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長谷部浩のノート お芝居と劇評とその周辺

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記事一覧

【劇評家の仕事7】文体模倣までしました。渡辺保と扇田昭彦が私に与えた影響

 劇評を書き始めた頃、十代後半から二十代は、先行する劇評家の文章をよく読んでいました。  私は一九五六年生まれだから、当時は七十年代から八十年代にかけての時期です。雑誌の『テアトロ』や『新劇』に掲載されている評をかたっぱしから読んでいった。そのなかで、私が夢中になったのは、古典では渡辺保、現代演劇では扇田昭彦の評論でした。  心酔したといってもいい。けれども、いざ、自分に書く場が与えられると、今度は、模倣にならないかが気になりはじめたのです。  ごくごく初期は、文体模倣ま

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【劇評家の仕事6】視力を失う恐怖感は、いつも頭を去らない。

 批評家にとって、何が一番大切なのか。  月並みですが、劇場に行って、資料を読み、劇評を書くためには、健康が必要です。体力、気力を支えるのは、なによりもまず、健康だろうと思います。  健康と一口にいいますが、私にとって、もっとも気になるのは眼です。  なぜ、こんな話をはじめたかというと、ごく最近、白内障の手術を受けた唐です。二年ほど前から、白内障と診断され、半年に一度の検診を受けてきました。特に進行することなく、手術は先かなと思っていたのですが、右目のにじみが感じられるよ

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【劇評家の仕事5】遊興の徒となるべく、学生時代を過ごしました

 なぜ、文藝でもなく、映画でもなく、演劇評論家になったのでしょうか。  ひとことで答えるのは、むずかしいのですが、子供のころから藝能に触れる環境があったからです。人形町の末廣亭、上野の鈴本演芸場、新宿の末廣亭の風情が思い出されます。  なかでも、今はもうない人形町がなつかしい。当時は椅子席ではなく、桟敷でした。父とふたりで毎週のように寄席に通っていました。座布団や煙草盆を持ってくると、心付けを渡す。父のその姿を見ていると、大人の世界をのぞきみているようでした。 落語家が私

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【劇評家の仕事4】中谷美紀の『オフ・ブロードウェイ奮闘記 』を読んで。

 書くのをやめないこと  演劇評論家と名乗り続けてきました。そのためには、批評を書き続けることが必要で、書くのをやめたとたんに、この職業名は捨てなければいけないと思って来ました。  女優の李礼仙は、別冊新評の『唐十郎の世界』(昭和四十五年)に収録されたインタビューのなかで、好きな言葉は?と問われ「女優でいたければ、芝居をやめないこと」と答えています。この言葉がなぜか私に取り憑いていて、評論家も同じことだと思い定めてきました。  また、「女優として気をつけるところは?」とい

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【劇評339】初代萬壽の一門の隆盛を願う気持ちが伝わってくる『山姥』

 時蔵が萬壽となり、名跡を梅枝に譲ると聞いて、ある種の感慨に捉えられた。  子供時分はいざしらず、歌舞伎を自覚的に観はじめたとき、当時は三代目梅枝を名乗っていた可憐な女方に心惹かれた。私よりはひとつ上で、同世代意識もあった。同じ年代の勘三郎、三津五郎が五十代でこの世を去ったこともあって、私にとって、萬壽と彌十郎が同じ時代を生きてきたと、共感できる役者となった。  六月大歌舞伎は、初代中村萬壽、六代目時蔵、五代目梅枝の三代が襲名する。あわせて、獅童の息子二人、陽喜、夏幹が、梅

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【劇評家の仕事3】劇評は、客観的な審判ではなく、きわめて個人的な営みです。

 劇評は、舞台の分析、位置づけのためにあります。  舞台がおもしろかったか、観るに値するかは、二番目、三番目、いや、それ以下の役割にすぎないと思っています。  もし、舞台の解説が必要なのであれば、演出家本人が書けばいいのです。この十年ぐらいポストトークがはやりなのは、集客のためだけではなく、演出家がどんな意図でこの舞台を作ったのか、その創作過程を知りたいと、観客が願っているからでしょう。  また、おもしろかったか、観るに値するかは、欧米の五つ星を頂点とする採点主義へと至る

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【劇評家の仕事2】長谷部の批評は、歴史性がないエッセイである。

 今はもうない雑誌「新劇」に劇評を書き始めました。私は二十五歳でした。また、お話する機会もあるかと思いますが、演劇評論家になろうと思ったのは、中学三年生のころでしたので、十年近い準備期間をへて、ようやくスタートを切れた。感慨深かったのを覚えています。  初期の頃、唐十郎さんや鈴木忠志さんから、過分な褒め言葉をいただきました。一方、同業の先輩達からは、批判を受けたのを思い出します。  いわく、 「なぜ長谷部の劇評には歴史性がないんだ」 「批評としては文学的すぎるのではないか

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【劇評家の仕事1】 野田秀樹の『正三角関係』を観る前に、『カラマーゾフの兄弟』を読むべきか。くやしいので私は読みます。「正三角関係」のトリプルミーニングについて。

 劇場に行く前に、戯曲を読むかどうか。  これはなかなかむずかしい選択です。  もっとも、シェイクスピアやチェーホフのような古典は、すでに戯曲を読んでいますし、異なる演出家の上演を何度も観ています。また、たとえば、新訳による上演であっても、ことさら事前に戯曲を読むようなことはまず、ありません。  ならば、新作の場合はどうか。『悲劇喜劇』のような演劇雑誌に掲載されていても、丹念に読んだりすることは、今までしてきませんでした。英・ガーディアンのマイケル・ビリントンの劇評集のタ

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河合祥一郎による『新訳 サロメ』(オスカー・ワイルド)を読み解く楽しみ。

 翻訳家・東京大学教授の河合祥一郎さんから、オスカー・ワイルドの『新訳 サロメ』をご恵贈いただいた。  河合さんのご著書は、詳細な訳者あとがきが際立っている。あとがきというよりは、この翻訳の基盤となる研究の成果が凝縮されている。今回も、英語版に先立つフランス語による著作を原本とした理由が、実に丁寧に解説されていて、読み応えがある。  なぜ、母語ではないフランス語を用いた作品なのか。それはワイルド自身の言葉によれば「まだ弾いたことのない楽器を愛するように私が愛する言語なので

松岡和子の人生に迫る『逃げても、逃げてもシェイクスピア』

二○二一年五月、松岡和子は、『終わりよければすべてよし』を筑摩書房から刊行し、シェイクスピア戯曲三十七作品の個人訳をなしとげた。松岡は単に書斎の人ではない。稽古場に連日のように通い詰め、演出家や俳優とディスカッションしながら訳業を仕上げていく。まさしく演劇現場の人であった。  草生亜紀子による『逃げても、逃げてもシェイクスピア 翻訳家・松岡和子の仕事』(新潮社)は、この困難な訳業とともにある彼女の人生を詳しく取材している。  今回、明らかになったのは、幼い頃過ごした満州国

『ライカムで待っとく』。沖縄の現在と過去が交錯する秀作。

人間は、同情によって、優越感を得る。  KAATで再演された『ライカムで待っとく』(兼島拓也作 田中麻衣子演出)は、だれの心にも眠っている差別意識をあぶりだしている。  この物語は、一九六四年の八月、普天間の飲食街で米兵ふたりと沖縄の青年四人が乱闘した事件を起点としている。米兵ひとりが死亡、ひとりが重傷を負った。青年たちは、傷害致死罪で米国民政府裁判所で裁かれた。  裁判の審理も劇中に織り込まれるが、この舞台はドキュメントに終わらない。神奈川から引っ越してきた雑誌記者浅

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【劇評338】『Medicine メディスン』は、耳も目もふさぎたくなるような現代を映し出しす。

 世界はノイズに満ちている。  しかも、ノイズは、牢獄のなかにこそ、充満しているのだ。  エンダ・ウォルッシュの新作『Medicine メディスン』(小宮山智津子訳 白井晃演出)は、世間とは隔離された施設で展開する。  コングラチュレーションの横断幕、パーティの名残で散らかっている一室に、ジョン(田中圭)が、パジャマ姿で入ってくる。姿の見えないだれかから質問され、ぎこちなく答えるところから劇は出発する。  やがて、老人のリナルなお面をつけたメアリー(奈緒)、ロブスターの着

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【劇評337】ハムレットは、颯爽たる吉田羊によって21世紀に転生した。

 陰鬱な青年の悩みから、解放された。  吉田羊主演の『ハムレットQ1』(松岡和子訳 森新太郎演出)は、ハムレット像を大きく塗り替える快作となった。  まず、吉田羊のハンサムなたたずまいが観客を引きつける。単に女優が、男優ならばだれもが憧れる役を演じたのではない。吉田羊は、颯爽たる空気をまとっている。それは、宝塚の男役が持つどこか人工的な男性像とも異なっている。  もし、デンマーク王子ハムレットが、21世紀に転生したとしたら、セクシュアリティを飛び越えた人物像になるのではな

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【劇評336】悪所の蠱惑を逆手にとった「歌舞伎町大歌舞伎」。

 歌舞伎役者がホストに扮したアドトラックが街を走った。  勘九郎、七之助、虎之介、鶴松の四人が、いかにもホストらしい衣装とメイクと背景の写真を撮り、大型トラックの横腹に並んだ。シアター・ミラノ座で行われる「歌舞伎町大歌舞伎」の宣伝のためである。念の入ったことに、それぞれの写真には、代表、専務取締役、主任、幹部候補の肩書きまで入っている。(撮影は細野晋司)  歌舞伎の宣伝としては、極めて異例だろう。けれども、江戸歌舞伎以来の悪所としての歌舞伎や劇場と連なっているように思った

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