高校からの帰りに、私は聾学校にぶらりと寄った。身体に馴染んだ校舎を、私は好きに歩き回った。
私は、放課後、いくつかの書店を回る一人きりの「部活動」を行っていた。書店巡りのコースは日々変わり、私の足はどんどん高校からも自宅からも離れていく日もあった。
ある冬の日、いくつめかの書店を出たとき、あたりはすっかり暗くなっていた。もういいかげんに家に帰ろうと決め、私は家に足を向けた。そうしていると、聾学校が近いことを思い出した。最後に出た書店から家までの帰り道に、聾学校があった。聾学校のことを思ったとたん、私の頭は聾学校の映像イメージでどんどん占められていった。聾学校に私はずんずん向かっていった。私の家は聾学校から近かったが、高校からの帰り道からは大きくそれていた。私は高校卒業後、聾学校にそれまで一度も行ったことがなかった。不思議と、聾学校に行こうとそれまで思いもしなかった。
私が聾学校を卒業してから、すでに3つの季節が過ぎていた。私は昼休みを、トイレの個室にこもって過ごしていた。
聾学校の門をくぐると、すぐ目の鼻の先に玄関があった。その距離感さえ懐かしく感じた。聾学校は生徒用と教員または来客用で玄関が分かれていて、横並びになっていた。私は一瞬どちらの玄関から入ろうか迷ったが、もう生徒ではないのだから、と思って来客用の玄関から入った。
勝手知ったる聾学校、ドアをあけて、靴をぬぎ、あがりかまちにあがった。靴をきれいに揃え、来客用スリッパに履き替えた。玄関の右側にある事務室の窓にちらりと目をやると薄暗く、誰もいないように見えた。もうみな帰宅してしまったのかもしれない。誰にも会わないまま、私は廊下に出た。廊下は玄関に横に面していて、左手にちょっと行けば職員室があった。私は右に折れて歩いた。
ゴミを捨てた小さい焼却炉のドアの前を通り過ぎた。そのドアのノブの感触、ドアの重さも合わせてありありと思い出された。それは、私の手に何年もかけてしみついた手触りと重さであった。
そのまま先を進むとすぐ突き当たりになった。すぐ突き当たりになる廊下に、私が今通っている高校との違いを思い、私はおかしい気持ちになった。
私は高校では、常にあたりに素早く視線を這わせながら、歩くようなところがあった。他者のまなざしを恐怖と感じ、何も見ないようにしていたときもあった。
だが、このときばかりは、私は、自分の好きに見て、好きに歩いた。
その突き当たりから、聾学校児童生徒の作品展示ロードが始まる。壁には、自分の先輩や後輩、同級生の絵や作品が掛けられていた。私が卒業したときのまま、全く変わっていなかった。私が聾学校を卒業して1年も経っていなかった。
絵を眺めながら、私はことさらゆっくり歩いた。聴力検査室、音楽の教室、女子更衣室、男子更衣室・・・と廊下の両脇を見やりながら、歩いた。2つほど突き当たりを折れて、体育館に私は向かっていた。体育館に行こうと思い決めて歩いていたわけではなかったが、体育館にそのまま向かった。
外の薄暗さがそのまま体育館内にも入ってきていた。体育館に入ると、先客がいることに気付いた。この日、私がぶらりと聾学校内に入って、初めて会った人であった。先客は男性で、20代前半ぐらいに見えた。見覚えはなかったので、私が小さい頃の卒業生だろうかと思った。
私たちは挨拶も交わさなかった。そこへ、私が中学部の時に教わったH先生がやってきた。私は職員室には寄らなかったので、H先生が現れたことに驚いた。その先生もまた、私がいることに驚き、簡単に私に挨拶をやってから、男性の卒業生のもとへ行き、話しだした。私は2人の会話に入らず、やや離れたところで、待っていた。会話内容を聞く気持ちはなかった。
そしてH先生はその男性との会話を終え、私のところへ向かってきた。私はH先生との会話に、自分から話題を出すことはなかった。私はすべてH先生からの振りに答える形で、ぽつぽつと話した。H先生は、「頑張れ」とも「大丈夫?」とも言わなかった。私とH先生の会話は5分かそこらで終わったような気がする。
H先生の言っていることはすべて私にはわかった。また自分も、H先生に対しては、声を出して話すことには抵抗はなかった。だから、声を出したくなかったわけでも、話したくなかったわけでもない。しかし、話題が思いつかず、話が続かなかったような感じだった。
現在進行形で送っている高校生活のことは、話題の形にすることもできなかった。
そこにいた卒業生は、先に帰ったのか、私がH先生と話している間も体育館内のやや離れたところにいたのか、私は覚えていない。覚えているのは、私はその卒業生とついに会話をすることはなかったということだ。私は体育館を出、誰とも会わないまま聾学校玄関を出た。そして今度こそ、家に帰った。
その日を境に、私は聾学校にふらりと立ち寄るようになった。自転車通学の夏に寄ったこともあった。聾学校に寄っては、黙って校舎に入り、校内をペタペタと来客用スリッパでゆっくり歩き回った。
しかし、頻繁に寄っていたわけではなかった。高校3年間のうち、聾学校に寄ったのは、5回ぐらいか、多くても10回はなかったと思う。私は一度も職員室には寄らなかった。
私が最初に聾学校に寄ったときに体育館に居た、その卒業生はおそらく市内で就職し、働いていたのだろう。
彼はどんな仕事についていたのだろうか。
私がたまらず聾学校に立ち寄ったように、同じく彼自身も、聾学校で「充電」をしたかったのかもしれない。H先生が体育館に現れたのは、おそらく、体育館で待ち合わせか何か約束をしていたのだ。そこへ、私がかちあったということだろうか。
聾学校には相変わらず手話はなかった。
そして私自身も、手話も筆談さえもまだ知らなかった。
それでも、聾学校の教室内の光るチャイムに、小さな体育館に、すぐ突き当たりがくる廊下に、私の身体全体がぴったりはまる感覚だった。聾学校校舎はすっかり、私の身体に馴染んでいた。
聾学校のなかを、私はたゆたった。
わずかばかりの「充電」であった。
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