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仁左衛門と玉三郎の永遠。

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歌舞伎を長年のあいだ支えてきた片岡仁左衛門と坂東玉三郎の舞台を集めたマガジンです。ふたりが競演した『桜姫東文章』はじめ、近年の作品について書いた劇評を網羅しています。永遠の二枚目… もっと読む
仁左衛門と玉三郎の舞台を、永遠に見たい。そんな気持でマガジンを作りました。
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記事一覧

【劇評332】仁左衛門、玉三郎が、いぶし銀の藝を見せる『於染久松色読販』。

 コロナ期の歌舞伎座を支えたのは、仁左衛門、玉三郎、猿之助だったと私は考えている。猿之助がしばらくの間、歌舞伎を留守にして、いまなお仁左衛門、玉三郎が懸命に舞台を勤めている。その事実に胸を打たれる。  四月歌舞伎座夜の部は、四世南北の『於染久松色読販(おそめひさまつうきなのよみうり)』で幕を開ける。土手のお六、鬼門の喜兵衛と、ふたりの役名が本名題を飾る。  今回は序幕の柳島妙見の場が出た。この場は発端であるが、単なる筋売りではない。千次郎の番頭の善六と橘太郎の久作京妙の茶

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【劇評317】歌舞伎座で歌舞伎らしい歌舞伎を観た。仁左衛門が融通無碍の境地に遊ぶ『松浦の太鼓』。

   十一月歌舞伎座、夜の部は、久し振りに歌舞伎を観たと実感できる狂言立てだった。世代を超えて、未来に残すべき狂言を一気に観た。  まずは秀山十種の内『松浦の太鼓』。播磨屋、中村屋が家の藝としてきた演目だが、仁左衛門の松浦公は、融通無碍で、この性格に一癖ある小大名の人間がよく見えてくる。  なかでも、松浦邸の場で、歌六の宝井其角を相手に、怒り、拗ね、笑い、喜ぶありさまを、見事に見せる。  本作は、いわずと知れた『忠臣蔵』外伝だが、忠義を尊く思う武士の世界のなかで、これほどま

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【劇評305】仁左衛門、渾身の「すし屋」。目に焼き付けたい舞台となった。

 六月大歌舞伎夜の部、初日。  自由闊達な『義経千本桜』を観た。  仁左衛門が芯となって目をとどかせるのは「木の実」「小金吾討死」「すし屋」。型を意識しつつ、とらわれすぎない仁左衛門の境地にうなった。  「木の実」は、平維盛の行方を捜す妻の若葉の内侍(孝太郎)とその子六代君(種太郎)とお供を勤める家臣の小金吾(千之助)が、下市村の茶店で休んでいる。六代君の腹痛を起こしたため、茶屋の女実は権太の女房小せん(吉弥)に薬を求める。村はずれで身体を休ませる一行の哀しさ、旅の疲れを

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【劇評299】舞台は、役者の人間性を競う戦場なのか。仁左衛門、玉三郎の『与話情浮名横櫛』。松緑、左近の『連獅子』

 私が好きだった歌舞伎は、いつまで観られるのだろう。そんな不安が取り憑いて離れない。けれども、舞台は、役者の人間性を競う戦場だと考えるなら、歌舞伎に対する造詣など、よそに置いて、自分の勘で、役者の人間を観ればいい。最後はそれだけかもしれない。  鳳凰会四月大歌舞伎は、昼の部は猿之助を中心に若手花形を鍛える『新・陰陽師』。企画を聞いたときに、歌舞伎に対して中期的な目標を持っているのは、猿之助なのだなあと実感したのを覚えている。  さて、夜の部は、仁左衛門、玉三郎の至芸を楽し

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【劇評297】美と醜、対話と独白。人間の根源に迫る玉三郎の『髑髏尼』

 なぜここまで暗い芝居をあえて舞台にのせるのか。  吉井勇作、坂東玉三郎演出、今井豊茂補綴の『髑髏尼』を観て、正直いっていぶかしく思った。  吉井勇の作は、大正六年。風変わりな歌舞伎が好まれた時代の初演である。筋書によると、玉三郎は昭和三十七年に、六代目歌右衛門の髑髏尼、十七代目勘三郎の七兵衛と平重衡で上演された舞台が目に残っていると語っている。今回の舞台は、幼い頃に観たこの特異な上演を、玉三郎独自の美意識によって再構成したのだろう。  第一場の都万里小路は、平家が都を

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【劇評175】現世の人の身の背後に、亡霊が。玉三郎の『口上 鷺娘』にこぼれる悲しみ。

 一九八六年にアンドルー・ロイド・ウェバーによるミュージカル『オペラ座の怪人』が誕生した。ガストン・ルルーの小説を原作とした舞台は、世界を席巻した。才人、加納幸和は二○○一年に福島三郎との共同台本で、『かぶき座の怪人』という自由な翻案を作り上げたのを思い出す。  この九月、第四部に用意されていたのは、映像×舞踊 特別公演と副題がついた『口上 鷺娘』である。  襲名でも追善でもないから、「口上」は地方巡業でよく行われるようなご当地での挨拶と思っていた。  この予想は見事に裏切

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【劇評182】仁左衛門が人の目利きをする「石切梶原」。残念だが大向うを欠く。

 すでに定評のある仁左衛門の「石切梶原」。二○○三年十一月歌舞伎座での上演とは、キャストを一新して、清新な舞台となった。  今回の眼目は、仁左衛門の梶原平三のたたずまいにある。  彌十郎の大場三郎と男女蔵の俣野五郎に、刀の目利きを依頼される物語だが、ここで仁左衛門は、人の目利きを行っている。  刀を持ち込んできた歌六の六郎太夫とその娘、孝太郎の梢の人品人柄。罪人とはいえ試し切りをしなければ目利きを信頼出来ない大場と俣野。  さらにいえば、娘を遠ざけ、自らも試し切りにされて

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【劇評190】仁左衛門の『毛谷村』の粋。踊り二題は、梅枝の自在。鷹之資、千之助の懸命。

 広大なロビーを一階と二階に持つ幸福。トイレために行列もできにくい。幕間取れる。三密もおのずと避けられる。国費を投入した権威主義的な建物が、こんなときに役に立つものだと妙なところで感心した。  今月の第一部、第二部は、時間の制約はあるものの歌舞伎を観る醍醐味がある。  この危機に際して、国立劇場の制作はじめスタッフが、歌舞伎の未来を担保しようと懸命に智慧を絞っているのがわかってうれしくなった。  さて、第二部は、仁左衛門の『毛谷村』である。  騙されやすい剣の達人が、不思

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役者人生に微妙で、重大な影響を与える「代役」。玉三郎、三津五郎、海老蔵、菊之助について。

 代役という言葉にひかれる。  歌舞伎の世界に留まらず、代役によってチャンスを得た人は多いに違いない。  私が一九九九年から五年ほど、日本経済新聞で現代演劇の批評を書く機会を与えられたのも、代役だったと聞く。  予定していた筆者に不都合があって、亡くなった文化部編集委員の川本雄三さんが推薦して下さった。川本さんとは芸術祭の審査委員でご一緒していたときに毎日のように劇場でお目にかかった。その決め手になったのは、「観劇態度がよい」だったと周囲から聞いた。姿勢を崩さずに観ていたのが

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【劇評197】玉三郎が上代の神秘をまとって歌舞伎座に帰ってきた。

 玉三郎が帰ってきた。  十二月大歌舞伎第四部『日本振袖始』は、初日から七日まで、菊之助の岩長姫実は八岐大蛇、彦三郎の素戔嗚尊、梅枝の稲田姫の代役でまですぐれた舞台を見せていた。  八日の休演日をはさんで、玉三郎の岩長姫、菊之助の素戔嗚尊、梅枝の稲田姫という本来の配役で、ふたたび幕を開けた。  九日の舞台を観て思った。 この『日本振袖始』は、源頼光や安倍晴明が登場する平安時代の怪異譚ではない。  時は上代、文字や仏教思想が到来する前の混沌たる日本の物語なのだと思った。ここに

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玉三郎と菊之助に何が起こったのか。伝承のさまざまなかたち。

 伝承には、さまざまな形がある。  名だたる家に生まれた歌舞伎俳優にとっては、師匠であり、親でもある父との共演がまず、なにより先立つ。歌舞伎の配役は、なかなか一筋縄ではいかないが、一般に親は子を子役として使う。祖父の意見が大きく左右することもある。  次第に長じてくると、立役の親は、子を女形として、自分の相手役として使う。音羽屋菊五郎家も、このやりかたで、菊之助を育てた。つまりは、菊五郎家の家の藝、主に世話物で相手役として、菊之助を引き立てることで、役者としての成長

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【劇評206】仁左衛門と玉三郎。見交わす目と目の陶酔。

 番組が発表されたときから、舞台への思いは始まる。その期待が自分の予想どおりに満たされたとき、観客の満足は、いよいよ高まる。  二月大歌舞伎第二部は、二本とも仁左衛門と玉三郎の出演。特に『於染久松色読販(おそめひさまつうきなのよみうり)』は、昭和四十六年六月に新橋演舞場で上演されてから、「お染の七役」として、ずっと当たりをとってきた「とっておき」の出し物である。  昭和の歌舞伎が懐かしい古老も、伝説の舞台をこの目で確かめておきたい若手にも期待された舞台だった。  今回は

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【劇評211】菊五郎と仁左衛門が、切り札を揃えた歌舞伎座第二部。

 歌舞伎は古典を中心とするレパトリーシアターである。  したがって、俳優には当たり狂言、当り役があり、この人がこの演目を出すならば間違いないと、観客は予想のもとに劇場に出かける。  大立者は、自家薬籠中の狂言がいつでも出せる状態でなければならぬ。令和三年になってからの歌舞伎座は、こうした大立者の切り札を次々と切ってきた。  三月大歌舞伎の第二部はその好例である。  『一谷嫩軍記』の「熊谷陣屋」は上演頻度も高く、名演も多い。そのなかで仁左衛門の「陣屋」は、自在さによって際立

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【劇評213】第三部Aプロ。玉三郎の『隅田川』。これは夢かあさましや

 役者が積み上げてきた技藝と伝承は、どんな関係にあるのか。  歌舞伎座第三部Aプロを観て、そんな疑問が浮かんだ。まずは吉右衛門、幸四郎の『楼門五三桐』である。 石川五右衛門という世紀の盗賊のイメージを極端に拡大した演目である。南禅寺に楼門に陣取り、天下を見下ろしている。その気宇壮大さがテーマの演目である。  吉右衛門は時代物での大きさを見せる英雄役者である。国崩し、辛抱立役の第一人者であるが、こうした役者の大きさを見せる芝居でも無類の大きさで舞台を圧する。 この大きさ

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