長谷部浩

自由に長い劇評を書きたい。そんな願いが高まってきましたので、NOTEを選びました。 書…

長谷部浩

自由に長い劇評を書きたい。そんな願いが高まってきましたので、NOTEを選びました。 書くことは、今も、大好きです。読者のみなさんが、こんな考えもあるのかと、 思っていただけるような評でありたいと思っています。

マガジン

  • 長谷部浩のノート お芝居と劇評とその周辺

    歌舞伎や現代演劇を中心とした劇評や、お芝居や本に関する記事は、このマガジンを定期購読していただくとすべてお読みいただけます。月に3から5本程度更新します。お芝居に関心のあるかたに愉しんでいただけるとうれしいです。

  • 贔屓といえば中村屋

    十八代目勘三郎亡き後、勘九郎、七之助の兄弟が力を合わせて家を隆盛に導いているのは感動的でさえあります。コクーン歌舞伎、平成中村座のような勘三郎の遺産も、この世代にふさわしくアップデイトして、観客を入れようと、懸命に智慧を絞っているのがわかります。思わず応援したくなるのが中村屋です。

  • 天才と名人 中村勘三郎と坂東三津五郎

    今もあふれる悲しみ。『天才と名人 中村勘三郎と坂東三津五郎』(文春新書)を書くことになったのも、私にとっては宿命だったような気がしています。いつまでも忘れられず、記憶のなかで生き続けるふたりの名優の思い出。

  • 天才と名人の息子たち。勘九郎、七之助、巳之助のいま。

    十八代目中村勘三郎、十代目坂東三津五郎とは、筆者と同世代でもあり、彼らの舞台を熱心に観てきました。歌舞伎の伝承の基本には、家の藝があります。勘九郎、七之助の中村屋、巳之助の大和屋が、これから、ますます太い幹となるように願っています。

  • 本棚に人生がある。

    思えば、本ばかり読んでいた。幼い頃からひとりの時間が多かったので、他にすることがなかったからで、こんな人生になってしまった。けれど、もちろん後悔などない。今日も、明日も、明後日も、きっとまた、本に手が伸びる。頁をくる。そして読み、閉じる。このマガジンには、そんな読書からこぼれ落ちた雫を掬い取っていきたい。

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    権力と孤独――演出家 蜷川幸雄の時代

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    天才と名人 中村勘三郎と坂東三津五郎 (文春新書)

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    坂東三津五郎 歌舞伎の愉しみ (岩波現代文庫)

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    坂東三津五郎 踊りの愉しみ (岩波現代文庫)

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    権力と孤独――演出家 蜷川幸雄の時代

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    天才と名人 中村勘三郎と坂東三津五郎 (文春新書)

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    坂東三津五郎 歌舞伎の愉しみ (岩波現代文庫)

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    坂東三津五郎 踊りの愉しみ (岩波現代文庫)

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最近の記事

【劇評356】在りし日の朝倉摂の姿が、あざやかに蘇ってきた。文学座『摂』

 舞台美術家の朝倉摂さんがなくなって、あっという間に十年が過ぎた。  劇場でおめにかかると「これ、バカだね」とおっしゃるのが常だったけれど、歯切れのよい調子なので、悪意は感じられない。朝倉さんの批評眼からすると、おおよその舞台は「バカ」に思えたのだろう。  文学座が『摂』(瀬戸口郁作 西川信廣演出)を上演すると聞いて、なるほどと膝を打った。朝倉摂の娘、富沢亜古が、摂の母耶麻子を演じると聞いて、期待が高まった。  紀伊國屋ホールで観た舞台は、いくつかの点で私には興味深く覚

    • 【劇評355】神も善意も金銭も恋も。蠱惑の舞台。白井晃演出の『セツアンの善人』を観た。

      中銀カプセルを呼び出す 二〇二二年に解体された中銀カプセルタワーは、歌舞伎座からほど近い場所で異彩を放っていた。  建築家黒川紀章の代表作であり、シンプルな立方体を積み上げた設計だった。ベッド、収納家具、バスルーム、テレビ、時計、冷蔵庫が標準装備されていて、ミニマムな住宅であり、都市の細胞でもあった。  白井晃上演台本・演出の『セツアンの善人』(酒寄進一訳)の舞台には、このカプセルタワーを思わせる装置が組まれている。正面と下手には、仮説のはしご。それぞれのカプセルのうがた

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      • 「三田文學」秋季号に、勘九郎の『髪結新三』の悪、その色気について書きました

         「團菊爺から勘三津爺へ」と題して、雑誌「三田文學」に時評を書きました。ご想像の通り、早くになくなった勘三郎、三津五郎へのオマージュです。時評としては、今年の八月納涼歌舞伎、勘九郎が初役で勤めた『髪結新三』を取り上げています。  この舞台は、NOTEでもすでに「勘九郎の『髪結新三』果敢な挑戦」と題して書いていますが、「三田文學」では、父勘三郎をなぞるのではなく、悪の魅力を発散する勘九郎について綴っています。どうぞ、お読みください。

        • さん喬の独演会。毎年一度の逢瀬

          浮き草の暮らし  コロナをまたいで、さん喬の独演会に通っている。  浮き草のような暮らしをしていた若い自分は、ずいぶん寄席に通った。パリーグの試合も後楽園球場でよく見たから、毎日の身の処し方がよくわからなかったのだろうと思う。  勤めに出るようになって、忙しくなった。  二十五歳くらいからは演劇評論の仕事も始めた。  激務をぬって、劇場に通い、批評を書いてきたから、時間がなかった。土曜日曜日に仕事をするのも当たり前だと思って来た。ヨタロウの生活から一転して、四十年余り、

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        【劇評356】在りし日の朝倉摂の姿が、あざやかに蘇ってきた。文学座『摂』

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        • 天才と名人の息子たち。勘九郎、七之助、巳之助のいま。
          53本
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        • 天才と名人 中村勘三郎と坂東三津五郎
          91本
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        • 本棚に人生がある。
          31本
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        • 仁左衛門と玉三郎の永遠。
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          近松は女をどう見ていたのか。松井今朝子の『一場の夢と消え』

           松井今朝子の『一場の夢と消え』を読み終わる。歌舞伎を題材に数多くの小説を発表してきた作者の総決算というべき作品である。劇界の巨人、近松門左衛門の生涯を網羅的に書いている。かといって研究書の堅苦しさはない。近松の実人生とその作品をいかに泳ぎ渡るか、小説家の想像力と研究者の実証性を兼ね備えていて読ませる。

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          近松は女をどう見ていたのか。松井今朝子の『一場の夢と消え』

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          近隣の家から清元が聞こえてくる。その情調を『婦系図』で味わう。

           余所事浄瑠璃(よそごとじょうるり)には、格別の情緒がある。  近隣の家から、清元などの音曲が聞こえてくる。伴奏音楽ではなく、劇中のなかに組み込まれていて、近所で稽古をしているお師匠さんや藝人が呼ばれている座敷の様子を観客に想像させる。劇では男女の別れの哀しみが描かれている。そこに、音曲の情調が加わるのだから、こたえられない。 江戸と地続きだった明治  十月歌舞伎座夜の部『婦系図』(成瀬芳一演出)は、小唄と清元が効果的に使われていて、江戸と地続きだった明治という時代をし

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          近隣の家から清元が聞こえてくる。その情調を『婦系図』で味わう。

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          【劇評354】歌舞伎座夜の部。『婦系図』と『源氏物語』に伝承の意味を考える。七枚。

          歌舞伎の伝承について  歌舞伎の伝承について、この頃考えに沈む。  十八代目勘三郎、十代目三津五郎が亡き今、大切なリングが失われた。彼らより年代が上の大立者と若手花形へいかに藝が伝えられるのか。先頃、松竹から発表になった三大名作、『仮名手本忠臣蔵』、『義経千本桜』、『菅原伝授手習鑑』の連続上演も、この危機意識がようやく現実の演目に反映したとも思えてくる。  さて、錦秋十月大歌舞伎、夜の部は、鏡花の『婦系図』から。本来、新派の演目である。「本郷薬師縁日」「柳橋柏家」「湯島境

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          【劇評354】歌舞伎座夜の部。『婦系図』と『源氏物語』に伝承の意味を考える。七枚。

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          『アメリカの悪夢』は、大統領選を控えて、現実を直視せよと、日本人に語りかける。

           なぜアメリカへの渡航を控えていたか  今、必要な本はなんだろうと考えてみた。 ディヴィッド・フィンケルの『アメリカの悪夢』(古屋美登里訳)は、大統領選まで一ヶ月に迫った今、トランプの悪夢とはなにかを考えるために、きわめて有用な本だと思う。  トランプが大統領だった時代、私はアメリカに渡航するのを控えていた。民主党支持者だからではない。ドナルド・トランプのような人物を大統領に選出する国に足を踏み入れたくないと直感的に思ったからだ。  本書は、こうした直感がなぜ生まれるの

          『アメリカの悪夢』は、大統領選を控えて、現実を直視せよと、日本人に語りかける。

          随想のふりをしながら核心に踏み込む

           東京新聞に書評を書きました。現代台湾の作家クオ・チヤンシェンの『ピアノを尋ねて』です。亡き妻が家のどこかにいる感じが、村上春樹の短編『トニー滝谷』と似ているなと思いながら読み進めました。連想が浮かんでも、書評に書くとなるとまた別の話になります。  書評の対象からすこし距離をとって、随想のふりをしながら核心に踏み込むことができないか。そんことを考えながらこの頃は書いています。  以下のリンクから無料でお読みいただけます。 https://www.tokyo-np.co.jp/

          随想のふりをしながら核心に踏み込む

          【劇評353】出口のない現実は、いつまで私たちを苦しめるのか。劇団昴の『広い世界のほとりに』。

            なぜと舞台は語る なぜ、ひとは自分が望んではいない未来へと、転げ落ちていくのだろう。  サイモン・スティーブンスの『広い世界のほとりに』(広田敦郎訳 眞鍋卓嗣演出)を観て、深いため息をついた。  この戯曲は、英国マンチェスター郊外のストックボートに住む家族の混迷と失望を描いている。住宅の修理を生業とするピーター(江崎泰介)と妻のアリス(落合るみ)は、ふたりの息子を育てている。  長男のアレックス(笹井達規)と恋人のサラ(賀原美空)は、地元で働きつつも、未来が見えな

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          【劇評353】出口のない現実は、いつまで私たちを苦しめるのか。劇団昴の『広い世界のほとりに』。

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          【劇評352】苛酷な現実に向かい合う演劇の想像力。『Someone Who`ll Watch Over Me〜私を見守ってくれる人〜』。

          世界の現実を見つめる ウクライナやガザ地区での紛争を受けて、苛酷な状況にいる人々を私たちは、映像や報道を通じて毎日見ている。双方の陣営に少なからぬ捕虜がいて、その救出は家族にとって、どれほど重大な問題であることか。  捕虜の今、置かれている状況は、どれほど残酷なものなのか。理念としては理解していても、私たちは、その現実から目をそらしてはいないか。  一九九二年にフランク・マクギネスによって書かれた戯曲『Someone Who`ll Watch Over Me〜私を見守

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          【劇評352】苛酷な現実に向かい合う演劇の想像力。『Someone Who`ll Watch Over Me〜私を見守ってくれる人〜』。

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          まっとうな芝居だが、正しいだけではない。人間に焦点があう『Someone Who`ll Watch Over Me〜私を見守ってくれる人〜』の達成

           至極まっとうな芝居を観た。  文学座有志による自主企画『Someone Who`ll Watch Over Me〜 私を見守ってくれる人〜』(フランク・マクギネス作 常田景子演出)の舞台は、レバノンの捕虜として、理由なく捉えられた三人の男性を描いている。アメリカ、アイルランド、英国出身の三人が、極限状況にいる姿を活写しているが、演出の松本祐子にブレはない。鎖で足を繋がれ、自由を奪われるとはどんなことか。執拗なまでに、肉薄している。  ガザ地区に、あるいはイスラエルに囚わ

          まっとうな芝居だが、正しいだけではない。人間に焦点があう『Someone Who`ll Watch Over Me〜私を見守ってくれる人〜』の達成

          黒い肌のダンサーによって上演されたピナ・バウシュ振付『春の祭典』が、呼びさました記憶。

            ピナのいない日常  二○○九年六月、ドイツを代表する振付家ピナ・バウシュがこの世を去った。  第二次世界大戦で敗北したドイツ、しかも西ドイツの代表として、ナチスの幻影を振り払い、コンテンポラリーダンスの分野をリードする作品を作りだしてきた。頻繁に世界ツアーを行い、戦後ドイツの文化水準を世界に知らしめる役割を負っていたように思う。  私がはじめてピナ・バウシュとヴッパタール舞踊団の舞台に接したのは、一九八六年九月の来日公演だった。プログラムAは、『カフェ・ミュラー』と

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          黒い肌のダンサーによって上演されたピナ・バウシュ振付『春の祭典』が、呼びさました記憶。

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          のたうちまわる演出。藤田俊太郎『リア王の悲劇』をめぐって

           のたうちまわって演出をする。蜷川幸雄さんは、自らの演出について、こんな言葉を使った。日本でももっとも恵まれた立場にいならがも、演劇は集団作業である以上、すべてが思い通りになるはずもない。まして、シェイクスピアにも、ギリシア悲劇にも、見上げれば遙かな上演史がある。すべての意味で、「のたうちまわった」人生だったのだろうと思う。  横浜のKAATで『リア王の悲劇』(シェイクスピア作 河合祥一郎訳)を観た。演出の藤田俊太郎が、師蜷川の遺髪をつぐべく「のたうちまわって」演出している

          のたうちまわる演出。藤田俊太郎『リア王の悲劇』をめぐって

          【劇評351】俳優、峯村リエへの巧みなオマージュ。『ミネムラさん』の慈愛あふれる世界

            注目の劇作家 今、注目の三人の劇作家、笠木泉、細川洋平、山崎元晴が、俳優、峯村リエのために、新作を書き下ろす。ここまでは、例がないわけではないと思うが、全体のタイトルが『ミネムラさん』となれば、虚実が入り交じった演劇の本質に斬り込むのではないかと期待された。  こうした予想を覆すように、劇壇ガルバの主宰山崎一と演出の西本由香は、さらに智慧を絞って、企画・構成にひねりを加えた。当日、受付で配布された配役表を見ると、細川の作には、峯村リエの名前がない。三人の劇作家による

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          【劇評351】俳優、峯村リエへの巧みなオマージュ。『ミネムラさん』の慈愛あふれる世界

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          多文化を受け取ることの難しさ。ピナ・バウシュ『春の祭典』の現在

           ピナの振付を新しいプロダクションで再生させた『春の祭典』を見た。ヴッパタールによって初演された舞台は、肌の色が異なり、育った母語も違うダンサーたちが、混ざり合ってふたつの集団を作り上げ、ストラグルをおこすところにあった。  今回のプロダクションは、躍動感と野性に満ちあふれている。ただ、これは私の問題だけれど、黒い肌のダンサーで統一されていると、おそらく、それぞれが持っている異なる文化的背景を読み取ることがむずかしくなった。このあたり、短文にまとめるのは、誤解を生むかもしれな

          多文化を受け取ることの難しさ。ピナ・バウシュ『春の祭典』の現在