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【劇評326】序破急急。尾上右近が『京鹿子娘道成寺』を歌舞伎座で堂々、踊り抜いた。

 驚嘆すべき『京鹿子娘道成寺』を観た。

 尾上右近の渾身の舞台には、優駿だけが持つ速度感がある。身体のキレ味がある。しかも、下半身を鍛え抜いているために、速いだけではなく、緩やかな所作に移ってもぶれがなく、安定感がある。歌舞伎舞踊の身体をここまで作り上げるには、どれほどの汗が流れたことかと感嘆した。

 もっとも、右近の白拍子花子は、この境地に至るまでの労苦を一切見せない。変幻自在な所作事の魅力だけが、舞台に宙づりになった。

 詳しく観ていく。
 所化の出からはじまって、右近は、本舞台中央に金冠をつけて登場する。その巧まざる品位がまずいい。品とは作るものではなく、自然体のなかにそなわるものだとよくわかる。
 花道へ行って鐘を見込み、さらに本舞台に戻るときの速度、そして、その足拍子の美しい響きに、まず、打たれた。「言わず語らぬ我がこころ」に続いて、「乱れし髪の乱るるも」の描画力にすぐれ、女の髪のさまが、こころの内を顕しているとよくわかる。
 花びらをまとめて鞠をつくる「鞠歌」では、イメージを見る力、信じる力にすぐれているから、鞠の実在を私はいっときも疑わなかった。鞠はここにあって躍動しているありさまが、観客にまざまざと見える。

 右近はすでにこのあたりで、身体の躍動感だけではなく、イメージを確信する力量で観客を圧倒する。さらにいえば、形だけではなく色が見える。いうまでもなく『京鹿子娘道成寺』は、道具も拵えも華麗であるが、その実在するモノを超えたイメージの色彩感が、つねに舞台のキャンバスに広がっている。

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年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。