きたくま

聾者の物語。 ”一つとして同じ話がない。どの人にもその人の声があり、それが合唱となる…

きたくま

聾者の物語。 ”一つとして同じ話がない。どの人にもその人の声があり、それが合唱となる。人間の生涯と同じ長さの本を書いているのだ、と私は得心する。” 「戦争は女の顔をしていない」(スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ)

最近の記事

ポチ(1970年代生まれ)

生まれたときは、聴こえてたみたい。 1歳・・・2歳になる前かな、咳が出だして、気管支をやったのかな、なかなか良くならなかったの。だから病院に行って、熱もあったし、病院で注射を打ってもらったの。しばらくして元気になったんだけど、なんか様子がおかしかったみたい。たまたま、叔母が看護師で家に来ていて、私の様子をみて、これはおかしいと気づいたの。名前を呼んでも反応がないし、これはおかしいということで病院に行ったの。 それで耳が聴こえていないことが分かって。 紹介状をもらって、T

    • ゆ~たん(1970年代前半生まれ)

      聾学校の同級生は何人だったんですか?幼稚部は…15人かな? 15人くらいだったと思う。 うん15人。ばら組、ゆり組、2つ組があったから、組2つに分かれて、10…15人。 うちの同級生は、なんだろう、よくは知らないんだけど、勉強できる人が多かったらしくて、ふつうの学校に行った人が多かった。 あっ、Zさんも、一応、私の同級生。幼なじみ。 あの団体、演劇活動の。今はもうやめたそうだけど。 その人も私の幼なじみ。 びっくりだよね。 それと2人目、卓球の、知ってるかなあ、デフリンピ

      • ホープ(1978年生まれ)

        (聾学校幼稚部から小3まで聾学校。一般学校に、小3をもう一年やる形で編入) 家は聾学校のあるA市ですか? いやここ。C町。だから聾学校では寄宿舎生活。3歳から小学3年まで寄宿舎。 土曜日も学校があったでしょ。学校は午前まで。 昼から、B町というところがあって、そのB町の人と、ここのC町に先輩がもう1人いて、そして私の3人で、親、父親だね、親が交替で送迎をしたの。 送り迎えを交替で。そして月曜日の朝も、交替で聾学校まで送り届ける。 3人乗り合わせて聾学校に行き、帰省も3人で

        • あすか(1968年生まれ)

          (授業中に先生の命令で同級生からも暴力を受けたことについて) そう、先生だけでなく。先生が命令したの。先生が、命令、したの。私のことを、みんなで殴ってくださいね~、ケンカしてください~って。 みんなは、はいって受け入れた。私のところにみんながやって来て、ボコボコ殴られたんだ。 小4のときだったと思う。 ●それは「ケンカ」じゃないですよね?1人に対する一方的な暴行ですよね?そうそう、そのとおり。 うん、そうね、最初は私。マジ痛くて…。本当に痛かった。 ●何歳だったんですか

        ポチ(1970年代生まれ)

          マルコ(1976年生まれ)

          (「少年の主張」に聾学校代表で出た話)なぜテーマに「将来の夢」を選んだのか、その理由は…多分、中学の頃の私は、将来の夢を描けないのを「耳が聞こえない」せいにしていた。 分かるかしら? 自分が、将来の夢をテーマに選んだ理由は、それを社会になげかけるときに、私は耳が聞こえないから、将来の夢は何?と問われても、答えられない考えられないことがある。 お医者さんになりたいと思っても、聞こえないから無理じゃん、というのが自分のなかにあった。 私はお医者さんになりたいと思っていて、それは

          マルコ(1976年生まれ)