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亀に追いつけなかった賢者の物語

あらすじ

ある旅人が出会った老人が、壮大な地球の誕生と、歴史を巡る旅を語り始めます。最初はほら吹き老人と思っていた旅人も、次第にその見事な世界観に引き込まれて行きます…

エピソード1

旅人がとある古い池に差し掛かった時、見るからにしなびてみすぼらしい老人がその池をのぞき込んでいた。
旅人が近づいてみると、スズメや鳩やカラスが群れて老人と共に池をのぞき込んでいる。
旅人はその風景がなんともおかしくて、並んでのぞき込むことにした。
そこにはが亀が少なくとも10匹ほどおり、頭を水面からもたげてこちらを凝視している。
旅人はますますおかしくなって老人に話しかけた。
「あなたも鳥たちも亀と会話しているようで面白いですな」
老人は静かにうなずきながらこう答えた。
「亀は古い知識を持っておるゆえ退屈しのぎにちょうどええんじゃ」

「私も旅の途中でありまして、面白い話をぜひともお聞きしたいものですな」

「あなたが面白いと思うかどうかは知らぬが、古い古い、あまりに昔のことゆえ思い出しながら亀と話しとったんじゃが、それは長いこと雨が続きましてのう」

「長いと言いますと、ひと月ふた月でございますか」

「わしが覚えておるのはたかだか1000年ほどじゃが、亀の話では数百万年にわたって断続的に降り続いたんじゃそうな」

「つまりその雨が海を創ったと」

「その生暖かい海でわしは何をするわけでもなく浮遊しとったんじゃが、その心地よさと言ったら例えようもない…」

「母の胎内のような」

「母の胎内は覚えておらぬが、長い間藻のゆりかごに揺られ、うとうとしとったところ、突然光というものを感じたんじゃ」

「植物の光合成遺伝子があなたに目を授けた」

「わしは高揚して水面に浮かび上がった。雨は降っておらず天空は恐ろしいほど青く澄んでいた」
旅人はもはや何も言うことはなく、ただ黙って老人の白髪と皺に埋もれた両眼を見ていた。その瞳は信じられないほど若々しく輝いていた。

「それからどれほどの時間が流れたか、やがて海底が隆起し始めた。天にも届くほどの勢いで山となり、溶岩を噴き出したり、数千メートルの高さから落ちる滝の水は絶え間なく地に降り注いだ。あの荘厳な風景は永遠に忘れることができぬ」

「天地創造…」旅人は心の中でつぶやいた。

「そしてこの星は冷たくなり、すべて氷に閉ざされ、わしは長い眠りに就いた」

エピソード2

「やがて目覚めた時もわしは海の中におった。ただし様子はかなり変わっておってのう。おかしな生物がうようよ泳いでおる。ナメクジやウミユリ、足やとげのたくさん生えた虫みたいなものやサソリや魚。わし自身もひれのようなものがたくさん生えた生き物で、大きな目もついており自由に泳ぐことができた。そんなおかしな連中と楽しく過ごしておったんじゃが、ある日わしの10倍ほどもある凶暴な魚にあっけなく食べられてしもうた」

「カンブリア爆発ですな。あなたはおそらくアノマロカリス」

エピソード3

「次に目覚めた時、わしは何故か海から陸に上がろうともがいていた。ナマズのような山椒魚のような生き物じゃったが、足の力は弱くよたよたしとった。しばらく海と陸を往復するうちに足はずいぶん強くなったが、呼吸を覚えるのは死に物狂いじゃった。かつては猛毒じゃった酸素が大気に満ち溢れておる。まあ今にして思えばあの選択のおかげで重力に耐え不快な日々を送らねばならぬ最初の間違いだったということじゃな」

「海に帰ろうとは思わなかったのですか?」

「人間であれ、どのような生き物であれ後戻りはできんのじゃ」

「なるほど摂理ですな」

旅人はこの大ぼら吹きの老人が次にどのようなシナリオを描いてくるのかおおよそ見当がつき始めていたが、出まかせの作り話にしてはよく出来ている。時間もたっぷりある。邪魔をせずもう少し楽しもうと思った。

エピソード4

「あまりの暑さに目を覚ますと、高さが50メートル以上もある樹木の枝に身をひそめていた。気配を消していないと大変じゃ。そこは巨大生物の天下で、肉食のやつに見つかったらひとたまりもない」

「あなたはどのような存在だったのですか?」

「ねずみじゃ。一億年以上も捕食者たちから逃げ回らねばならんかった。そうしたある日天変地異は起こった。空から星が降ってきた。巨大な火の玉となって海に落ちた。高さが300メートルもある津波に皆のみこまれた」

「地上の生物は絶滅したのですか?」

「いやいや生き残った者もおったが本当の地獄はそこからじゃ。暗闇が何年も続き、大量の食糧を必要とする体の大きな者から順に倒れていった。かろうじて生き延びたわしは、こそこそ隠れて暮らす必要がなくなった。奴らは一億年も我が物顔で生きておったんじゃ。満足じゃろうと思ったよ」

エピソード5

「あなたが途方もない時間を生きてきたことは分かりましたが、あなたが人間になったのはいつのことですか?」
「わからん。気がつくと村人たちと生活をしておった。それはそれは素晴らしい世界じゃった。平和で、人々はみな穏やかで、豊かな自然界から食物をいただき、神と共に生きておった」

「神に出会ったのですか?」

「いいや、神の姿を拝めるのは選ばれた女性だけじゃ」

「巫女ですね」

「彼女たちから伝え聞いた神の姿を模して美しい像がたくさん作られた」

「土偶ですか。その時代は本当に一万年も続いたのですか?」

「本当じゃ。最初は石の文化だったんじゃが途中から木の文化に代わっていった」

「石の遺産はどこに?」

「海に沈み、あるいは山となり森に呑み込まれた」

「様々な知識や技術にたけた人々が暮らしていたのですね」

「その通りじゃ。大きな体の者、小さな者、屈強な体の者、頭のいい者、芸術や音楽、舞踊に優れた者。例えようもないほど素晴らしい文明であった」

旅人はいったい人類というものがいつこの世に生まれたのか知りたかったがそれは無理もないとあきらめた。
老人はさらに続けた。

エピソード6

「ある真夜中、枕元に淡い光に包まれた者が現れた。彼はこう言った。そなたは村いちばんの賢者と呼ばれておるそうだが、聖水を湛えるための箱を作ってみよと。わしは髪の毛一本の狂いもない寸法で完璧な箱を作ってみせたが、その者が聖水を注ぐと箱の隅からポタポタと水がこぼれ落ちた。彼はほくそ笑むと、では美しい円を描いてみよと言った。わしは、それは簡単なことと答えて一本の棒とひもを使って円を描いてみせた。彼はうなずくと、では完全なる球体を作ってみよ。七十七日後にまた訪れよう、と言って去った。わしは山から石を削り出し、寝る間も惜しんでピカピカに磨き上げた。その者は約束どおり七十七日後に現れ、わしを天上界に連れて行った。そして真空の宇宙にある完全なる氷の平面の前に立った。そなたが作った球体が完璧であるならどこまでも真っ直ぐに転がるであろうと言った。結果は無残にもフラフラと蛇行し暗闇に落ちて行った」

エピソード7

「次に目覚めると、そこは巨大な街で、褐色の肌のそれは美しい顔立ちの人々が暮らしておった。わしはどうやら技術者で、大きな課題の責任者という立場じゃった」

旅人は先読みして質問した。
「そこはもしかして砂漠で巨大な建造物を造ろうとしていた?」

「いやそこそこ緑もありとてつもなく大きな川が流れておった。雨や川の水を使って農作物を作ることもできた。巨大な建造物というのは正解じゃ」

「たくさんの奴隷を使ってそれを造ろうとしていたのですか?」

「奴隷を見たことはなかった。世界中の権力者や王族、技術者などがこの街に集まっておったんじゃ。あこがれの都市と呼んだほうが正しいかもしれぬ。その建造物じゃが、石を高く積んで四角錐の山を造るという壮大な計画じゃ。しかしある高さ、数十メートルまでいくと必ず崩れてしまう。世界の優秀な技術者、科学者、数学者も解決できない難問じゃった。わしはあの日教えられた、人間ごときに完璧な箱も球体も作れないという限界を感じていた。そしてその夜、かつて見たことのある二重螺旋の巻き貝が夢に出てきた。わしはその美しい比率を使って石を切るよう提案した。頂点まで3分の2の高さまで石を積み上げた。そこから最初に話した世界の優秀な者たちの知恵と努力によってついに山は完成した」

「しかし何千年も前の太古の人類にそのような技術や知能があったとは信じられない奇跡ですね」

「何千年?わしの記憶では何万年も前の話じゃが。そもそもあなた方が生きている現代よりもはるかに優れた文明が存在しておったのは確かじゃ。特に至上ともいえる美意識は例えようもない」

「確かに絵画やレリーフ、彫刻、ヒエログリフなどは世界中の芸術家を夢中にさせましたね」

「話しているうちに思い出したが、その建造物は黄金で覆われておったんじゃ。頂点は純金の塊じゃった。誰が施したかも知らぬし、これほど巨大で精密な構造であるのに設計図というものがどこにもないことに皆完成後に気付いたんじゃ」

旅人はあり得ないと思った。このような目に見えぬ力によって導かれ、取りつかれてしまう妄想はどこにでもある。予言者などはその典型だ。

「ではその表面はでこぼこの石積みではなく平らな面であったと?」

「その通りじゃ。厳密には歪曲した鏡のような8面ということになる。さて随分長く話しておるがまだ聞きたいかね」

「もちろんです。面白くなってきました」
旅人はこのペテン師の噓をどこかで暴きたい欲求に駆られていた。

エピソード8

「次に目覚めた時、わしは巨大なスタジアムに立っていた。何万人もの観衆に囲まれ、ライオンやサイなどと戦う闘士であった。かつて凶暴な捕食者から逃げ回っていたわしが今度は立ち向かう羽目になってしもうた。しかし屈強な肉体と抑えきれぬ闘争本能で戦い続けた。猛獣を倒すと割れんばかりの大喝さいを浴びたが、ゲームを主宰している王も観衆たちもその究極の娯楽に終わりはなく、どんどんエスカレートしていった。王に仕えて運営を担っている者たちが、最後まで戦って生きていれば解放されると笑いながら伝えてきたが、そんな幸運な戦士が存在しないのは明らかだった。何故なら王とその一族、民衆は戦士が血にまみれ、引き裂かれる最期を望んでいるからだ。そして最後の戦いだと銘打ってスタジアムに水が張られた。その見たこともない巨大なプールにサメが何頭か放たれた。わしは何頭か殺した後、残りのサメたちを説得した。この戦いに意味はないと。サメは戦意をなくした。観衆はみな失望したが、王はその褒美にちゃんとした住居とごちそう、酒を用意してくれた。その腹の中は分かっていた。どうせ解放する気などない。わしが死ぬためのステージを考えているに過ぎない。そうしたある夜、美しい王妃が密かにわしを訪ねてきた。どうやらわしの勇敢な姿に惚れたらしい。たちまち恋に落ちた二人は当然危険な状況になった。しかし燃え上がった炎を抑えることができず、ある真夜中に逃亡を図った。海までたどり着いた。満ちた月が海面を照らし美しかった。わしは姫に、海の向こうに美しい街があります。そこまで逃げましょうと言った。姫はうなずいて微笑んだが、振り返るとそこには追手が迫っていた。ふたりは何も言わず、強く抱き合って海に身を投げた。苦しみはなかったがすぐに意識を失った。姫には申し訳ないことをしたと悔やんでおるが時は戻せない」

古代ローマのコロッセオか。5万人も収容する究極の娯楽施設。剣士たち、つまりグラディエーターの戦いと死は群衆の狂気を現代に語り継ぐ。

エピソード9

「次に目覚めた時、わしは東へと向かっていた。途中、菩提樹の下で瞑想する青年に出会った。彼は衣服もボロボロで痩せ細っていた。わしは持っていた砂金を少しばかりそのひざ元に置いた。彼は静かに目を開き、歩き出そうとするわしを引き止めた。旅のお方、私はじきに悟りの書を寺院に収めます。これは経典となり、東方、朝日の昇る国へ届けねばなりません。あなた様の心にとまった若き修行僧にお伝えください。と言って、目の前にある池に音もなく進み入り、蓮の花の上でまた瞑想を始めた」

「わしは旅の途中で体に異変を起こした。我慢をして歩いておったがついに道に倒れた。意識が戻ると、生まれて間もない山羊を抱いた可愛い少女が座っていた。家族が微笑みながら集まってきて、温かい山羊のミルクを与えてもらった。その美味しさは永遠に忘れることができない。彼等は貧しかったが、その瞳に一点の曇りもなく、わしの回復に力を注いでくれた。やがて生命力を取り戻したわしは、その家族と共にヤギやヤクの乳を搾り、チーズを造り、薪を割って過ごした。貴重な食糧を惜しむこともなくわしにも与えてくれた。最初は気付かなかったが、あの可憐な娘は盲目であり、耳もほとんど聞こえない様子だった。少女は毎晩、子山羊を抱いてわしの膝の上に座った。わしは今まで見てきた美しい風景やたくさんの物語を、見ることも聞くこともできぬ幼子に語った。ある日家族はわしにこう告げた。この子のために私たちは神の住む山へ巡礼の旅に出ます。どうかお元気で、と。わしは少しのためらいもなく同行させてくださいと願った。とても大変な旅になりますがそれでもよければと諭すような答えをもらった。とにもかくにもわしはこの心優しい家族と別れるのが嫌だったんじゃ」

旅人は、もはやこのほら吹き老人の嘘を暴く気持ちもすっかり失せ、早く続きを聞きたくて仕方なかった。

エピソード10

「しかし想像を絶する過酷な旅じゃった。巡礼の家族は娘と両親、祖父母、わしの六人であった。彼等は普通に歩かない。道に身を投げ出し、起き上がって手を合わせ、また身を投げ出す。永遠にその礼拝を繰り返すのだ」

「五体投地」旅人はつぶやいた。

「やがて衣服はボロボロになり、体は傷だらけになり、食事はともに旅をするヤクの乳で作ったバター茶に大麦を加え団子にしたものがほとんどだったが、途中で出くわした盗賊にすべて奪われてしまった。わしは大地にあおむけに寝て満天の星空を見上げた。神は存在しない。あるいは我々を見捨てたのだ…家族には口が裂けても言えないが正直そう思った。翌朝少女に起こされた。彼女は満面の笑みでわしの手を引いた。坂道を越えると丘の上の壮大な宮殿が見えた。標高も4千メートルを越え、皆行き倒れ寸前であったが、宮殿の法王と僧はわしらを快く迎え入れ、食事や休養の場を与えてくれた。わしは聞いたんじゃ。あなた方家族もそうですが、どうしてこの国の人たちは見知らぬ他人に尽くしてくれるのですか。彼等は答えた。人を愛し、人のために祈り、そして人のために生きることが神様の教えだからです、と。我々は生気を取り戻し、残りの旅を続けた。出発から約一年をかけついに最終目的地に着いた。大地から突然生まれたような純白に輝くその山が我らを迎えた。皆声も出なかった。黙って抱き合った。」

「カイラス…」

「わしはしばらく呆然と手を合わせ山を見ていた。無というものを始めて感じた。するとどこからか声が聞こえる」

「修行者よ、ここまでよく参られた。褒美をひとつ進ぜよう。何なりと申すがよい…」

わしは間髪入れず応えた。「あの穢れなき娘の目と耳をお開き下さい」

「あの子の目が見えず、耳が聞こえないことは、お前たちにとって不幸なことなのか…」

「いえそうではありませぬが、この世の美しい景色、夜明けの鳥の歌声、季節の移り変わりを知らせる風のささやきを知らせてやりたいのです」

「この子は神の姿を見ること、声を聴くことができるがまあ良い、その望みかなえよう。ただしそのためには家族のだれかの命を、この聖なる山に捧げねばならぬが…」

「たやすいことでございます。この私のみすぼらしい命でよければ、たった今この瞬間にでも捧げましょう」

「潔い覚悟、承った…」

エピソード11

「気付くとわしは葬儀の場に横たわっていた。ハゲワシが数十羽集まってきた。彼等はすべてを理解しており、その時が来るのを律儀に待っている。赤い袈裟を着た僧侶が経を唱えてくれた。ともに寄り添う娘の姿を見つけた。少女は生まれて一度も聞いたことのない経を愛らしい声で唱えていた。時が来ると一斉に鳥たちが群がり、わしの身体の肉をすべて呑み込んだ。そして天空高く舞い上がり、神の山へと帰っていった。娘は空を見上げていつまでも手を振っていた」

物語の終わりは近いと旅人は思った。

エピソード12

「次に目を開けると、鋭くとがった山頂の岩肌にしがみついていた。激しい雨風にあおられ、深い谷底へ今にも落下しそうだった。霧の向こうに若者が立っている。わしに気付くと、大丈夫ですかと笑った。このような状況で何故笑っていられるのか不思議だった。ここで何をと大声で聞くと、この山の権現様に会いに来ましたと言ってまた笑った。間近に雷が落ち、山全体が震えた。奈落の底へ落ちそうです。早くこの剣先のような場から下りましょうと叫んだ。若者はやはり笑いながら、是非に及ばず。神が死ねというなら喜んで受けましょう。向こうの世界に行けるのならば楽しいことでありますと答えた。わしは遠い昔の約束を思い出した。この若者に違いないと確信した。あなたに伝えねばならぬことがありますと言うと、たった今、天空よりの言霊を権現様を通じて受け取りましたと力強く返した。わしは安心したとたん、風に飛ばされ、暗い谷底へ落ちた」

エピソード13

「厳しい寒さの中でわしは目を覚ました。あの日鳥たちが連れて行ってくれた聖なる山かと思ったが、どうも違う。わしは若き修行僧に促され、食事の支度をして、奥の院と呼ばれる御廟に運んだ。夜明けと陽の沈むころ二度、雨の日も雪の日も嵐の日も運び続けた。御廟の下で、この聖地を開いた師は即身仏となられて三百三十三年を経た現在も祈り続けていると言う。そうして千日が過ぎた頃、わしの枕元に師が現れた。あなたを呼ぶ者が居る故、明朝山を下りなさいと言って消えた。空が白み始めた頃、共に過ごした僧たちに別れを告げ山を下りた。しかし途中で吹雪がひどくなり、気温はますます低くなり、わしはその雪にのまれて動けなくなった。薄れゆく意識の中で、長い長い旅路がとてつもない速さで駆け巡った。無間の輪廻がここで終わるのかもしれないと思った。寒さの感覚はなくなり、真夏の遠雷と雨音にまどろむように、おだやかな陶酔に満ちたわしは深い眠りに落ちた」

エピソード14

「残念ながらわしはまたしても目を覚ました。船で西に向かい、静かな美しい入り江に着いた。美しい衣装に身を包んだ、知性と品格に満ちた人々の中でひときわ圧倒的な威厳に包まれた人物が現れた。このお方が大将かと思い、わしは深々と頭を下げた。彼は思ったほど威圧的ではなく、優しくわしに語りかけた」

『先日私の枕元に高名な僧が現れまして、この島に社殿を建設し、一族の守り神として祀る様にと霊言を承りました。あなたが特別な才能を持つ者という噂を都にて聞きました。どうか力をお貸しください』

「わしはこのお方の霊格を悟り、頭を上げることもできず、御意のままにとお答えした。わしはこの入り江の潮の満ち引きを見て、すぐに壮麗な社殿が頭に浮かんだ。海の底の龍宮城がもしも浮かんできたとしたら、という風景が見えたんじゃ。わしは時を惜しんでこの神々しい事業に取り組んだ。全国から腕のいい宮大工が集まった。彼等はみな誇りに満ちており、気高く無欲に、全精力を注いだ。そしてまるで海に漂う蜃気楼のように、見事な朱塗りの社殿と大鳥居が完成した。わしはその喜びと心労により、死んだように眠った。幾日も眠り続けた夜、それはそれは美しい女神さまが現れた。透きとおって向こうの景色の見える端麗な手で琵琶の音を響かせ、微笑まれた。わしはこの時間が永遠でありますようにと願ったが、女神さまはすぐに天上に帰られた。お告げを守った彼とその一族は栄華を極め歴史に刻まれたが、やがて棟梁が熱病によりこの世を去り、戦に負けて一族は滅した。わしは海を渡って生き延び、託された神器のひとつである剣をある山の頂上に納めた。晴れていた空がにわかに暗雲に覆われ、雷光の一撃によってわしは意識を失った…」

おもむろに風が吹き始め、夏の嵐の匂いを旅人は感じた。

エピソード15

「わしは今まで経験したことのないさわやかさで目覚めた。頭の中の雑念がすべて消え、透明になったような感覚だった。この星が生まれ、数十億年の時が流れたその一瞬一瞬が鮮やかに壮大に広がった。そして何者かが語りかけてきた。姿は見えない」
『あなたの旅は長かったですか、それとも瞬きするほどの時間でしたか?』「と聞かれた。わしはその問いに答えず、ここはどこですか、あなたは神ですか?と聞いた」
『場は認識であり、神は概念ですから答えはすべてあなたの意識の中にあります』
「とその者は答えた。ならば時間も概念にすぎませんから、あなたの問いは矛盾していることになります」
『その通りですね。あなたを混乱させない様にと考えた上の愚問でした。先ほどの問いに対する捕捉としては、私はというか私どもは、解脱した超生命体ということです』
「姿が見えませんが、と言うと」
『私たちは筐体を持ちません。意識だけの次元に存在します』
「ではなぜ無数の意識の中から私のような者を拾ったのですか?」
『あなたという霊体がとても面白かったからです』
「少しの意味もないように思いますが」
『そんなことはありません。意識の高まりこそが次元の成長をもたらすのです』
「あなた方が神ならお願いがあります。この永劫なる輪廻をどうか終わりにしてください」
『残念ながらその望みをかなえることはできません。我々が存在する宇宙には始まりもなく終わりもないのです。星が寿命を迎えれば新たな星が生まれます。宇宙が死ねば新たな宇宙が生まれるのです』
「あまりに残酷な摂理です。塵のひとつにもなれないのですか?」
『ひとつだけお答えしましょう。我々が存在する宇宙は小さな小さな、塵よりも、原子よりも素粒子よりも小さな宇宙なのです』
「信じがたいことです。そんな小さな世界が存在するなんて…もしやあなた方は人類の進化系ではなく、科学と文明の最終形態?」
『いずれ分かる日が来るでしょう』
「そしてわしは気が遠くなると言うにはあまりにも超光速で多次元を駆け抜けた。ここにいるのが最後じゃ。いやいや長い話を続けてしもうた」

旅人は大きくため息をついて答えた。
「いえ楽しすぎてあっという間のひと時でした」
老人はゆっくりと、けれど風のように去っていった。また新たな旅に向かうに違いないと旅人は思った。

エピソード16

行きずりの人が旅人に声をかけた。
「ご老人、私は旅のひと休みの場を探しておりました。よろしければ何か面白い話などお聞かせください」

旅人は首をかしげた。
「ご老人とは誰のことだろう?私はまだ若い。先ほどまでいた老人がまた戻ってきたのだろうか」
旅人は辺りを見回したが誰もいない。おそるおそる池を覗き込んだ。水面に映るその姿は、白髪と、同じく真っ白な長いひげ、深い皺の刻まれた老人そのものであった。集まった亀やスズメや鳩やカラスたちが笑っているように見えた。
旅人は悟った仙人のように語り始めた。
「古い古い、そして長い長い話になりますが…」

















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