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【劇評家の仕事7】文体模倣までしました。渡辺保と扇田昭彦が私に与えた影響

 劇評を書き始めた頃、十代後半から二十代は、先行する劇評家の文章をよく読んでいました。

 私は一九五六年生まれだから、当時は七十年代から八十年代にかけての時期です。雑誌の『テアトロ』や『新劇』に掲載されている評をかたっぱしから読んでいった。そのなかで、私が夢中になったのは、古典では渡辺保、現代演劇では扇田昭彦の評論でした。

 心酔したといってもいい。けれども、いざ、自分に書く場が与えられると、今度は、模倣にならないかが気になりはじめたのです。
 ごくごく初期は、文体模倣までしまた。渡辺保風、扇田昭彦風に批評を書いてみる。もとより、経験も蓄積も違うから、同じようには書けない。「なんで、こんなに下手くそなんだろう」とため息が出て、天を仰ぎたくなりました。

 小さな手直しをして編集者に渡すことも出来たでしょう。けれど、「そんなことやっていたら、自分の場所はないだろうな」とも思ったのです。

 渡辺風、扇田風の劇評を捨てて、一字たりとも、とはいわないが、一行も残さずに、新しい原稿を書いた。ときには、同じ舞台について、二本も三本も書いた。

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年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。