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劇評家の仕事

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二五歳の頃から、ずいぶん長い間、途切れることなく劇評を書いてきました。なぜ、こんな仕事を選んだのか、日々どんなことを考えて劇場に行くのか、原稿を書くにあたってどんな資料にあたった…
不定期ではありますが、四季折々に考えたこと、書くことの楽しみ、そして苦しみについても書いていきます…
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記事一覧

【劇評家の仕事7】文体模倣までしました。渡辺保と扇田昭彦が私に与えた影響

 劇評を書き始めた頃、十代後半から二十代は、先行する劇評家の文章をよく読んでいました。 …

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長谷部浩
2週間前
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【劇評家の仕事6】視力を失う恐怖感は、いつも頭を去らない。

 批評家にとって、何が一番大切なのか。  月並みですが、劇場に行って、資料を読み、劇評を…

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長谷部浩
2週間前
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【劇評家の仕事5】遊興の徒となるべく、学生時代を過ごしました

 なぜ、文藝でもなく、映画でもなく、演劇評論家になったのでしょうか。  ひとことで答える…

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長谷部浩
1か月前
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【劇評家の仕事4】中谷美紀の『オフ・ブロードウェイ奮闘記 』を読んで。

 書くのをやめないこと  演劇評論家と名乗り続けてきました。そのためには、批評を書き続け…

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長谷部浩
1か月前
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【劇評家の仕事3】劇評は、客観的な審判ではなく、きわめて個人的な営みです。

 劇評は、舞台の分析、位置づけのためにあります。  舞台がおもしろかったか、観るに値する…

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長谷部浩
1か月前
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紀伊國屋演劇賞。審査はあくまでサロン的に。

 紀伊國屋演劇賞の選考に関わるようになったのは、1999年のことだから、すでに20年余りが過ぎ…

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長谷部浩
2年前
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雑誌「演劇界」が休刊となる。その残酷に身がすくむ。

 雑誌「演劇界」の休刊が決まった。  頻繁に寄稿していた時期があるので、突然の報を聞いて、なにか取り戻しようもない決断が下されたと思う。  もちろん、中断していた時期があるとはいえ、一九○七年に創刊された「演藝画報」からの連続で考えると、その歴史は百年を超える。図書館の書庫に、「演藝画報」「演劇界」のバックナンバーがあるのは、歌舞伎についてものを書く人間の拠り所になっていた。今の勤務先に職を得たとき、いつでもこの圧倒的な資料群に、いつでもアクセスできるのだと思うと幸福感でい

¥300

演出家薛珠麗さんが、逝った。

 演出家、翻訳家、通訳の薛珠麗さんが、亡くなった。私がTPTに頻繁に出入りしていたのは、一…

長谷部浩
11か月前
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演出家と翻訳家と批評家が、神保町で中華を食べる。

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長谷部浩
10か月前
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紀伊國屋ホールの舞台を踏んだ思い出。

 年に一度だけ、舞台裏に入ります。暗幕の向こう側が、受賞者と審査員の控え室になっていて、…

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長谷部浩
5か月前
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ロンドン観劇雑感、その1。マイクを使った演出に、あなたは抵抗がありますか?

 ロンドンでは四本の芝居を観た。そのうち二本『キャバレー』と『オープニング・ナイト』はミ…

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長谷部浩
3か月前
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ロンドン観劇雑感、その5。ロンドンでは、マチネとソワレのスケジュールが守られてい…

 マチネとソワレ、どちらで観るのが好きですか。  私は圧倒的にソワレです。歌舞伎をのぞけ…

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長谷部浩
3か月前
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ロンドン演劇雑感、その7。ホーヴェ演出の『オープニングナイト』が、予定より二ヶ月…

書くべきかどうか、ためらっているうちに、十日余りが過ぎてしまった。  四月十四日付のBBC…

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長谷部浩
2か月前
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【追悼】巨星、唐十郎さんのとろけるような笑顔。

 演劇界の巨星が墜ちた。  私の演劇観は、唐十郎によって作られた。私は状況劇場の遅れてきた観客だけれども、七一年の『吸血姫』をかわきりに、『あれからのジョン・シルバー』『夜叉奇想』『二都物語』『唐版・滝の白糸』『腰巻おぼろ』『糸姫』と進んで見ていった。 水上音楽堂の思い出。  上野の不忍池畔には、旧・水上音楽堂が建っていた。  テントは、池に接した場所に建てられた。私が観たのは極寒の夜で、劇団員がいきなりざぶりざぶりと池に飛び込んでいった場面に圧倒された。当時は、歌舞伎の大