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「関係性のケア」を重視する

久しぶりに読み返しての備忘録となります。

人間らしくあること、あるいは人間らしさを取り戻すこと。

ケアの中心に「ケアを受ける人」を置かない。「ケアをする人」を置くのでもない。

ケアの中心にケアをする人と受ける人との「関係性」を置く。

「何をするか」の前に、自分と相手との間にどのような人間的な関係を築くのかに焦点をあてる。その上でケアの行為を通して「あなたも私も人間同士ですよ」というメッセージを伝えていく。

認知症などの病が原因でコミュニケーションが難しくなると、私たちが慣れ親しんだやり方では関係性が維持しにくくなる。そうすると何が起きるか。人間的な関わりが失われてしまうのである。

ユマニチュードでは、この「人間的な関わりの喪失」がケアをする側もケアを受ける側も望まない状況を生んでいると考える。ケアで重要なのは、喪失を生み出さないこと、つながりをつくり続けることなのである。

援助者と被援助者という非対称の関係に生じている緊張を解消できる、具体的なコミュニケーション技術。

「あなたを大事に思っている」ということを相手が理解できる形で伝えるための技術。

(「『絆』を築くケア技法 ユマニチュード: 人のケアから関係性のケアへ」大島寿美子)

「ケアをする人」の定義

  • 健康に問題のある人に対して回復を目指し、

  • それができなければ現在の機能を保ち、

  • いずれもできないときには最後まで寄り添うことをする人

諦めないのはケアではなく、「関係性」

  • 関係性をあきらめた結果が不適切なケアとなる(拘束)

  • 大事だと思っていることとやっていることが一致しないから、ケアをする側が燃え尽きる

不適切ケア(強制ケア) = パターナリズム

強い立場にある者が弱い立場にある者の利益のためだとして、本人の意志は問わずに介入・干渉・支援すること

(「『絆』を築くケア技法 ユマニチュード: 人のケアから関係性のケアへ」大島寿美子)

私たちケアをする側は「どうすればいいか」答えを知らない。

学んではいるけれども「知っている」とは言えない。

あなたのためになることを知っているのはあなただけ。

ケアをする側にとって最初の「敵」はあなたのためになることを「自分たちは知っている」と思ってしまう自分自身。

望むものは何か(自律の要素)、それを尋ねる

(「『絆』を築くケア技法 ユマニチュード: 人のケアから関係性のケアへ」大島寿美子)

関係性の柱

  •  見る

  •  話す

  •  触れる

認証か攻撃か

  • 相手の承諾を得た上での行為か、

  • 得られないままでの行為か

アイデンティティの柱

  • 立つ - 歩く、活動する

1日10歩の移動が褥瘡を予防し、1日20分の立位が寝たきりを防ぐ
生活の中に立つ・歩く・関節を動かす時間を組み込んでいく

身体に対しての技術的なケア以外の思想は、特にお客様に対してだけでなくスタッフ同士などの人間関係においてもとても大切なことなのだと読んでいて感じました。

「何をするか」の前に、自分と相手との間にどのような人間的な関係を築くのかに焦点をあてる。

(「『絆』を築くケア技法 ユマニチュード: 人のケアから関係性のケアへ」大島寿美子)

そして、「何のために」関係性を築く必要があるのか、その観点を持たない人が感情のままに振舞って拠点内の空気をザラつかせる要因となるのだと思っています。

今日も読んでくださいまして、ありがとうございます。

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