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長谷部浩の俳優論。

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歌舞伎は、その成り立ちからして俳優論に傾きますが、これからは現代演劇でも、演出論や戯曲論にくわえて、俳優についても語ってみようと思っています。
劇作家よりも演出家よりも、俳優に興味のある方へ。
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記事一覧

【劇評345】法廷劇に巻き起こる風。野田秀樹作・演出『正三角関係』。

【劇評345】法廷劇に巻き起こる風。野田秀樹作・演出『正三角関係』。

 『正三角関係』には、何が賭け金となっているのだろう。
ずいぶん以前、夢の遊眠社解散のときに、野田秀樹の仕事を概観して、「速度の演劇」と題した長い文章を書いた。今回の舞台は、まさしく役者と演出とスタッフワークの圧倒的な速度を賭け金として、日本の近現代史のとても大切な結節点にフォーカスしている。
 舞台写真にあるように、色とりどりのテープ、球、蜘蛛の糸などが、大きな役割を果たしている。

年齢を重ね

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【劇評343】趣向の夏芝居で観客を沸かせる幸四郎。進境著しい巳之助と右近。

【劇評343】趣向の夏芝居で観客を沸かせる幸四郎。進境著しい巳之助と右近。

 趣向の芝居である。
 七月大歌舞伎夜の部は、『裏表太閤記』(奈河彰輔脚本 藤間勘十郎演出・振付)が出た。昭和五十六年、明治座で初演されてから、久し振りのお目見え。記録によれば、上演時間は、八時間半に及ぶ。私はこの公演を見ていないが、演じる方も、観る方も恐るべき体力が必要だったろう。

 二代目猿翁(当時・三代目猿之助)が芯に立つ。猿翁は、スピード、ストーリー、スペクタクルの「3S」によって、復活

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 【劇評342】文学座の『オセロー』は、滑稽で愚かな現代人の鏡となった。

【劇評342】文学座の『オセロー』は、滑稽で愚かな現代人の鏡となった。

 鵜山仁演出の『オセロー』(小田島雄志訳)は、滑稽にしか生きられない現代人のありようを写している。

 イアーゴの巧みな計略によって、ムーア人のオセローが嫉妬に燃えて、妻デズデモーナを殺害する。この筋は、現代においては、悲劇ではなく、滑稽な惨劇になってしまう。
 シェイクスピアのメランコリー劇だからといって、荘重に演出するのではない。SNSのなかで、興味本位にいじられるスキャンダルに、人間の愚かさ

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花組芝居の『レッド・コメディ』を観ながら、思い浮かんだ感想いくつか。

花組芝居の『レッド・コメディ』を観ながら、思い浮かんだ感想いくつか。

 さしたる根拠がないので、劇評には書きにくいことがある。

 今回の『レッド・コメディ』は、『一條大蔵譚』の長成が、意識されているような気がしてならなかった。加納幸和演じる葵は、桂木魏嫗として歌舞伎の舞台に立っていたとき、硫酸による暴行に巻き込まれた。本作のほとんどは、東新聞社主の田岡の庇護のもとに、狂気を癒やしているという設定になっている。

 狂気といったが、加納が演じる葵は、実にわがままいっ

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【劇評341】細川洋平は、俳優と観客の顕微鏡的な関係を再構築する。

【劇評341】細川洋平は、俳優と観客の顕微鏡的な関係を再構築する。

 細川洋平が、ほろびての初期作品に改訂を加えて上演した『Re:シリーズ『音埜淳の凄まじくボンヤリした人生』』は、「ボンヤリ」観ることを許さぬ緊迫した舞台となった。

 冬である。登場人物たちは、熱いコートやマフラーをして、下手の扉から登場する。中年の音埜淳(吉増裕士)は、息子の大介(亀島一徳)と、気の置けない父子のやりとりをしている。上手の机に置かれたラップトップコンピュータに向かっている。

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【劇評340】加納幸和にとって「赤姫」は、人生そのものだった。

【劇評340】加納幸和にとって「赤姫」は、人生そのものだった。

 赤姫という言葉がある。

 歌舞伎好きには、何をいまさらといわれそうだけれど、役者には、得意の役柄があり、「仁にあっている」と呼ばれたりする。女方の役柄は、姫、娘方、世話女房、武家女房、女武道、傾城、遊女、芸者、悪婆、婆、変化などに分類される。
 なかでも、姫は、女方の精華であり、主に時代物に登場するお嬢様で、恋に身をゆだねる役が多く、緋綸子または緋縮緬の着付なので「赤姫」と呼ばれることもある。

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【劇評337】ハムレットは、颯爽たる吉田羊によって21世紀に転生した。

【劇評337】ハムレットは、颯爽たる吉田羊によって21世紀に転生した。

 陰鬱な青年の悩みから、解放された。

 吉田羊主演の『ハムレットQ1』(松岡和子訳 森新太郎演出)は、ハムレット像を大きく塗り替える快作となった。

 まず、吉田羊のハンサムなたたずまいが観客を引きつける。単に女優が、男優ならばだれもが憧れる役を演じたのではない。吉田羊は、颯爽たる空気をまとっている。それは、宝塚の男役が持つどこか人工的な男性像とも異なっている。
 もし、デンマーク王子ハムレット

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【劇評335】ミージカルの最前線。三浦透子の深く、悲しい演技と歌唱。人間の心の闇を描いて、見逃せない『VIOLET』。

【劇評335】ミージカルの最前線。三浦透子の深く、悲しい演技と歌唱。人間の心の闇を描いて、見逃せない『VIOLET』。

 傷痕は、誰のこころにも刻まれている。

 藤田俊太郎演出の『VIOLET』(ジニーン。テソーリ音楽 ブライアン・クロウリー脚本・歌詞 ドリス・ベイツ原作 芝田未希翻訳・訳詞)は、二○一九年、ロンドンのオフ・ウェストエンドで初演された。二二年二は日本でも初演されたけれど、コロナ禍のために、ごく短期間の公演にとどまった。

 今回、満を持して再演されるにあたって、主役のヴァイオレットは、三浦透子と屋

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【劇評332】仁左衛門、玉三郎が、いぶし銀の藝を見せる『於染久松色読販』。

【劇評332】仁左衛門、玉三郎が、いぶし銀の藝を見せる『於染久松色読販』。

 コロナ期の歌舞伎座を支えたのは、仁左衛門、玉三郎、猿之助だったと私は考えている。猿之助がしばらくの間、歌舞伎を留守にして、いまなお仁左衛門、玉三郎が懸命に舞台を勤めている。その事実に胸を打たれる。

 四月歌舞伎座夜の部は、四世南北の『於染久松色読販(おそめひさまつうきなのよみうり)』で幕を開ける。土手のお六、鬼門の喜兵衛と、ふたりの役名が本名題を飾る。

 今回は序幕の柳島妙見の場が出た。この

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【劇評330】ロンドンを恐怖につきおとすヤエル・ファーバー演出の『リア王』を観た。

【劇評330】ロンドンを恐怖につきおとすヤエル・ファーバー演出の『リア王』を観た。

 誰も愛さないリア王が、舞台に叩きつけられる。

 シェイクスピアの残酷なまでに孤独な悲劇を、ヤエル・ファーバーが演出した舞台が、アルメイダ劇場で上演されている。

 上手奥には、ぼろぼろになった地球儀が置かれている。装置のマール・ヘンセルは、この小道具と床の泥濘によって、私たちの住む惑星が、暴力と汚辱にまみれてきたと語っている。

 シンプルだが強い美術に立ち向かうのは、ダニー・サパーニのリアで

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【劇評329】勘九郎、長三郎の『連獅子』。名人、藤舎名生、裂帛の笛に支えられ、難曲を見事に踊り抜いた。六枚。

【劇評329】勘九郎、長三郎の『連獅子』。名人、藤舎名生、裂帛の笛に支えられ、難曲を見事に踊り抜いた。六枚。

 勘三郎のDNAが確実に、勘太郎、長三郎の世代にまで受け継がれている。そう確かに思わせたのが、十八世十三回忌追善の三月大歌舞伎、夜の部だった。

 まずは、七之助の出雲のお国、勘太郎に猿若による『猿若江戸の初櫓』(田中青磁作)。昭和六十年に創作された舞踊劇だが、江戸歌舞伎の創始者、中村座の座元、初世中村勘三郎をめぐって、その事跡をたどる。

 七之助、勘太郎の出から、七三でのこなしを観るにつけても

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伊藤英明のスタンリーは、胸の傷から、獣の傷つきやすい魂を解放した。

伊藤英明のスタンリーは、胸の傷から、獣の傷つきやすい魂を解放した。

 伊藤英明のスタンリーは、沢尻エリカのブランチと対になっている。
 粗暴で野性に満ちているかに見えて、その奥には、恐ろしいまでに傷つきやすい心がある。テネシー・ウィリアムズは、ブランチを自分の分身としただけではない。スタンリーもまた、劇詩人のもうひとりの分身なのだった。

 『欲望という名の電車』を観ているあいだ中、そんなささくれだった男が気になっていた。演出の鄭義信は、伊藤のスタンリーに、聖痕を

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沢尻エリカのブランチを観た。その日、彼女は、新国立劇場の祭司となった。

沢尻エリカのブランチを観た。その日、彼女は、新国立劇場の祭司となった。

 テネシー・ウィリアムズ作 鄭義信演出の『欲望という名の電車』を観た。新国立劇場中劇場が、完全に満席な状態で、満員御礼だった。
 数は力であるという考えに、従えば、この沢尻エリカ復帰プロジェクトは、ビジネスとして圧倒的な成功を収めたことになる。

 あらためて、思ったのは、テネシー・ウィリアムズの戯曲の強さである。どれほど、恣意的な改変を行っても、構造は揺るがない。むしろ、その改変が思いつきに見え

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【劇評326】序破急急。尾上右近が『京鹿子娘道成寺』を歌舞伎座で堂々、踊り抜いた。

【劇評326】序破急急。尾上右近が『京鹿子娘道成寺』を歌舞伎座で堂々、踊り抜いた。

 驚嘆すべき『京鹿子娘道成寺』を観た。

 尾上右近の渾身の舞台には、優駿だけが持つ速度感がある。身体のキレ味がある。しかも、下半身を鍛え抜いているために、速いだけではなく、緩やかな所作に移ってもぶれがなく、安定感がある。歌舞伎舞踊の身体をここまで作り上げるには、どれほどの汗が流れたことかと感嘆した。

 もっとも、右近の白拍子花子は、この境地に至るまでの労苦を一切見せない。変幻自在な所作事の魅力

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