短編小説「無題」 vol.4

 父からの手紙は次のようなものだった。

拝啓
 暦の上では秋だというのに、まだまだ厳しい暑さが続きます。体調いかがお過ごしでしょうか。
 突然の手紙で驚かせてしまったことでしょう。里美の住所は母から聞きました。勝手に聞いてしまったことをお許しください。今回手紙を差し上げたのには理由があります。それは、おじいさんのことです。
 これまで元気に一人で生きてきたおじいさんですが、先日急に息苦しさを感じたようで、私が付き添って病院に行きました。検査の結果、肺ガンということでした。ずいぶん進行していたようですが、「年のせいか」とこれまで軽く見ていたため、ここまで発見されることがなかったようです。おじいさんと主治医と相談した結果、抗ガン剤治療などはせず、残りわずかになった人生をありのままの姿で生き抜くことに決めました。
 今はまだ古本屋も変わらず営んでいますし、私と一緒に今まで通り生活をしています。年寄りは進行が遅いと言われていますが、いつ急変するかもわかりません。幼いころからおじいさんのことが好きだった里美には、できるだけ早く伝えようと思った次第です。おじいさんもいつも里美のことを気にかけています。だから、頻繁でなくていいので、時間ができたら鎌倉に遊びに来てください。おじいさんも喜ぶと思います。

 一枚目の便せんはそこで終わっていた。この事実を知ったとき、私は案外自分の心が波立たないことを残酷だと思った。大好きだった祖父が病気になり、もう長くは生きられない。いつかそういうときが来るとは思っていたが、そのときはこうもあっさりと来るのか。そして私は、それをこうも平坦に受け入れることができるのか。私は私を疑った。
 実感が湧かなかったわけではない。手紙を一文字も見落とさず、それを一つ一つしっかり解釈した。そして、その事実を理解した。
 ふと手元を見ると、便せんがもう一枚あることに気付いた。一枚目を後ろに回し、二枚目を読み始めた。

 私がお母さんと離婚し、鎌倉に帰ってきたとき、おじいさんはほとんど何も言わずに受け入れてくれました。昔の人だから、離婚をするという選択肢がおじいさんの人生にはなかったはず。ましてやおばあさんを早くに亡くしたことで、「家族」というものへの情愛は深くなっていたはず。でも、おじいさんはあの穏やかな空気で、急に帰ってきた息子を受け入れました。
 ただ一つ。一年に一回、「里美は元気でやっているか」と決まって私に尋ねてきます。それは、里美の誕生日です。誕生日を一緒に祝ったことはなかったけれども、里美が生まれてすぐに群馬に駆けつけてくれたおじいさんなので、里美の誕生日を特別に思っているのだと思います。たった一人の孫と気兼ねなく会える機会を奪ってしまった。それが私の親不孝です。
 里美。あなたはおじいさんにとって、大切な孫です。私の面子を保つためではなく、自分のことを大切に思ってくれている人を大切にしてあげてください。離婚をして家を出た父がこんなことを言う資格はないと思いますが、戯言です。
 学校現場は毎日忙しく休まらないかと思いますが、これからも元気に頑張ってください。それでは。
                               敬具

 二枚目の手紙が、私の心の平穏を壊すには充分だった。祖父の私への思いを初めて知った。祖父と会えなくなることに大きな無念を抱いていた当時の幼い私に聞かせてあげたい。あのときの思いは片思いではなかった。私は父からの手紙を両手で強く握りしめ、胸に押し付けた。頭を垂れ、ゆっくりと床に膝を着いた。涙があふれてくる。口からは嗚咽が漏れる。
 祖父の死の予感が、私に迫ってきた瞬間だった。

 その手紙をもらって数週間後、たまたま部活動が土日ともにオフにできたので、その時間を使って祖父のいる鎌倉に行くことにした。10月に入ったこともあり、その日の朝は晴れているにもかかわらず気温が20度を下回った。つい先日まではタオルケットだけで寝ていた私だが、最近はもう一枚布団をかけなければ風邪をひきそうになる。
 群馬から鎌倉まで車で3時間弱。途中2回ほどサービスエリアに寄ったが、大きな渋滞もなく着いた。
 鎌倉に来るのはもう5年ぶりだ。以前来たときは、私が成人を迎えた年だった。青い振袖を来て前撮りした写真を持ってきた。その前も5年ほど空いていたため、見違えるほど大人になった私を見て、嬉しさよりも驚きのほうが大きかったように見えた。でも、私が祖父の立場でも、女性の変化には驚くと思う。中学卒業時の女の子が5年経つと誰だか分からないほど垢抜けたりギャルになったりすることは多々ある。私はそこまで変化していないつもりだったが、中学卒業時より髪を伸ばし、髪を染め、化粧をしていたとなれば、それは確かに大きな変化だ。というか、父は私の写真などを母からもらったり、祖父に見せたりしていなかったということか。それもどうかと思うのだが、父らしいと言えば父らしい。
 5年ぶりに会った祖父は、小さくなっていた。何が、か分からない。でも、確実に、小さくなっていた。今ならなんとなくわかる。それは、「生」が小さくなっていたのだと思う。生きることにしがみつかず、死ぬことを受け入れた人は、堂々として清々しくも見えるが、この世に残す自分自身をなるべく少なくしようと心が努めるのだろう。
 祖父を見て、自分の目が潤んだことを自覚したが、口を固く結ぶことでそれ以上目立たせないようにした。駐車場でのあいさつもそこそこにし、祖父と父が営む古本屋に入った。

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