西崎義展

たまにダメな本を読むのも勉強のうち

たまにダメな本を読むのも勉強のうち

書評:奥山篤信『キリスト教を世に問う!』(展転社) 私の前に3人の方がレビューを書かれているが、いずれも評価としては妥当だと思う。 ただし、期待をもって本書を読みはじめたらしい点については、いささかいただけない。 そもそも『キリスト教を世に問う!』という「!(感嘆符)」付きのタイトルだという点で、批評書としては「B級感」がプンプンするではないか。 無論、保守派の著作には「!(感嘆符)」付いたタイトルが多いので、そういうのばかり読んでいる人は気づかないのかもしれないが、「!

Vol.39 宇宙戦艦ヤマト

Vol.39 宇宙戦艦ヤマト

74年に第1作がテレビ放映開始されて以降、現在に至るまで多様な形でメディアに現れる作品です。 1970年代に始まる日本カルチャーの黎明期における重要な意味をもつ作品です。"Cool Japan"といういまの日本が誇れる数少ない「産業」もこの作品がなければ別の形になっていたかもしれません。 「アニメ」の始まり この作品が初めて「アニメ」という言葉を公に使ったと言われています。 それまでの「テレビまんが」ではない新しい作品ジャンルを表すべく生まれた言葉であり、そこには子供向けで

4
ダサくて古臭くてウザくて今まで観る気にもなれなかった大嫌いなヤマトの印象を打ち砕いてくれた『宇宙戦艦ヤマト2199』

ダサくて古臭くてウザくて今まで観る気にもなれなかった大嫌いなヤマトの印象を打ち砕いてくれた『宇宙戦艦ヤマト2199』

『宇宙戦艦ヤマト』が嫌いでした。 “苦手”ではなく“嫌い”。ハッキリとそう認識していました。あんな有名な作品を!?名作なのに!?と驚かれるかもしれませんが。あくまで個人の感覚・感想だと思ってください。 そもそもTVアニメ『宇宙戦艦ヤマト』が放映されたのは1974年。私は当時4歳でした。完全に“世代ではない”んですよ。私よりも“上の世代”の方々のモノという印象でした。 ただ、物心ついた頃にはすでにブームのあとの“すごい作品”という印象だけが付いて回っていて。観てないやつは

66
「宇宙戦艦ヤマトをつくった男 西崎義展の狂気」

「宇宙戦艦ヤマトをつくった男 西崎義展の狂気」

小学6年生から中学生にかけて、毎回、TVで熱心に見てた「宇宙戦艦ヤマト」。コミックや小説版、レコード等も揃えるくらいに好きだった。友達と一緒に観に行った完結編の映画「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」は涙を堪えるのに必死だったけど、日本的特攻精神と愛というテーマ、沢田研二の歌にいたく感動して、大満足して、映画館を後にしたものだ。 しかし、その後、死んだはずの古代や雪、挙げ句の果てには沖田艦長まで、シレ〜ッと復活して、はぁ、儲けるためか、とガッカリして白けてしまい、もう見なく

殺されるくらい嫌われても構わないひと

殺されるくらい嫌われても構わないひと

宇宙戦艦ヤマトのプロデューサー、西崎義展さんの生涯を綴ったルポ『宇宙戦艦ヤマトを作った男 西崎義展の狂気』を読む。 私はヤマトを観たことがなく、当然、西崎義展さんのことも知らなかった。読むきっかけになったのは日本でも指折りの人気アニメのプロデューサーにも関わらず轟いていた彼の悪行に惹かれたからだった。 ・手塚治虫先生が興したアニメ会社に潜り込み「海のトリトン」のアニメ作品のプロデュース権を奪って当時新人アニメーターだった富野由悠季(ガンダムの作者)に初監督させた。

7
ジェットコースターのような人生、それは自分をプロデュースして生きた証しかもしれません──牧村康正 山田哲久『「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展の狂気』

ジェットコースターのような人生、それは自分をプロデュースして生きた証しかもしれません──牧村康正 山田哲久『「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展の狂気』

〝棺を蓋いて事定まる〟という言葉があります。人は死んでからその真価が決まるという意味ですが、この本の主人公、西崎義展さんの真価は定まったのでしょうか……。 死んだ今でも西崎氏を敵視する人は多いと思います。それは経済的な損失や社会的な被害を西崎さんから受けていた人ばかりではありません。 彼はヤマトブームを支えてくれたファンクラブに平然と裏切りとでもいえるような行為をし、富野由悠季さんがいうように「あくまでも《芸能》という部分で、興行師に近い人がアニメで商売できると思い」ア

3