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私が見たはずの夢を本当に見たのはいったい誰なのか…

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私が見たはずの夢を本当に見たのはいったい誰なのか…

最近の記事

メトロポリスってなんなん?

天使 「最近東京の街見てるとフリッツ・ラングや手塚治虫の描いたメトロポリスやリドリー・スコットのブレードランナーみたいね」 悪魔 「そうやな。人類滅亡を定期的にわめいてくる予言者と違ってSF作家はほんまに当ててきよるからな」 天使 「アーサー・C・クラークとスタンリー・キューブリックの2001年宇宙の旅におけるAIと人間のはざまに存在する矛盾はまさに近未来予言だったわよね」 悪魔 「東京は完璧な労働システムを構築したんや。東京で暮らし、寿命が尽きるまで働くことがステータスであ

    • 差別に終わりはないのか?

      天使 「米国のアカデミー賞見てたらロバート・ダウニーJrやエマ・ストーンやジェニファー・ローレンスが露骨に東洋人無視してるの見たわ」 悪魔 「ジェニファー知っとるで。ギャラの男女格差訴えとったけど、こんなことが許されていいの?私46億円しかもらってないのよ。やて」 天使 「だもんで」 悪魔 「昔からこの賞は白より白いゆうてな、東洋人が脚光を浴びるなんかありえへんねや」 天使 「音楽界のグラミー賞はどうなのよ」 悪魔 「かつてスティーヴィー・ワンダーがあれだけ世界中に支持されて

      • やっぱ電気の時代か?

        天使 「ねえねえ悪魔ちゃん」 悪魔 「お前わしのキャラを破壊すな」 天使 「地上であれだけ盛り上がってたEVってどうなん」 悪魔 「世界中で電力逼迫しとんねん。迷惑でしかない」 天使 「でも環境に優しいって」 悪魔 「世界の電力供給のほとんどは化石燃やして作っとんねん。あとリチウムイオン電池大量に廃棄したらどうすんねん。猛毒や。」 天使 「今日はよくしゃべるのね。自然エネルギーってのもあるじゃん」 悪魔 「すべて自然破壊や。ええか、日本の国土の75パーセントは森林や。そして周

        • この世は平等か?

          米国人 「よくそんな自然災害だらけの国で生きて行けるもんだ」 日本人 「災害に遭う確率と銃で撃たれる確率を計算したんですよ」 悪魔 「兄貴、あんたも意地が悪いな」 神 「私を兄などと呼ぶでない」 天使 「どしたん」 悪魔 「日本人は体も小さい、なんでも小さいゆうて笑うてる民を見たんや」 天使 「言語道断」 神 「日本人には高い知性を授けた。人を見下す者の○○が小さいのは明確であろう」

        メトロポリスってなんなん?

          悪魔の選択

          悪魔 「想像してみ」 天使 「どしたん」 悪魔 「お前らの国に敵が攻めてきとるんや」 天使 「だる…」 悪魔 「このままやと国土は焼き尽くされ多くの民が犠牲になるんや」 天使 「国破れて山河在り」 悪魔 「そこでや。わしの持っとる最終兵器を選ばれし者に授けることにする」 天使 「一発逆転てこと?」 悪魔 「そのボタンを押せば、かけがえのない故郷も愛する人たちも救うことができるんや」 天使 「救いたいけど、相手を犠牲にするってことよね」 悪魔 「考えている時間はないで。さあどう

          悪魔の選択

          星の墓碑銘

          1945年8月8日、ソビエト連邦は中立条約を破棄、8月9日未明、満州国へ侵攻を始めた。 開拓移民の子として、この地新京で生まれ育った山下大輝は5歳を迎え、妹の春子は3歳の可愛い盛りであった。 父は軍に召集され一か月以上音信が途絶えたままであった。 大輝にとって母淑子と三人の暮らしは不安でもあり、何より父の帰りを待つ日々の寂しさは小さな胸を締め付けていた。 押し迫ってくる恐怖は音もなく色もなく、そのことがかえって息をひそめて待ち構えている家族の呼吸を重くしていた。 8

          星の墓碑銘

          ナルキッソスの休日

          「あのね、私妊娠したの」 「そう…」 「だから今日はお別れに来たの」 「どうして?」 「小さな私が膝の上に座って、信じられないほど愛らしい笑顔で私に抱きついてくるのよ」 「小さな僕かもしれない」 「やがて私とそっくりに成長し、街を歩くの」 「だから別れなければならない理由は何?」 「小鳥のように歌い、妖精のようにはしゃぐの」 「ご主人には話したの?」 「昨日離婚が成立したわ」 「君の人生は君のものだけど、裕福な夫と別れ、ロックスターの僕を捨てて、ひとりで

          ナルキッソスの休日

          賢者と真実の泉

          深い森にひとりの賢者が暮らしておりました。夜明けの穏やかなシンフォニーと淡い光に包まれて、彼は何者かの声を聴きました。 「街の酒池肉林の様は見るに堪えないものである。今日より七日間で戒めの書を書き上げ、山を下りなさい…」 賢者はもう何年も里に下りていないので、その様子を知る由もありませんが、千里先も見通せると自負する彼には、その混沌は手に取るようでありました。 もとより彼の隠遁は、そのような世俗の醜悪な愚かさによって自身が汚されるのを拒絶したからに他なりません。 気の

          賢者と真実の泉

          半藤一利のいちばん長い日

          2021年1月12日、自らを「歴史探偵」と名乗り、日本の最後のジャーナリストであり作家であった半藤一利氏が永眠しました。 1930年、東京下町向島に生まれた氏は、ひ弱な文学少年ではなく、やんちゃな、いわゆる悪ガキタイプの子供でした。 1945年(昭和20年)3月の東京大空襲において、焼夷弾によって燃えさかる火の海を逃げまどい、中川で溺れかけていた人を助けようとして、当時まだ中学生だった氏は逆に引きずり込まれ、川面がどちらかさえも分からなくなるほど意識がもうろうとし、死の直

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          CARPという奇跡

          プロ野球チーム「広島東洋カープ」に人は何故これほど熱狂するのでしょう? コアなカープファンは、この問いに朝まで語ることでしょう。 この国のインテリ層、ジャーナリストたちがこぞって熱狂的なカープファンになるのは何故でしょう? 彼等も朝まで、熱くその意味を語ることでしょう。 文字通り、広島市民は灰の中から立ち上がりました。敗戦によって国家そのものが壊滅的な状態にあるわけですから誰も助けてなどくれません。苦しみという苦しみ、悲しみという悲しみを乗り越えて市民は復興に心血を注

          CARPという奇跡

          女神さまの焦燥

          #15「進撃のR・B・G」 1956年、ルース・ベイダー・ギンズバーグがハーバード大学ロースクールに入学した時、新入生の男子は500人、女性は9人でした。校舎の中で女性トイレがあるのは一棟だけでした。 両親とも貧しい移民で、父はユダヤ系ウクライナ人、母はユダヤ系オーストリア人でした。母は当時の一般的な考え方である結婚と平凡な人生にとらわれず、娘に自立を求め、すべてに「疑い」を持ちなさいと教えました。 ギンズバーグがロースクールで法律の勉強を始めた頃、1955年に生まれた

          女神さまの焦燥

          女神さまの焦燥

          #14「天啓」 1910年8月26日、マザー・テレサはマケドニアの首都スコピエに誕生しました。裕福なアルバニア人の家庭で、アグネス・ゴンジャ・ボジャジュという名を授かりました。 1928年、アイルランドに渡り、ロレット修道会において修道女としての修練を始めました。 1931年、ロレット修道会のシスターとして初誓願。その時はじめて修道名をテレサとしました。 1946年、結核に倒れ、静養のためヒマラヤの麓ダージリンに送られます。そこに向かう途中で彼女は「神の声」を聞きます

          女神さまの焦燥

          女神さまの焦燥

          #13「献身」 1914年、岡山県岡山市に生まれた精神科医「神谷美恵子」は、学生時代からハンセン病患者のために働きたいという思いを秘めていました。当時特効薬もなく、その正体すらはっきりとつかめていない状況下において、患者の容体は深刻でありました。顔や体の変形、肢体不自由、感覚麻痺,そして何よりも家族にさえ見捨てられ、社会からの疎外がもたらす絶望感は患者の肉体と精神を死の淵に追い詰めました。 美恵子は母に「らい」にかかわること以外なら何をしてもよいと言われていましたが、19

          女神さまの焦燥

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          #12「王妃の安寧」 1914年、嵯峨侯爵家の長女として生まれた浩(ひろ)は,1937年、清朝最後の皇帝、愛新覚羅溥儀の弟溥傑と結婚しました。旧日本軍による政略結婚でありましたが、軍部も国民も、そして親族さえも予想できないほど強く純粋な愛の絆を紡いでいくのであります。 ほどなく二人は旧満州国に渡り、王族としての生活を始めます。小さな島国日本とは何から何までスケールの違う日々はさぞかし夢のようであったことでしょう。翌1938年には長女慧生が生まれ、子供を授かることが難しかっ

          女神さまの焦燥

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          #11「女帝の日曜日」 ガブリエル・シャネルは日曜日が嫌いでした。なぜならお店が休みで仕事ができないからです。彼女は死の当日でさえ友人にこう言い残していました。「明日私に会いたかったらお店に来てちょうだい。仕事をしているから」と。八十七歳の日曜日でした。 彼女は、コルセットで締め付けられ、巨大な鳥の巣のような帽子をかぶった当時の女性たちを「哀れな女たち」と蔑み、すべてを開放しました。船乗りや漁師の作業着であったパンタロンやマリエール、すべての無駄をそぎ落としたリトル・ブラ

          女神さまの焦燥

          21世紀の東京裁判

          極東国際軍事裁判、通称「東京裁判」は日本が降伏した翌年1946年5月3日から1948年11月12日にかけて行われました。 起訴状は「平和に対する罪」「人道に対する罪」「通常の戦争犯罪」でありました。 この歴史上最悪の偽善裁判は、ドイツを裁いた「ニュルンベルク裁判」と共に連合国側の強い復讐心と報復がその核心であることは明白でありました。 当時、国際法により戦争は合法であり、戦争による殺人は罪ではありません。このような事後法によって政治的に国家を裁き、敗者を処刑するという司

          21世紀の東京裁判