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ジェットコースターのような人生、それは自分をプロデュースして生きた証しかもしれません──牧村康正 山田哲久『「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展の狂気』

〝棺を蓋いて事定まる〟という言葉があります。人は死んでからその真価が決まるという意味ですが、この本の主人公、西崎義展さんの真価は定まったのでしょうか……。

死んだ今でも西崎氏を敵視する人は多いと思います。それは経済的な損失や社会的な被害を西崎さんから受けていた人ばかりではありません。
彼はヤマトブームを支えてくれたファンクラブに平然と裏切りとでもいえるような行為をし、富野由悠季さんがいうように「あくまでも《芸能》という部分で、興行師に近い人がアニメで商売できると思い」アニメの世界に飛び込んできた男、「アニメを利権」として捉えた男、「手塚治虫というマンガ家と絵描き集団で始まっていったアニメというビジネスに、全く異種の人が入って来てビジネスを起こそうとしている」男でした。良くも悪しくもアニメの世界を変えたひとりではあったのです。

本書冒頭に「彼は悪党であった」とありますが、それはアニメの世界を利用したというだけではないように思います。「クリエイティブ性の強いプロデューサーだ」という自己意識を満足させるためにあらゆる手段を用い、利用できる他人の才能はすべて己のために利用する、しかもその成果はほとんど自分のものとするという、その徹底性にあったのだと思います。彼にとって「クリエイティブ性」とは他者の力を利用するその手法にあったといわざるをえません。
作りながら学ぶといえば聞こえはいいですが、ここに描き出された西崎さんの姿は、他人が持っているものを、他の人と比べ、つなぎ合わせ、それを自分のものとして主張していたように思います。ただし、巧妙に権利を確保しながら。

彼の生き方はまるでジェットコースターのようです。興行師として歩み始めた人生、借金まみれの彼が門をたたいたのは、手塚治虫さんの虫プロでした。
「虫プロにいた当時は手塚先生と仕事がしたいとか、アニメーションが好きなんだとか、そういう連中が集まって仕事をしていた。利益を上げようなんて誰も考えちゃいない。その点、西崎はこの業界で銭を稼ごうと思ってきている」(須藤将三さん)
経営困難な事態に陥っていた虫プロにとって西崎さんのある意味で辣腕ぶりは助け船でもありました。
また虫プロでのキャラクターカレンダーの製作でつかんだ版権ビジネスの手法はこの先西崎さんのお家芸ともいえるものになっていきます。このカレンダー製作で手にした資金で『宇宙戦艦ヤマト』の製作へと向かったのです。

ジェットコースターのような人生はさらに続きます。ヤマトの成功とその後の事業の失敗、派手な私生活、薬物、銃刀法違反での逮捕と服役。出所後の〝リベンジ〟と……。

芸能界、政治、創価学会等とのダークとも呼べるような関係を持ちながら生き続けた男。その闘争心を西崎さんに植え付けたのは父親に対する激しい対抗心だったように思えます。ある意味で、彼は既成の権威は己が利用するものとしか考えていなかったのでしょう。それゆえに型破りな振る舞いをし、鬼面人を威すようなことを仕掛けたのではないかと思います。
トリックスターというのには生々しく、生臭く、強圧的ですが、西崎さんの合理的な精神のあちこちにウエットなほころびも見えてきます。
インディペンデントなプロデューサーとして自分をプロデュースして生きてきた男、ということなのかもしれません。虚から実を生み出すのもプロデューサーの魔術ですが、西崎さんは実と虚が同一に見えていたのかもしれません……。
もっとも彼の言動に比べれば、ときおりこの本に出てくる親友、石原慎太郎さんのそれはどうなんだろう……と疑問も感じました……蛇足ですが。

書誌:
書 名 「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展の狂気
著 者 牧村康正 山田哲久
出版社 講談社
初 版 2015年9月8日
レビュアー近況:有楽町にて、すれ違いの若いカップルさんの会話。「銀座の映画館って、昭和な感じだねー」。一瞬、よくわかりませんでしたが、シネコン以外、スクリーンの少ない映画館は確かに最早此処くらいにしか無いのかもと気付きました。野中がよく行った東宝敷島(大阪ミナミ)も、巨大シネコンにモデルチェンジしました。綺麗で観やすいのでしょうが、少し寂しいです。

[初出]講談社BOOK倶楽部|BOOK CAFE「ふくほん(福本)」2015.10.08
http://cafe.bookclub.kodansha.co.jp/fukuhon/?p=4233

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