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自分の思い出

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2020年10月の記事一覧

六甲山のトラウマは克服出来ず…残念!

六甲山のトラウマは克服出来ず…残念!

以前noteに「地獄の六甲山で別れなかった奇跡」を書いた。内容は結婚前の私と夫が六甲山天覧台に向かう途中、車の故障で断念した苦い思い出だ。

今日バラライカというロシア料理屋に行くために神戸へ行った。ピロシキとボルシチが最高だった。食後「この後どうする?」となり私は30年ぶりに六甲山に車で行く?と提案した。そして車のナビに六甲山天覧台を入力し出発した。途中夫は六甲山に登るケーブルカーがあるから車で

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初めてのパターンの嫌な夢

初めてのパターンの嫌な夢

私がよく見る嫌な夢は大学受験直前なのに全く勉強してなくてむっちゃ焦る夢だ。

今朝見た初パターンの嫌な夢は、大学をサボりまくり留年するかどうか分からなくて焦っている夢だった。

いまだに夢の中で親にドヤされると恐怖している自分がいて笑える。

目が覚めた時は本当に嬉しかった。夢で良かった…と心底ホッとした。無事社会人になれてよかった☺️

私が村上龍さんにハマったきっかけ

私が村上龍さんにハマったきっかけ

中学生の頃テレビドラマ必殺仕事人が大好きだった。藤田まこと演じる中村主水が最高だった。あと三田村邦彦演じるかんざし職人の秀にハマった。私は暗い孤独な男が大好物。まさに秀は私の理想像だった。高校生になり一人暮らしを始めても三田村邦彦の大ファンは続いた。そして三田村邦彦主演映画「限りなく透明に近いブルー」という作品を知った。当日はレンタルビデオ屋もなく映画を観ることが出来なかった。そして私は限りなく透

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腕時計と祖母の笑顔

腕時計と祖母の笑顔

40年くらい前、高校に合格したお祝いに祖母が腕時計を買ってくれた。

祖父は私が中学2年の時亡くなり、祖母は西と呼ばれる家で暮らしていた。ご飯の時はいつも私が「おばあちゃん、ご飯出来たよ」と呼びに行っていた。

自分の腕時計を持つのは初めてだったので凄く嬉しかった。腕時計を売る人が祖母が住む西にやって来た。私はたくさん並んだキラキラ光る腕時計を前にウキウキしていた。色々迷った末に私は銀色の腕時計を

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変人好き女のバレンタインデー唯一の思い出

変人好き女のバレンタインデー唯一の思い出

学生の頃大好きだった男の子がいた。頭はすごく良かったが有名な変人だった。私は変人の男が大好物だ。クラスの私以外の女の子達は彼が嫌いだと言っていた。もしかすると私以外にも彼に好意を持つ女子もいたかもしれないが誰も口には出してなかった。

バレンタインデーの日が近づいたある日クラスのリーダー的女子が「くじ引きでバレンタインデーにチョコレートをあげる男子を決めよう!」と提案した。皆それに賛成しくじを引い

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体毛の消滅とちょっとした復活

体毛の消滅とちょっとした復活

私は生まれつき毛深い体質。子どもの頃は毛深くない母親に「お母さんは手足に毛が無くていいなあ」とよく愚痴をこぼしていた。母はいつも「お母さんも若い頃は毛深かったけど歳をとって毛が無くなったんじよ。典子もきっと大人になったら無くなるわ」と慰めてくれた。当時の私は内心そんな訳ないだろ…と母の言葉を信じてなかった。

しかし母の予言通りいつの間にか私の手足のむだ毛はほぼ消滅した。

今年の4月に左手首を骨

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地獄の六甲山で別れなかった奇跡

地獄の六甲山で別れなかった奇跡

結婚前、今は夫になった彼と車で神戸へ出かけた。当時の車はグレーのラングレーだった。中古で買ったらしい。30年経った今もそうだがその日も車中では浜田省吾の歌がかかっていた。忘れてしまったが日中は神戸の街を歩いたり食事をしたりしたんだろう。夕方になり彼が車で六甲山に登るか?と言ってきた。当時の従順だった私はうなずいた。

六甲山を登り始めたが物凄い渋滞だった。六甲山頂から見える美しい夜景の人気が原因だ

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仕事の失敗は多いが言い訳だけはしないこと

仕事の失敗は多いが言い訳だけはしないこと

初めて就職した時、仕事をする上で自分が守るべきことを紙に書いた。30年以上前のことだから何を書いたかほとんど忘れてしまった。唯一覚えている守ることは「言い訳しない」だ。何故覚えているのか?理由ずっと守っているから。何故守ることができているのか?言い訳をする人間が嫌いだから。

言い訳をしないためのコツ。まずミスをしたことを認める。そして謝る。次に今後どのようにしてミスを取り戻すかを説明する。ミスが

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喋り方を可愛くしたいけど出来ない訳

喋り方を可愛くしたいけど出来ない訳

私がよく言われる3つの言葉「声が低い」「毒舌」「モテない」

私だって出来ればモテたいし可愛い女になりたいという願望はある。

以前娘と可愛い喋り方で一日過ごしてみようと決めたことがあった。しばらくの間、低い声を高めにし上品で可愛い喋り方で娘と会話してみた。娘とはいつも楽しく笑い合って喋っているが、可愛い喋り方をした途端に全く笑いが起きなくなった。可愛い喋り方では毒舌も出ないし面白い会話にならない

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自動車教習所の思い出〜地獄の登所拒否〜

自動車教習所の思い出〜地獄の登所拒否〜

大学2年の時、親から自動車免許を取るように言われた。下宿から一番近い中央教習所に通い始めた。教習所の先生の大半は無愛想で優しくなかった。しかも私は運転が下手だった。当時はまだオートマのみの教習がなかった。坂道発進が恐怖だった。だんだんと教習所通いが嫌になり予約を取らなくなった。もともとサボり癖がある私は教習所に全く通わなくなった。

自動車教習所は前払いだ。親が何十万円もの金を払ってくれた。恐ろし

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自転車暴走族の誇り

自転車暴走族の誇り

私はペーパードライバー😊移動手段は自転車が多い。子育て真っ只中の時代は朝ギリギリに家を出て自転車で爆走し通勤していた。

まだ子どもが保育所に通っている時はお迎えの制限時間ギリギリになり暗い道を必死で自転車をこぎまくり何回も事故をした。全速力の自転車で突然開いたトラックのドアにぶち当たり両膝から血を流しながら保育所に到着し保母さんにビックリされたこともある。今まで一番多かったのは自転車同士の衝突

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芸術的センスの弱さと笑いの欲求が強いこと

芸術的センスの弱さと笑いの欲求が強いこと

私には芸術的センスがない。絵画、音楽、服飾など好き嫌いはあってもセンスがない。昔からお洒落も下手だ。

ただ笑いをつくり出す欲求は強い。少し自慢になるが小学生の頃から先輩に「この子は面白い」とよく可愛がってもらった。考えてみると生涯で一番よく褒められる?言葉は「面白い」かもしれない。

毎年徳島公園で開催される野外彫刻展。ここ10年くらいは毎年見に行っている。彫刻の作品を味わうために参加しているの

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血管が死ぬこと

血管が死ぬこと

私の腕の血管は太い。若い頃は職場の上司から「オッさんみたいな血管やなあ」と笑われていた。

人生初の手術は長男の帝王切開。手術前に点滴が始まる。看護師さんは太い血管がたくさんあって助かりますと笑っていた。手術に使う点滴の針は太い。術後7日間ずっと点滴は続いた。退院後しばらくして腕に固いシコリを見つけた。触ると細い針金のようなものがある。少し心配になり近所の病院に行った。医者は「血管が死んで固くなっ

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諦めという名の鎖を身をよじってほどいてゆく

諦めという名の鎖を身をよじってほどいてゆく

私が10歳の時、アザミ嬢のララバイでデビューした中島みゆきは日本を代表する唯一無二の歌姫。

彼女の歌は全て好きだ。一人暮らしの時、彼女がオールナイトニッポンのパーソナリティをしていたので毎週聴いていた。軽妙なトークの合間にかかる彼女の曲。そのギャップが凄かった。

中島みゆきの歌の中で一番好きな歌はライブバージョンの「ファイト」だ。高校生だった長男が聴くように勧めてくれた。

特にこの部分が来る

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