【劇評341】細川洋平は、俳優と観客の顕微鏡的な関係を再構築する。
細川洋平が、ほろびての初期作品に改訂を加えて上演した『Re:シリーズ『音埜淳の凄まじくボンヤリした人生』』は、「ボンヤリ」観ることを許さぬ緊迫した舞台となった。
冬である。登場人物たちは、熱いコートやマフラーをして、下手の扉から登場する。中年の音埜淳(吉増裕士)は、息子の大介(亀島一徳)と、気の置けない父子のやりとりをしている。上手の机に置かれたラップトップコンピュータに向かっている。
「これは内緒なんだけどな。父さん宇宙人に会ってきた」。
私たちは、ちょっと風変わりな父と息子の生活に立ち会っているようだが、父が食パンを食べ散らかすあたりから劇はねじれはじめる。
そのうち、妻と喧嘩別れしてきたらしい父の弟、丹波准(上村聡)が、かつて育ったこの家に戻りたいと言い出す。すでに亡くなった母の弟、楠木塁(八木光太郎)が、仏壇に手を合わせに訪ねてくる。
こうして書いていくと、あたかも時系列は直線的に流れているようだ。けれども、この作品の本質は、当然と思われていた時空が、急にねじれを起こすところにある。
年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。