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新たに関わる相手を受け入れない人

先日のコラムでは、これまでの関りの歴史があるがために、なかなか向き合う相手の「良い変化」を認められない残念な人がいることについて触れました。

今回は、これまでの関係性がなくても、新たな関りを拒む人について。

例えば、この2年近くはコロナ禍のため、他のエリアからの人の訪問に否定的な人たちがいます。

ただ、「何のために訪問しているのか」をもう少し切実に捉えた方がいいのではないかと思っています。

当社の拠点は各地に点在していますので、その全てに営業活動の支援ができる担当者を配置しているわけではありませんので、当然必要に応じて他のエリアからの行き来が生じます。

「必要に応じて」と前述しましたが、つまり営業力が弱い拠点だから営業担当者を送り込んでいるわけです。

ですから個人的な心情で「来て欲しくない」というのは分からなくもないですが、それなら現状の問題に対して「他にどのような手を打つのか」の意見も併せて主張して欲しいわけです。

ところが、大概こういう否定的な意見を述べる人物というのは、「嫌だ」とは言うものの、代替案というものは出してきません。

なぜならば、何が「一番嫌」なのかというと、今の環境が変わることに否定的なわけです。

今のままの自分がいい。

これまでどおりの行動を続けるのがいい。

新たな手を打たないといけない状態というのは、反対に、
・ 今のままのあなたではいけない
・ これまでどおりのあなたの行動ではいけない
から変化を求めるために資源(人、物、金、時間、情報)を投入するのです。

改善のための手を打つ際に、その行動の足を引っ張るようなマイナスの動きをする人物こそ、一番変化を求めないといけない対象なのだと考えています。

営業担当者の例で話をしましたが、上司と部下の関係でも同じことが言えます。

部下は上長を選ぶことは出来ませんが、同じように変化を求めずに新たな上長と関わることを否定するような人物もたまにいます。

「何のために」という目的を見据えて前向きな言動をする上長と、変化を嫌う部下と、どちらを支持していくかというと、答えは明確です。

環境をより良く変えていくための行動に参画されないのであれば、いくら「私はこれまでの状態がいい、ここがいい」と主張されたとしても、残念ながらその人の居場所は無くなっていきます。

前を向いている人間のことを否定する人間は、結果的に自らが否定されます。

今日も読んでくださいまして、ありがとうございます。

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