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短編小説「無題」 vol.8
拝啓
夏本番を迎え、暑さに弱い私にとっては過ごしにくい日々が続いています。梅雨明け宣言はまだですが、連日の酷暑に体調を崩していませんか。
さて、先日の手紙にあった四十九日の件、かしこまりました。その数日前から学校は夏休みになっており、土日は部活が無いので、参加できると思います。お母さんから何も連絡がなかったので、知らせてもらって良かったです。
一昨日届いていた父からの手紙の返事を書き始める
短編小説「無題」vol.7
土曜日に行われた試合は、予想していた通り苦戦の連続だった。昨年度までだったら圧勝していた相手に辛勝したが、初戦で勢いを付けられなかったチームの雰囲気は重かった。決勝戦で春季大会優勝校と対戦するが、常に相手ペースだ。キャプテンを中心に声を張り上げるが、どの声にも本音が籠っていないように感じた。
「まだ大丈夫」
「切り替えていこ」
「ドンマイドンマイ」
どの言葉も、言ったほうが良いと世間的に
短編小説「無題」vol.6
祖父が亡くなってから、もう四十九日を迎える。人はよく「実感がない」という言葉を使うが、今までの私にはその言葉がしっくりくる経験がなかった。高校生になった実感、大学生になった実感、二十歳になった実感、社会人になった実感、どれも鮮明に私に迫ってきたし、その実感がないなんて生活に支障を来すと思っていた。
あとは、両親が離婚した実感。当時10歳だった私でさえ、もう父と母は家族ではないのだと分かった。父
短編小説「無題」vol.5
5年ぶりに入った祖父の古本屋は、思った以上に本があった。そのほとんどが日に焼けていたり、背表紙の上部がやや綻んだりしていたが、そのおかげで祖父がこの店で過ごした年月が無言のうちに眼前に迫ってきた。父が離婚しこの店に入ったのは15年前だけど、この店はそれよりもずっと前から、祖父とともにこの鎌倉に住み着いている。
以前来たときは、成人式の前撮りの写真を褒められ気恥ずかしく思っていたため、店の本など
短編小説「無題」 vol.4
父からの手紙は次のようなものだった。
拝啓
暦の上では秋だというのに、まだまだ厳しい暑さが続きます。体調いかがお過ごしでしょうか。
突然の手紙で驚かせてしまったことでしょう。里美の住所は母から聞きました。勝手に聞いてしまったことをお許しください。今回手紙を差し上げたのには理由があります。それは、おじいさんのことです。
これまで元気に一人で生きてきたおじいさんですが、先日急に息苦しさを感じ
短編小説「無題」 vol.3
両親が離婚した後、里美は母と一緒に住むようになった。もともと両親と里美は3人でアパートを借りて住んでおり、父がそこから出ていくことになった。父は地元に帰った。神奈川県鎌倉市だ。大学進学を機に地元を離れ、群馬県にやってきた。大学で母と出会い、結婚を視野に入れていたため、鎌倉市には帰らず、群馬県に残った。そんな父にとって約20年ぶりの地元での生活になった。
地元では両親が自営業を営んでいた。群馬で
短編小説「無題」 vol.2
着古したシャツのようにくたびれている体に鞭を打ち、夕飯を食べ終えた。仕事帰りに寄ったスーパーで買った惣菜に、冷蔵していた白米を温めたもの、それに大好物のミニトマト3つ。食事は人生の中でもかなり上位に占めていたはずなのに、ここ最近は適当に済ませることが多くなっている。それも仕事が多忙すぎるためだ。帰宅するのは20時過ぎ。そこから料理をしたり食器を洗ったりすることなど、今の私には到底できない。
立ちくらみ格闘記 vol.1
私はよく立ちくらみを起こす。気を失って倒れたこともこれまで数回ある。
人生で最初に気を失って倒れたのは、小学2年生の秋だった。運動会の練習で全校児童が校庭に集っていた。開会式の練習で、何度もお辞儀の練習をしていた。初めは何ともなかったのだが、次第にわき腹が痛くなってきた。「お腹痛い」そう思った私だったが、尿意や便意ではないことは、小学2年生くらいになれば判別できた。
そのまま練習に参加し
短編小説「無題」 vol.1
車を降りると、雲の隙間から星が数個見えていた。ここ最近の七夕の夜は、いつも曇っている気がする。去年も曇っていた。去年は記録的な長い梅雨だったから、7月上旬が曇っていたのは全く不思議ではない。むしろ雨が降らなかっただけマシだったのか、と夜空を見上げながら、私は思う。
連日の残業、心も体も荒んでいくのが手に取るようにわかる。車のドアを閉める手に力が入らない。が、車のほうが私に気遣って、ドアを閉める