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星の墓碑銘

1945年8月8日、ソビエト連邦は中立条約を破棄、8月9日未明、満州国へ侵攻を始めた。

開拓移民の子として、この地新京で生まれ育った山下大輝は5歳を迎え、妹の春子は3歳の可愛い盛りであった。

父は軍に召集され一か月以上音信が途絶えたままであった。

大輝にとって母淑子と三人の暮らしは不安でもあり、何より父の帰りを待つ日々の寂しさは小さな胸を締め付けていた。

押し迫ってくる恐怖は音もなく色もなく、そのことがかえって息をひそめて待ち構えている家族の呼吸を重くしていた。

8月15日ついに日本は降伏し、この数日間荷物をまとめていた淑子はふたりの幼子と共に決意して家を出た。

中国人も朝鮮人も復讐心に満ちており、狂ったように略奪や暴行を繰り返していた。

街の風景にあるはずのない、まだ幼い子供の首がいくつも晒された。

大樹が通り過ぎた遺体のひとつは、生皮をすべて剥がされ、見たこともない鮮烈な赤い肉の塊であった。

何故だかわからないが大樹はそれが父だと思った。

新京駅には満州鉄道の特急あじあ号が白い蒸気に包まれていた。

大輝にとっては憧れの、夢のような世界一の豪華列車であったが、今はただの巨大な黒い鉄の塊にしか見えなかった。

軍の施設には皇帝一族や宮内府職員が固まっていた。

一団の中心には追い詰められた皇帝溥儀、王妃、溥傑、浩と小さな娘の姿が見える。

苦難と流転の始まりを誰もが予想した。

国力の象徴あじあ号は新京から大栗子まで疾走し、そこで線路は破壊されていた。

山下親子は他の日本人たちと歩き、いつ襲われるかもしれぬ恐怖と飢えに耐え、通化という町に身をひそめた。

銃声や悲鳴におびえながら身を寄せ合って生きる日々であったが、幼い子供たちを不憫に思い、食べ物を差し入れしてくれる中国人の若い夫婦もいた。

ソ連兵や中国共産党軍、朝鮮人たちによる暴行や性的強制、略奪は頂点に達し、その修羅はもはや人間と呼べるものではなかった。

そして1946年2月3日、蔣介石の国民党軍と共産党八路軍による激しい戦いにより、河川敷に無残に並べられたおびただしい死体、街には数千人の虐殺された日本人が積み上げられていた。

どの遺体も衣服をはぎ取られ、丸裸であった。

そのような惨劇のさなか、妹の春子が高熱を出し、明らかに呼吸が弱くなっていった。

母淑子は凍える寒さの中、一晩中抱いていたが、明け方には息絶えていた。

数日前に春子と歳が同じくらいの男の子が亡くなっていたが、その母親は部屋の隅でずっと遺体を抱いたまま丸くなっていた。

淑子と他の人たちが何とか説得し、春子とともに埋葬した。

火葬もできず、大輝は母と黙って土をかけた。

ふたりとも一滴の涙も流すことなく、その瞳はうつろに輝きを失っていた。

共に生き延びてきた仲間のひとりが、ここに留まってただ死を待つより、わずかでも希望をもって歩こう、と提案した。

皆黙ってうなずき、準備を始めた。

淑子は一晩、身を引き裂かれる思いで決断したことがあった。

時々食料を持ってきてくれる若い中国人夫婦に、大輝を預かってくれないかと頼んだ。

子供に恵まれていなかった夫婦は、ふたりとも目を輝かせて喜んだ。

心配しなくていい、大事に育てると言った。

淑子は毅然として大輝に必ず迎えに来るからと諭した。

大輝はもちろん泣いてしがみつきたかったが、幼いながらこの苦境において自分が足手まといになることは十分理解できた。

中国人夫婦と三人で仲間たちを見送ったが、母は一度も振り返らなかった。

大輝は中国人の子供として生きた。

村の子供たちは彼が日本人であることにおおよそ気付いており、少なからずいじめにもあったが、育ての親の深い愛情により健やかに育った。

4年が過ぎ10歳になった大輝のもとに見慣れぬ人たちが訪れた。

日本から残留邦人を探してやって来たカトリック教会の信者であった。

育ての母は首を振り続けて大輝を離そうとしなかったが、数時間後に父に抱きしめられて、彼らの手に自らの命とも呼べる子を預けた。

大輝は列車の窓から遠ざかる街を眺めながら、また別れなければならないのですかと神に問いかけた。

大地に太陽が沈もうとしていた。

あの夕日に向かって行けば父と母に再び会えると言い聞かせた。

1972年9月、日中国交正常化が達成され、海に昇る朝日も大地を輝かせる太陽も同じであることを両国民は知った。

2年後の1974年、34歳になった山下大輝は、実母淑子と大栗子役所の職員とあの時大輝を探し出したカトリック教会の支援者と共に、長白山と鴨緑江に囲まれた美しい街を歩いていた。

24年の月日は当然村の様相をすっかり変えていたが、多くの諦めぬ親身で丁寧な助けにより、そして懐かしい川のせせらぎや花の匂いに導かれていた。

一軒の農家の庭先で初老の女性が淡々と麦の穂を束ねている。

彼女は日本の童謡を口ずさんでいたが、見慣れぬ訪問者に気付き顔を上げた。

大輝は静かに近づいてその足元にひざまずいた。

繰り返されてきた季節と時間が懸命に彼女に追いつき、目の前の神様の贈りものを抱きしめた。

やがて沈む陽は大地を深紅に染め、満天の星が降り注ぐことを大輝は思い出した…


あとがき

この作品は史実を元にしたフィクションであります。

旧満州国に日本人は155万人生活し、少なくとも24万人以上がこの大地に眠っています。

参考文献

群馬、下仁田の「佐藤和江さんの手記」

愛新覚羅浩「流転の王妃」

2022年2月6日


#創作大賞2022

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