水泳とヒーリング

 私は小学校入学前からスイミングスクールに通い始めた。理由は、「姉がやっていたから」という何ともありがちなもの。兄姉がいる人は、そういうきっかけで何かを始めることが多いのではないだろうか。
 初めてスイミングで泳いだときの記憶は今も鮮明に残っている。幼かった私は、体の穴という穴から水が入るのだと思っていた。そのため、ゴーグルをしているのにも関わらず両目をぎゅっとつむり、両手の人差し指で両耳を押さえ、小指で鼻をつまんでいた。スイミングの先生に笑われた。
 そんな私だったが、なぜか上達するのが早かったと思う。小学1年生の夏に25mを泳ぎ切ったときの達成感も鮮明だ。どんなに辛い過程でも最期まで諦めずにやりきれば、次にやるときには「なんであんなに苦しかったのか」と思うほどあっさりやれるようになる。水泳は自己肯定感を常に高めてくれた。

 とは言え、私は中学進学を機に、水泳を辞めている。私の進学する中学校には水泳部はなかったのだ。それぞれのスイミングスクールで練習し、大会のときだけ中学校の名を背負うという仕組みだった。それでもよかったのだろうが、「部活」という思い描いていた青春を謳歌したいということで、水泳に一区切りをつけた。

 もう一度水泳に関わるようになったのは、大学生になってからだ。大学の近くに市民プールがあり、そこで監視員のアルバイトを始めた。そこで、遊泳者を監視するだけでなく、自分の趣味としても再び泳ぐようになった。その後も細々と水泳を続けており、就職してからも自分で小さな記録会にエントリーすることがある。もしかしたら一生関わるスポーツかもしれない。

 水泳や陸上など、個人種目で延々とその練習をするようなスポーツをやっている人なら、一度は聞かれたことがあるだろう。
「やっているとき何を考えているのか」
「ずっとやっていて飽きないのか」
 私も例にもれず、よく聞かれてきた。その質問の意味するところも分かる。野球やサッカーなどの団体種目や、テニスや柔道などの個人の対戦型のスポーツは、「ひとり」(「一人」?「独り」?)ではないから、周りの人とコミュニケーションをとりながらできる。それが楽しい。一方、水泳や陸上は「ひとり」でやるスポーツだ。
 陸上は練習中に周りからアドバイスや励ましの声掛けを受けたり、音楽を聴いたりすることができる。だが、水泳は水の中でやっているため、そういうことも困難だ。つまり、水泳こそ「ひとり」スポーツの最たるものと言える。あくまでも個人の見解だが・・・。

 私はその「ひとり」性が好きだ。ひとりで黙々と取り組める。自分が意識したいことを頭の中に置きながら練習できる。考え事をしながら少しぼんやりと泳いでもよい。ペースを上げれば、悩みなんて忘れるくらい疲れることもある。挙げればキリがないが、そういうことが可能なのも、水泳が「ひとり」でやるスポーツだからだと思っている。
 昔からずっとこの理由は変わらなかったし、水泳が好きな理由を聞かれたときは真っ先に思い浮かんだ。

 だが最近、もう一つの理由が浮かんできた。それは、「水の音にはヒーリング効果がある」ということだ。
 よく、海辺で波の音を聞いたり、川のせせらぎを聞いたりすると、気持ちが落ち着くということが言われる。それは自然界だけに限定されるのではないのだろう。
 先日市民プールで泳いでいたときに、ふと思った。「水の音がいい」と。
 壁を蹴って姿勢を維持したまま水中を滑っていくときの音、クロールで息継ぎをするために右を向いたときの音、クイックターンをするために水中で前転するときの音、どれも妙に心地いいのだ。
 それらの音を聞いていると、疲れのパラメータが下がってくる。泳いで疲れてくるので、「体力的な疲れ」ではなく「精神的な疲れ」が減ってくるということだが。これまでのことを思い返しても、泳いだあとはどこか気持ちがスッキリしていた。それは運動したことによるリフレッシュもあるだろうが、加えて、水泳のヒーリング効果もあるはずだ。
 疲れたときこそ泳ぎたくなる、ふとした瞬間に水泳が好きだと感じる。そう思えるものに出会えて、私はとても幸せ者だと思う。

 よし、そうとわかれば、さっそく今日もこれから泳ぎに行こう。最近の多忙な仕事のツケを晴らすために。

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