゃくちゃ言ってた。滑稽よね。
劇練習で、台詞を聞いていた先生は、よしいいぞ!って言ってた。ええ?って思った。自分の発音は壊滅的って自分でもわかってた。
でもやるしかなかった。台詞を口だけで言った。そして劇は終わった。
でも、親に言われたの、父親が劇を見に来てくれていて。でも、父ははっきりしなかった。
劇どうだった?と聞いても、口を濁すだけ。
何か思ってることがあるのならはっきり言って、と伝えた。
そしたら、劇見ても何言ってるかわからない、と。それだけ。

●お父様、それはっきり仰ったんですか?!
うんはっきり言う父だったの。何を言ってるかわからないんだ、ごめん、と。
そうなんだ分からないんだ‥‥
自分の声がおかしいって自分でもわかってる。声でなんか話せない。
手話で話したかった!
なのに、声だけで台詞を言わなくちゃならなかった。
舞台の上で、声だけで演じなきゃいけなかった。
こんなふうでいいのだろうか?って違和感を持ってた。自分にとって、いいことだとはあまり思えなかった。
同級生の1人が、少し聴覚障害の程度が軽めだったの。小2までふつうの学校に行ってた。けど勉強についていけなくて、小3で聾学校に転校してきた。彼女は発音できる。
もちろん聞こえる人ほどじゃないけど、喋れてた。
劇でも、台詞の発音はきれいだったと思う。
だから、その子については、父は
「あの子は発音がきれいだ、聞いて分かる、おまえは何言ってるかわからないんだがな」と言ってた。

●それにしても、お父様はっきり言いますね!うちの父は何も言いませんでしたよ。いやあ…怖いお父様ですね‥‥
うん言う人なの。言われた私はショックだった。
だから、私はこんなふうに思ってた。
声は無理なのよ、声で話せっこない!声は、どうしたって無理。だって聞こえていないんだから!
私はその子に聞いたの。その子は、自分の声が分かってるみたい。
自分の声が聞こえてるってことなんだろうけど、自分の声を聴いて、調整が少しできる部分があって、少しだけ自分の声が分かる、と言ってた。
どういうことなんだろう。自分には分からない。自分にはできない。
他の同級生も同様だった。
私の同級生のうち、1人がその、聴力が軽めの子で、少し話せた。あとの3人はダメだったね、発音が不明瞭でできていない。
一生懸命話して、発音練習を繰り返して、とにかく声を出してた。
台詞を何度も読んで、発音して、頑張ったね。
先生は繰り返し聞いているから、何度も聞く声だから分かるよね。聞き慣れてるから分かる。私たちの台詞を、いいよ!OK!って言ってた。
だから私は、準備万端だと思って舞台に臨んだ。
でも、父は、初めて聞く台詞。舞台を見て、これが劇か、と思ったんでしょう。
父親は、子どもに対して、嘘で褒めることはしない人だった。褒めてくれたことはなかった。
少なくとも父のほうは、褒めない人だった。
私たちが劇で言ってることが伝わってないんだ、とショックだった。
何のため?何のために劇をやったのか、何のためにあるのか?それが分からなくなった。

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