短編小説「無題」 vol.8

拝啓
 夏本番を迎え、暑さに弱い私にとっては過ごしにくい日々が続いています。梅雨明け宣言はまだですが、連日の酷暑に体調を崩していませんか。
 さて、先日の手紙にあった四十九日の件、かしこまりました。その数日前から学校は夏休みになっており、土日は部活が無いので、参加できると思います。お母さんから何も連絡がなかったので、知らせてもらって良かったです。

 一昨日届いていた父からの手紙の返事を書き始める。祖父の四十九日。一昨日も思ったが、祖父が亡くなってすでに四十九日も経つのか。祖父の訃報を聞いたのが、つい最近のようだ。それだけ日々せわしなく過ごしているということだろう。祖父の忌引きが明けてすぐ仕事に追われる生活に戻ったため、忌引きの数日だけがまるで夢だったかのように異質なものとして記憶に残っている。

 6月上旬のある日の朝方、母から電話がかかってきた。震えるスマホを手に取り、画面に表示される母の名前。上に小さく映る時刻は、まだ6時前だった。寝ぼけた頭で電話に応じる。
「もしもし」
「ごめんね、こんな朝早くに電話して」母は努めて落ち着いているような感じだった。「さすが教員は休みの日でも早起きなんだね」
「お母さんの電話で起きたんだよ。もうどうしたの、こんな時間に」会話が途切れれば、またすぐに夢の中へ戻ってしまうような私の声。
 母は一呼吸おいて、先ほどよりも一層ゆっくり、丁寧に、そして重々しく告げた。
「里美。驚かないで聞いて。実は、おじいさんが亡くなったの」
 寝ぼけていた私の頭が急に覚醒した。急に覚醒したせいで、ずきんと前頭部に頭痛を感じた。
 もしかしたら夢だったかもしれない。どこまでが夢でどこからが現実か、正直自信がなかった。だから聞き返した。一縷の望みを込めて。でも、聞き返したことで、望みは完全に消し去られてしまった。
 母は淡々と祖父のことを教えてくれた。日付が変わるころ深夜に亡くなったこと。ここ数週間で急に容態が悪化していたこと。ギリギリまで店先に立っていたが、最期の一週間は寝たきりだったこと。
 「おじいさんね、病院に入院するって選択肢もあったんだけど、最期まで家に残るって決めたらしいの。あの家はおばあさんと一緒に過ごした家だし、長年営んだ古本屋でもあったからね。いろんな思い出と一緒に最期まで生きたかったのかな」
 母がぽつりぽつりとこぼす。私はすでにベッドから起き上がっていた。でもどこに行くともなく、ベットの脇に立ち尽くしていた。なんと返事をしたらよいかわからず、ただ「うん」とだけ言った。
 祖父の葬儀のことは後で伝えると言い残し、母は電話を切った。
 アラームをかけた時間よりも30分以上早く目覚めてしまったが、二度寝をするなんて考えは微塵もなかった。この日は午前中に部活動の練習が予定されていた。気持ちの整理をつけるために休もうかと思ったが、市大会1カ月前で気合いが入っている雰囲気に水を差すわけにもいかない。
 大きく深呼吸を一度したあと、「よし」と一言声に出して、キッチンに向かった。

 祖父の葬儀は鎌倉で行われた。前年の10月に車で祖父の家に行ったことがある私が運転をし、母を乗せて行くことになった。
 鎌倉に着くまでの約3時間、私と母は祖父の生前のことを語り合った。語り合うというほど私は語ることがなく、必然的に母が話すほうが多くなっていたが。
「私が初めておじいさんに会ったのは、お父さんと結婚する報告をしたとき」
 母はフロントガラスから見える真っすぐな高速道路の遥か彼方を見ながら話し始めた。
「その時はおばあさんも元気だったから、二人で私たちを迎えてくれたの。古本屋を営んでいるって事前に聞いていたけど、思ったよりたくさん本があって驚いたな。それまで古本って、正直なところ、なんとなく汚くて売れないってイメージがあったんだけどね、おじいさんの店に入ってそれがガラッと変わってさ」
「変わったって、どんな」
「なんて言うか・・・お店の中に温かさが籠っていたって言うか。古本屋って、暗くてじめじめして。本の終活場所みたいなイメージだったんだよね」
「あーなるほど。なんとなくわかるかも。あんまり良い印象ないよね」
「そうそう。良い印象じゃなかった。でも」母は言葉を区切った。そして一つ鼻から息を吐いた。その時の間違っていた自分をおちょくるような、清々したため息だった。
「おじいさんとおばあさんが、本を家族のように大切に扱っているんだなって、すぐわかった。本についている前の持ち主の手あかとか汚れとかも含めて、大切に管理して、次の持ち主にちゃんと引き継ぐぞって。二人がそうやって考えていたかは分からないけど、なんかそんな風に感じてね」
 母の昔話を聞いて、自然と頬が緩んだ。大きく深呼吸をした。母の言っていることが、なんとなく理解できた。
「なんか、おじいさんらしいよね。それって。大切に扱うとか、前の持ち主のことも忘れずに、本に魂を宿してあげているって言うか。『想い』を大切にするって、なんかおじいさんっぽい」
「本当だね。だから、そういう雰囲気を感じて、『ああ、こんな素敵なご両親と家族になるんだ』って。結婚するって決めていたけど、それまではなんとなくぼんやりしていたんだよね。でも、お父さんの実家に行って、おじいさんとおばあさんに会って・・・『家族』ってものを明確に思い描いた瞬間だったかな」郷愁を含んだ声だった。
「そっか」
 車内はしばらく無言になった。でも、そこには出発したときよりも、慈愛の念が宿っている気がした。

 祖父の葬儀は滞りなく執り行われた。喪主である父とは、やはり10月以来の再会だったが、それ以降も文通は不定期に行っていたため、久しぶりという感じはしなかった。父と母も、たびたび連絡を取っているらしく、離婚したとは思えないほど蟠りない空気を纏っていた。特に祖父の病気が明らかになってからは、通院のたびに父から連絡をしていたらしい。
 二人が一緒に住んでいるとき、父はいつも仕事の帰りが遅く、母のことも後回しにすることがあったらしいが、離婚してから15年以上経ったときのほうがマメになっているとは、なんとも皮肉なことだ。離婚する前に父がこれだけマメに母と関係を維持しようと努めていれば、今でも家族そろって住んでいたのではないかと、少しだけ父のことを恨めしく思った。
 ただ、離婚したことで、早くにおばあさんを亡くした祖父が独りで生活しなくて済むようになったのも事実だ。そういう点では、病気になって弱っていく祖父を献身的に介護した父を誇らしくも思ってしまう。

 数日の忌引きのあと、再び残業まみれの日々に戻っていった。学校では定期テストが迫っていたため、テスト作成に時間を割かれた。テストが終わったら、採点地獄。私は国語科の教員であるため、採点には人一倍時間がかかる。生徒が書いた文章を一つ一つ丁寧に読んで、〇か✕か、それとも△で部分点を与えるのか考えなければいけない。そんなことをしているうちに、祖父のことは頭の隅に追いやられてしまった。

 そんなことを思い出しながら父への文通を書き終えた。丁寧に封をして84円切手を貼る。もう書き慣れた父の住所を書き、その隣に「佐伯里志様」と大きく書いた。
 日が暮れて近所のスーパーに買い物に行くついでに、手紙をポストに投函した。吹く風は温く、でももうすぐ梅雨が明けると予想される爽やかなものだった。

 この度の四十九日は、母とは別々に向かった。私は相変わらず車で、母は電車で鎌倉まで行くということになった。
 その日は朝から晴れており、体温越えの気温を報じていた天気予報に媚びるように、車の温度計は37度を示していた。乗車と同時にエンジンをかけ、クーラーの吹出し口を全て自分のほうに向ける。3時間のドライブを思い、気合いを入れ直してから、車のレバーをDに入れた。


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