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続・佐藤の「普通」とかおりの「普通」
前回のnoteで「普通」について書いた後、肝心なことの抜け落ちに気づいてしまいました。
原作は初回版を買って読んでいたはずなのに、なんで今まで見落としていたのでしょう。
佐藤がかおりの「普通」を観測したのって、偶然の対面でもなく、Twitterでもなく、Facebookのみだということに。
夜の街とSNS作品に登場する夜の街(ゴールデン街)もSNS(Facebook)も虚構の自分を楽しむ世界
佐藤の「普通」とかおりの「普通」
映画『ボクたちはみんな大人になれなかった』では、原作よりも「普通」というワードが強めに出ている気がします。
私は以前話題になった映画『花束みたいな恋をした』で「麦と絹は「好きな物の名称ビンゴ」が成立してただけで価値観の違う2人だった」と思っている派なので、『ボクたちはみんな大人になれなかった』における佐藤(=ボク)とかおりの「普通」に対する価値観にも注目してみました。
【仮説】「普通」への価値
あなたにとっての「ボクたちはみんな大人に〇〇〇」はなんですか?
映画『ボクたちはみんな大人になれなかった』の最後、打ち込まれたタイトルの「なれなかった」が消されました。
原作も映画も「鑑賞者が観た後に自分の人生と絡めて話をしたくなる」人が多くなるらしいので、きっと鑑賞者100人集めたら答えが100通りあるんじゃないでしょうか。
私にとっての答えは「なったね」です。そして本来のタイトルの「なれなかった」は、大人になった主人公が過去を振り返った時に、「あの時の
六本木の並行世界みたいな展示室
サントリー美術館で開催中の"information or inspiration?" 展がアバンギャルドすぎた件について。
① 鑑賞のルールと概要本展は作品の前情報がないほど、日本美術よくわかんないって人ほど楽しめる展示だった。
そして、通常の展覧会では聞いたことのない、以下のような説明を入場前に受ける。
ルートが分かれていることや、あえてキャプションを省いている展覧会には前例がある。しかし
『花束みたいな恋をした』鑑賞記録
同じものを好き=価値観は同じ、と感じるのは恋愛マジックのおかげなのだろう。でも、そのマジックの舞台上に上がれる人間だけが恋愛を楽しめるのではないだろうか。
『花束みたいな恋をした』には沢山の固有名詞が出てくる。それらは物語の主人公となるカップル、麦くんと絹ちゃんがお互いに好きなもので、それらを一緒に鑑賞したり話し合ったりするシーンが多く登場する。
麦くんと絹ちゃんは同じカルチャーが好きで、労働