拝啓 おじいさん

拝啓 おじいさん

 梅雨の雨で濡れた紫陽花が、初夏の日差しで輝いている今日この頃。空の上ではいかがお過ごしでしょうか。

 4月中旬、おじいさんの七回忌を行いました。早いものですね。おじいさんが亡くなったとき心から悲しんでいたおばあさんは、今も変わらず元気にしています。「もう私も90のばあさんだ」と何年も前から自虐しているので、私はおばあさんの正確な年齢を知りません。この調子だと、あと5年ほど「自称90のばあさん」が続きそうです。

 私も毎年のように人生の岐路に立ちながら、なんとか元気に過ごしています。空の上から見る私はなんとも頼りないかもしれませんが、安心してください。

 さて、今回このようにおじいさんに手紙をしたためたのは、七回忌という節目を迎えたこともありますが、それ以上に、今もまだ心に閊えが残っているからです。正直この気持ちは、おじいさん本人にぶつけることでしか浄化できないのかと思っています。孫のわがままだと思って、少し我慢して受け取ってください。


 おじいさん。あなたはとても頭が良い人でした。あなたはいつも座椅子に座っていて、本を読んでいました。ときには居眠りをしながらも本を読み続け、気づいたら夕飯時になっていたということが多かったですね。89歳で亡くなる直前まで、ボケたようなことは一つも言わず、最期まで聡明な方でした。

 私の父は、「俺が小さい頃からおじいさんは勉強熱心だった」と言っていました。「遊んでほしくて後ろから抱き着くけど、机に向かって何か黙々とやっていて、結局あまり遊んでもらえなかった」と苦笑いでしたよ。それを清算するためかわかりませんが、孫である私たち3姉弟のことはたくさんかわいがってくれましたね。

 おじいさん。あなたはとても我慢強い人でした。自衛隊員として長年訓練を積み、国や家族を守るために厳しい状況を幾度となく乗り越えてきたのでしょう。何事にも弱音を吐かず、文句を言わず、静かに黙って受け入れる。でも、大切なことは芯をもって貫く。そんな生き方をずっとしてきたのでしょうね。

 おばあさんはよく言っています。「私の料理が下手なのは、おじいさんが何でも文句言わずに食べたからだ」と。マズいともウマいとも言わずに食べていたのは、私も知っています。ただ、昔お腹を壊したからという理由でスパゲッティだけは食べなかったというところには、人間味がありますね。

 おじいさん。あなたはとても温かい人でした。自衛隊を退舎してから、私たち姉弟が通う保育園の園長として勤め、子どもたちの健やかな成長を見守っていました。

 あなたが管理していた園の畑には、毎年たくさんの農作物が実りました。あなたの人柄が乗り移ったように、誰からも「おいしい」と言って受け入れてもらえる温かな優しい味の作物ばかりだったことを覚えています。

 

 あなたが病気になったと知ったのは、亡くなる1年前です。もともと肺を患っていたのに、そのとき発覚したのは「胃がん」。病状を父から聞いたときは、不思議と心中穏やかでした。それはきっと、あなたが病気なんて吹き飛ばしてくれると勝手に思っていたからだと思います。

 病気が発覚する3年前、あなたは盲腸を患いましたね。そのときの話が、私には衝撃でした。あなたは、少しお腹が痛いからと、かかりつけの町医者に歩いていったそうですね。調べてみると、盲腸。よく盲腸で医者まで歩いていけましたね。驚くと同時に、「おじいさんらしいな」と思って笑えました。

 今回もきっと大丈夫。そう思っていました。

 一人暮らしをしていた私は、その後もあなたとはあまり頻繁には会えませんでした。でも帰るたびに、あなたは何事もなく、今まで通りに過ごしていた。「ほらね、やっぱり」。私は何度も心の中で頷きました。

 あなたの誕生日は12月初旬。89歳の誕生日は、姉の結婚発表も兼ねて、盛大に行われましたね。あなたは誕生日ケーキを前に、高らかに宣言しました。「ありがとうございます。来年は90歳の節目を迎えます。またこうして祝ってもらおうと思うので、今から来年の予定を空けていてください」と。そこにいたみんなは、どう思っていたのでしょう。そして、あなたは。嘘をつかない誠実なあなたのことですから、あの言葉に嘘偽りの気持ちなど微塵もなかったと思います。

 あなたが緊急入院をしたと父から聞いたのは、3月中旬のことでした。私は半月後に就職を控え、少し落ち着いた日々を送っていました。「想像以上に弱っていると思います。覚悟して帰ってきてください」と父からのメッセージ。

 その後のことは書くにも及びませんね。1カ月弱の自宅介護を経て、あなたは静かに息を引き取りました。自分の最期を知っていたかのように、写真や遺品などは丁寧に片付けられていたそうですね。

 今これを書いているときの私の涙は何なのでしょう。後悔、寂寞、悲痛、感謝。一言では表せない思いが重なっているのだと思います。

 私は今でも、そしてこれからも、おじいさんを尊敬しています。おじいさんのような人間になりたい。おじいさんが歩んだ道は、私の目の前に伸びています。ただ同じ道を歩むのではなく、私なりに歩んでいければと思っています。

 こういうことが言いたかったのかもしれません。もしくは、言いたかったことなんて、何も言えていないのかもしれません。

 私は、あなたが亡くなることを受け入れる準備ができていませんでした。人が亡くなるとはどういうことか知りませんでした。あなたは、身をもってそれを示してくれました。もう会えなくなるということの重さがよくわかりました。だから、人に真摯に向き合うことができるようになりました。

 ありがとうございます。

 もう筆を置こうと思います。

 もしかしたら、また伝えたいことがでてくるかもしれません。またその時に。それでは

                                敬具


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