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長谷部浩の俳優論。

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歌舞伎は、その成り立ちからして俳優論に傾きますが、これからは現代演劇でも、演出論や戯曲論にくわえて、俳優についても語ってみようと思っています。
劇作家よりも演出家よりも、俳優に興味のある方へ。
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記事一覧

【劇評330】ロンドンを恐怖につきおとすヤエル・ファーバー演出の『リア王』を観た。

【劇評330】ロンドンを恐怖につきおとすヤエル・ファーバー演出の『リア王』を観た。

 誰も愛さないリア王が、舞台に叩きつけられる。

 シェイクスピアの残酷なまでに孤独な悲劇を、ヤエル・ファーバーが演出した舞台が、アルメイダ劇場で上演されている。

 上手奥には、ぼろぼろになった地球儀が置かれている。装置のマール・ヘンセルは、この小道具と床の泥濘によって、私たちの住む惑星が、暴力と汚辱にまみれてきたと語っている。

 シンプルだが強い美術に立ち向かうのは、ダニー・サパーニのリアで

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【劇評329】勘九郎、長三郎の『連獅子』。名人、藤舎名生、裂帛の笛に支えられ、難曲を見事に踊り抜いた。六枚。

【劇評329】勘九郎、長三郎の『連獅子』。名人、藤舎名生、裂帛の笛に支えられ、難曲を見事に踊り抜いた。六枚。

 勘三郎のDNAが確実に、勘太郎、長三郎の世代にまで受け継がれている。そう確かに思わせたのが、十八世十三回忌追善の三月大歌舞伎、夜の部だった。

 まずは、七之助の出雲のお国、勘太郎に猿若による『猿若江戸の初櫓』(田中青磁作)。昭和六十年に創作された舞踊劇だが、江戸歌舞伎の創始者、中村座の座元、初世中村勘三郎をめぐって、その事跡をたどる。

 七之助、勘太郎の出から、七三でのこなしを観るにつけても

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伊藤英明のスタンリーは、胸の傷から、獣の傷つきやすい魂を解放した。

伊藤英明のスタンリーは、胸の傷から、獣の傷つきやすい魂を解放した。

 伊藤英明のスタンリーは、沢尻エリカのブランチと対になっている。
 粗暴で野性に満ちているかに見えて、その奥には、恐ろしいまでに傷つきやすい心がある。テネシー・ウィリアムズは、ブランチを自分の分身としただけではない。スタンリーもまた、劇詩人のもうひとりの分身なのだった。

 『欲望という名の電車』を観ているあいだ中、そんなささくれだった男が気になっていた。演出の鄭義信は、伊藤のスタンリーに、聖痕を

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沢尻エリカのブランチを観た。その日、彼女は、新国立劇場の祭司となった。

沢尻エリカのブランチを観た。その日、彼女は、新国立劇場の祭司となった。

 テネシー・ウィリアムズ作 鄭義信演出の『欲望という名の電車』を観た。新国立劇場中劇場が、完全に満席な状態で、満員御礼だった。
 数は力であるという考えに、従えば、この沢尻エリカ復帰プロジェクトは、ビジネスとして圧倒的な成功を収めたことになる。

 あらためて、思ったのは、テネシー・ウィリアムズの戯曲の強さである。どれほど、恣意的な改変を行っても、構造は揺るがない。むしろ、その改変が思いつきに見え

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【劇評326】序破急急。尾上右近が『京鹿子娘道成寺』を歌舞伎座で堂々、踊り抜いた。

【劇評326】序破急急。尾上右近が『京鹿子娘道成寺』を歌舞伎座で堂々、踊り抜いた。

 驚嘆すべき『京鹿子娘道成寺』を観た。

 尾上右近の渾身の舞台には、優駿だけが持つ速度感がある。身体のキレ味がある。しかも、下半身を鍛え抜いているために、速いだけではなく、緩やかな所作に移ってもぶれがなく、安定感がある。歌舞伎舞踊の身体をここまで作り上げるには、どれほどの汗が流れたことかと感嘆した。

 もっとも、右近の白拍子花子は、この境地に至るまでの労苦を一切見せない。変幻自在な所作事の魅力

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【劇評324】三谷幸喜の技が冴えるエンターテインメント『オデッサ』。

【劇評324】三谷幸喜の技が冴えるエンターテインメント『オデッサ』。

 三谷幸喜は「東京サンシャインボーイズ」を率いる劇作家として出発した。新宿東口、紀伊國屋書店にほど近いシアター・トップスを拠点としていた頃のことが忘れられない。

 あれから、ずいぶん長い時が経過して、三谷幸喜は大河ドラマの脚本家、映画の監督としての声望を獲得した。

 今回、三谷が登場人物が三人だけの台詞劇を書くと聞いて驚いた。代表作のひとつに、1996年には二人芝居として上演された『笑の大学』

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 【劇評323】色気したたる松也の『魚屋宗五郎』。妹のお蔦はどれだけ殿や岩上を狂わせたのだろう。こんな宗五郎を観たのははじめてです。

【劇評323】色気したたる松也の『魚屋宗五郎』。妹のお蔦はどれだけ殿や岩上を狂わせたのだろう。こんな宗五郎を観たのははじめてです。

 色気があり、キレ味のよい宗五郎を観た。
 松也が勤める宗五郎は、単に断酒を破った酒乱の物語ではない。
 江戸の庶民として、妹を妾奉公に出さねばならぬほどの窮地から、自分たち一家が救われたことのありがたさ。こうした庶民が強いられた忍耐によって、妹が突然の死を迎えた鬱屈を抑えに抑えている宗五郎の心境がまざまざと伝わってくる。

 松也の宗五郎がいいのは、理屈で芝居を運ばず、つねに情を大切にしていると

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【劇評321】女優六人で演じられる『東京ローズ』は常識を疑う意欲作となった

【劇評321】女優六人で演じられる『東京ローズ』は常識を疑う意欲作となった

 新国立劇場が、フルオーディションによるミュージカル『東京ローズ』を上演した。スウィングをふくめ七名の女優のみを選んだところで、この舞台が意欲的な作品であるとわかる。

 私の世代にとっては、ドウス昌代によるノンフクション『東京ローズ』がなじみ深い。
 今回のプロダクションは、二○一九年にエディンバラ・フェスティバルで初演されたミュージカルを基にしている。バーン・レモン・シアターによるオリジナル自

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猿之助の懲役三年、執行猶予五年の判決確定を受けて。思うこと。

猿之助の懲役三年、執行猶予五年の判決確定を受けて。思うこと。

 懲役三年、執行猶予五年(求刑懲役3年)の判決を、重いと思うか、それとも軽いと思うかは、判断がむずかしい。
 四代目市川猿之助の舞台復帰が前提としてあるのであれば、執行猶予5年は、重く受け止めるべきだろうと思う。
 松竹は興行会社である。

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【劇評320】人間の根源的な欲望をいかにみせるか。森田剛、三浦透子の『ロスメルスホルム』。

【劇評320】人間の根源的な欲望をいかにみせるか。森田剛、三浦透子の『ロスメルスホルム』。

 イプセンは、言葉による決闘を見るものだとよくわかった。

 『ロスメルスホルム』(ヘンリック・イプセン作 ダンカン・マクミラン脚色 渡辺千鶴翻訳 栗山民也演出)は、暗く陰鬱な館の場面からはじまる。

 ヨハネス・ロスメル(森田剛)は、地域を支配してきた名家ロスメルの末裔である。
 下手側にしつらえられた壁一杯に、男系の一族の肖像画がところせましと飾られている。彼は、名門の生まれという特権とともに

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【劇評187】 猿之助の智慧。観客の好みを知り尽くした舞台

【劇評187】 猿之助の智慧。観客の好みを知り尽くした舞台

 歌舞伎座の十一月は例年通り、顔見世の月だけれど、八月からの四部制が続いている。大顔合わせというよりは、大立者から花形まで、それぞれの出し物が並んでいる。

 第一部を飾るのは猿之助の『蜘蛛の絲宿直噺(くものいとおよづめばなし)』。歌舞伎座が開くようになってから猿之助の出演は、三度目になるが、この四つに分割された上演をいかに盛り上げるか、智慧を絞った演目選びに感心する。

 お客が今、何を望んでい

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熱狂させる力 亀治郎の会の十年 

熱狂させる力 亀治郎の会の十年 

 四代目猿之助が自費を投じて、長年続けていた「亀治郎の会」は、この歌舞伎役者の意欲と方向性を読み取ることが出来ました。本来、猿之助は、こんな役者へと進んで行きたかったのだとよくわかります。雑誌『演劇界』の求に応じて書いた原稿を掲載します。
        

 平成十四年八月二日、第一回亀治郎の会が、京都芸術劇場春秋座で幕を開けた。演目は、『摂州合邦辻』と『春興鏡獅子』。玉手御前と小姓弥生後に獅子

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【追悼】闘将猿翁の逝去について、思い出すこと、いくつか。

【追悼】闘将猿翁の逝去について、思い出すこと、いくつか。

 闘将という名がふさわしい人だった。
 二代目市川猿翁(三代目猿之助)は、高校生時代の私にとって、特別な存在だった。
 歌舞伎座で観る大立者たちの芝居を、仰ぎ見ることはあっても、三代目猿之助のように、若い世代の人々をわくわくさせる歌舞伎役者はいなかった。
 歌舞伎座の三階から見る通し狂言やスーパー歌舞伎の数々は、猿之助が、革命家であると語っていた。
 今でこそ、「ストーリー(Story)」「スピー

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【劇評314】時蔵の定高と松緑の大判事。この名作をのちの世につなげる秀逸な舞台。

【劇評314】時蔵の定高と松緑の大判事。この名作をのちの世につなげる秀逸な舞台。

 『妹背山婦女庭訓』の「吉野川」は、近松半二の華麗で、なお実のある詞章にすぐれる。両花道を使い、上手、下手の館を、急な川で隔てた舞台面も独特で、歌舞伎屈指の名作といって差し支えない。

 二○一六年九月、秀山祭で出てから、七年を隔てての上演だが、時蔵の定高、松緑の大判事ともに、位取りが高く、公にみせる厳しい顔と、子を思う内心の情がこもり、すぐれた舞台となった。

 ふたりの親ばかりではない。前半を

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