『鎌倉殿の13人』第40話を見ました。後鳥羽上皇の策略で身内が謀反に巻き込まれそうになった和田殿は赦免を乞いますが、甥だけは助け切れず流罪にされてしまいます。義時はそれを良い機会だと和田一族を滅ぼそうとしていたところ、彼等の北条への不満が爆発し和田合戦が勃発する事になりました。
『鎌倉殿の13人』第41話を見ました。蜂起した和田殿は謀反人とされ、鎌倉での市街戦の果てに殺されました。その有り様と戦で傷ついた民の姿を目の当たりにした実朝は、政治には武力が必要だと言う義時に対抗するように、朝廷との関わりを深める決意をします。それは全て京の企み通りだったのです。