Vol.39 宇宙戦艦ヤマト
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Vol.39 宇宙戦艦ヤマト

74年に第1作がテレビ放映開始されて以降、現在に至るまで多様な形でメディアに現れる作品です。
1970年代に始まる日本カルチャーの黎明期における重要な意味をもつ作品です。"Cool Japan"といういまの日本が誇れる数少ない「産業」もこの作品がなければ別の形になっていたかもしれません。

「アニメ」の始まり
この作品が初めて「アニメ」という言葉を公に使ったと言われています。
それまでの「テレビまんが」ではない新しい作品ジャンルを表すべく生まれた言葉であり、そこには子供向けではなく青年向け(成人向けではなく)の娯楽作品を生み出したいという意向がありました。
制作サイドの意図は単なる差別化の一種ではあったと思いますが、これが見事に世相にマッチして大当たりとなりました。
いわゆるサブカルチャーのさきがけでもあり、真っ向から政治や思想を語る60年代的スタンスへのアンチテーゼとしてアマノジャク的に斜に構えたクールさを若者が求め始めた70年代の流れを捉えていたのかもしれません。

制作側の意図がうまく外れる
当時のアニメによくあるパターンですが、ヤマトも初回放映は失敗に終わります(裏番組に「アルプスの少女ハイジ」がありました)。
ところが例によって再放送の繰り返しで全国展開がじわじわと進み、カルチャーに敏感な青年たちの間でじわじわと人気が高まります。
非公式ファンクラブが自然発生するなど徐々に人気の地盤がかたまり、77年に劇場版が公開された際には社会現象と言えるヒットとなりました。その後はTV版のシリーズや劇場版も次々と生まれ、半世紀たった今に至るまで多くのファンを持つ作品になっています。

本当の原作者
宇宙戦艦ヤマトといえば松本零士の独特な絵柄による世界観がおなじみですが、実は原作は西崎義展といういわゆる制作サイド(プロデューサーや監督)のひとの名前がクレジットされています。
この西崎義展という人が、かなり控えめに言ってめちゃくちゃな人物で、これもまたヤマトと70年代カルチャーの関係をよく表しています。
60年代後半に会社の金を持ち逃げしてヨーロッパに逃げる(しかもそこで仕事のネタも見つける)。巨匠手塚治虫に近づきその後大喧嘩する(松本零士ともヤマトの権利関連で裁判沙汰)。
ヤマトの成功で富と名声を得て、更に手を広げ失敗しまくる。不祥事で実刑判決、懲役。最後は2010年にクルーザーから転落死(75歳)、事件説も流れる。
映画の主人公でもここまで破天荒だと嘘くさくなりますが、まぎれもない事実です。70年代の興行の世界ではダークサイドも欠かせない部分がるのですが、このひとはまさにその代表的人物です。
「宇宙戦艦ヤマトを作った男 西崎義展の狂気」という書籍に詳しく書かれていますのでご興味のあるかたはご一読ください。

でも、こうい脂っこくて濃いオジサンが70年代にはいっぱいいたようにも思います。
いまの時代だとちょっと想像できないですし、もしいても迷惑です。
良くも悪くも時代は変わったんです。


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1970年代の生活や文化を象徴するモノを集めたECセレクトショップ"Li-1970s"の店主です。 このユニークで愛すべき時代のことを伝えられたらいいなと思っています。