記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

『花束みたいな恋をした』鑑賞記録

同じものを好き=価値観は同じ、と感じるのは恋愛マジックのおかげなのだろう。でも、そのマジックの舞台上に上がれる人間だけが恋愛を楽しめるのではないだろうか。

『花束みたいな恋をした』には沢山の固有名詞が出てくる。それらは物語の主人公となるカップル、麦くんと絹ちゃんがお互いに好きなもので、それらを一緒に鑑賞したり話し合ったりするシーンが多く登場する。

麦くんと絹ちゃんは同じカルチャーが好きで、労働環境さえ違えば別れてなかったんじゃないか、みたいな評をよく見かける。

表現されてるところだけで把握する限りだけど、2人は本当に「価値観が同じ」だったのだろうか。2人はカルチャーの名称だけでトランプの神経衰弱成功してただけなんじゃないかって気がしている。

※わたしが言いたいこと、既に呟いてらっしゃる方がいたので引用します

本当にカルチャーに真剣な人だったらファミレスで指摘される前からイヤホン共有なんてしてないだろうし、2人で漫画を同時に読んだりしないと思う。そもそも芸術をイチャイチャの口実に使う行為ってガチのカルチャーオタクなら忌避の対象そのものだし。

それに、もし描写されてないだけでそこそこカルチャーを追っかけてる2人だったとしても、娯楽として消費できない「本命」「推し」「刺さりどころ」が根本的にずれてたんじゃないだろうか。出会った日に飲食店でガチ考察語り合ってたら、麦くんははちあわせた大学同期を優先しているはずだ。

きっと恋愛を謳歌できるのって、価値観が一致してると思い込めたり、違いを楽しめる人たちだけなのだろうと思う。

ユリイカを読んで初めて知ったのだけど、「共通項があるから付き合う」というムーブメントはここ10年ほどのことだそうで。

とはいえそのムーブメントの刷り込みを受けた20代にとってそれは当たり前となってしまっているのだから、違いを愛せるように努力するよりも、気になる人を価値観が合う人だ!って思い込むほうが手っ取り早い。

そんな思い込みの恋愛マジックに浸れない、舞台上にすら上がれない自分は、恋愛を楽しめないまま終わっていくのだろうなーって苦しくなりながら観た、『花束みたいな恋をした』は自分にとってそんな映画だった。

この記事が参加している募集

#映画感想文

66,918件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?