短編小説「無題」vol.6

 祖父が亡くなってから、もう四十九日を迎える。人はよく「実感がない」という言葉を使うが、今までの私にはその言葉がしっくりくる経験がなかった。高校生になった実感、大学生になった実感、二十歳になった実感、社会人になった実感、どれも鮮明に私に迫ってきたし、その実感がないなんて生活に支障を来すと思っていた。
 あとは、両親が離婚した実感。当時10歳だった私でさえ、もう父と母は家族ではないのだと分かった。父ともう会えないかもしれない。母と二人の生活ってどんな感じなのだろう。不安や心細さが一瞬で私を包み込み、三人で囲んでいた食卓から逃げ出したことを覚えている。
 だが今回は、祖父が亡くなったことは、実感がもてない。父からの手紙で祖父の病気を知った時のほうが、まだ実感があった。理解できた。でもどこかで、祖父の病気は本当は大したことはなく、加齢による衰弱くらいに思っていた。いや、信じていた。願っていた。だって、10月に鎌倉に行ったときに会った祖父は、全く病気なんて感じさせなかったから。

 金曜日の学校は、やはり休日前ということもあり、全体的にやや疲れた雰囲気を漂わせている。だが、週末に中学3年生が参加する最後の市大会があるため、部活動に精魂込めて命を懸けていくという体育会系の暑苦しさも無視できない。
 いつも通り、手応えのない授業を進めていく。私は中学2年の副担任をしているため担当クラスというものがない。そのため、と言うべきかわからないが、どのクラスに行ってもどことなく「よそ者」という距離を感じる。2年生の全4クラスの国語を担当しているが、生徒の誰もが死んだ魚のような目をして私の授業を受ける。そもそも国語を好きという物珍しい生徒が少なく、その上「よそ者」教員が教えているのだから、テンションが上がらないというのが条理なのだ。
 そんなことはわかっている。私は面白い人種ではない。面白い教員がする授業は見栄えが良く、なんだか面白そうに錯覚してしまうが、私は人前で何の疑いもなく自分をさらけ出して注目を浴びるような人種ではない。人当たりは良いと思うが、それは向こうから関わってきてくれるような場合だ。中学2年というのは、昨年度から関わっている教員がそのまま担当することが多いし、すでに友だちとの関係もできている。すでにできている輪の中にずけずけと踏み入って、自分がその場を回していくなんて、そんな厚かましいことはできない。そういうことができる人のことを、人として少し下に見ている自分が、こういうときは自分が損に感じる。
 4時間目が終わり、給食の時間だ。今日は2年1組担任の教員が出張で不在のため、副担任の私が給食指導を行う。給食指導と言っても、中学生だから任せていれば何も問題ない。何かあったときに誰か大人が付いていないといけないからいるだけだ。
 給食当番の生徒は友だちとおしゃべりをしながらも食器や食缶を運んでいる。中にはテキパキと活動している優等生風な女子もいるが、そういう子は目立たないから損だよなと、かつての私を見ているようで不憫に思ってしまった。結局教員と仲良くなったり、後々まで教員の記憶に残ったりしているのは、少しやんちゃで学年でも目立つ言動をするグループの生徒だ。成人式後の同窓会で中学3年時の担任から忘れられていた私は、そういうグループに所属していなかったから当然のことだ。そういう教員側の事情も、教員になった今だからこそ理解できる。
 「今日は五十嵐先生なんだから、そんなに盛っちゃダメじゃん」と笑いながら注意する給食当番の生徒。このクラスの担任は大柄な体育会系男性教員なので、いつも大盛りの白米を食べさせられていると聞いたことがある。「食べさせられる」と職員室で愚痴っていたその教員は、愚痴を言いながらもどこか嬉しそうだった。「本当はうれしいくせに。自分は生徒に愛されていますって言いたいんでしょ」と内心嘲笑っていたが、もちろん自己防衛のためだ。そんなことを思い出しながら、生徒たちのやり取りを、聞くともなく聞かぬこともなく教卓に座っていた。
 給食は何事もなく終わった。
 そのまま一日が何事もなく終わればよかったのだが、そんなはずはない。午後の授業がない時間に職員室で仕事をしていたら、保護者から私宛に電話がかかってきた。教頭が私に電話を取り次ぐとき、「あんまり言うようなら管理職につないでいいからね」と慰めるように言ってくれた。電話の相手は、部活動の保護者だった。

 「お忙しいところすみません。今よろしいでしょうか」保護者も一応気遣う格好だけは示す。
 「はい、今は授業がない時間ですので。どうされましたか」そう聞きながらも、私は保護者が何の用事で電話をかけてきたか分かっていた。
 「明日の大会なのですが、金井先生はいらっしゃいますか」やはり、その件だった。
 金井先生とは、私が担当している女子バレーボール部の外部コーチであり、昨年度から部活動の指導をしている方だ。私が今年この中学校に異動してきたから、私よりも生徒との付き合いが長いということになる。また、私はバレーボールの経験がないため、専門的な指導ができる金井先生が実質的にこの部活動を指導している。
 「はい、いらっしゃいます。大会の日程もすでに伝えてあります」
 「ありがとうございます。で、春の大会のときも少しお話しましたが、監督席に座るのは・・・」そこで保護者は言葉を区切った。皆まで言わないが、保護者が言わんとしていることはすでに伝わっている。
 「ああ、はい、あの・・・。顧問会議でも確認したのですが、監督席というかベンチに金井先生が座ることはできます。ただ、選手へのアドバイスや選手交代は、変わらず顧問のみできるということでした」
 「ええ!?またですか」保護者は攻撃するタイミングを計っていたらしく、私の発言に食い気味に返してきた。「先生、前も言いましたけど、そういうことこそ、バレーを知っている金井先生がやらないでどうするんですか!」
 このやり取りの伏線は、4月末に行われた春の市大会にあった。前任の女子バレーボール部顧問はバレーボール経験者であったため選手に的確な指示を出せていたのだが、新任の私はバレーボールに疎いため金井先生が作戦面や技術面で指示を出すことが良いだろうと考えられていた。だが、大会前に行われた会議で、試合中に指示を出したり選手交代をしたりするのは監督席に座る顧問だけであり、副顧問や外部コーチはベンチに座っていることしか許されないというのだ。タイムを取ってベンチに選手が戻ってくる場合は指示が出せるのだが、その時間も短いし、一試合のタイムの回数も限られている。結局、昨年度は市大会無敗だった本校は、春の市大会で敗退してしまったのだ。
 その市大会後に、保護者会長から外部コーチの扱いの問題を指摘されたのだ。今電話をかけてきたのも、この保護者会長だ。
 「私も金井先生のお力をお借りしたいと思って、顧問会議でも議題に上げたのですが、相談の結果却下されてしまったんです」
 「いやあ、納得できないです、先生」保護者会長は引き下がらない。「だって、先生が選手に指示出せるんですか?」
 「いえ、私もその点について、会議でも伝えました。『私はバレーボールの経験もなく、昨年度から指導している外部コーチの指示があったほうが、生徒が悔いなくプレーできると思います』と言ったのですが、それは公平性に欠けるという判断になってしまったのです」
 「なんとかしてください!!!!!!」電話の向こうで保護者会長が声を荒げる。
 私は答えに窮してしまい、教頭のほうを振り返る。私と目が合った教頭が、無言でうなずく。私は一度電話を保留にし、教頭のもとへ避難する。
 保護者とのやり取りを伝えると、教頭も腕組みをし考え込んでしまった。結局、その後の電話は教頭が引き受けてくれて、私は解放されることになった。だが、どの道明日の市大会で顔を合わせることになるのだ。一気に気が重くなる。なんだか喉の辺りがむかむかする。気持ち悪くなってきた。電話を切った教頭も呆れ顔だった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?