❗️いまいち、ゲーム論についていけない。 モンティ・ホールの確率論を持ち出されても、おそらく私は“自分の選択”を信じ、仮に失敗しても、納得するだろう。 でも、ゲーム論者の確率高い方針が勝ることも理解できる。 要は人が何に価値を置くのか、ということであるとも思う
人々の云う、「確率と統計」は、今わかっている範囲に"こうであってほしい"というナツメグのようなスパイスが沢山かかっているようなものだ。 51%と49%どちらが偉いかとか、結果が出なければわからず、偉いとかはなく、ただそこにあるのは"希望の憶測"に基づいた、「納得感」だけでしょ。
確率と統計依存で麻雀を捉えると、結局長期戦では勝つものの、どのような確率論によりこのプレイヤーが打っているかの裏をかかれたら、ことごとくやられるだろうなあと。対人ゲームなので。 結局確率論に裏付けられた戦法の語彙力が必要で、相手によって巧みに変え、非常に臨機応変にする必要がある。
【指標が無いならラッキーな話】 どうも日本では"誰々さん保険"を欲しがる傾向が散見される。 誰々さんには最適/才能/技術にフィットしていただけで再現性とは別物でもだ。 "誰々さんはこれで◯◯しました" 指標無しなら失敗も成功もないの? 無いなら実験 0-1ラッキー。
数字の話をするのに「ざっと」とか信頼なくすけど、1%の成功確率なら「ざっと500回」繰り返せば99%になるらしい。確率論ってもんなんだって。ああ、いい加減すぎる話で申し訳ない。ぎり1%くらいは見込みあるかなと思える未練たらたらな夢ならまずは500回挑戦してみるかぁ。