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映画『愛なのに』鑑賞記録

私は映画『愛なのに』で1年分の「気持ち悪い」を使い果たした気がします。

鑑賞中は映画館から逃げ出さなかったのが奇跡なくらい気持ち悪さに耐え、人に映画の感想を語る時は「みんな違ってみんなキモい(読み人知らず)」を引用していかに気持ち悪いかを伝えまくりました。

しかし、その気持ち悪さ語りをここではあえて行わず、『愛なのに』好きなところと気持ち悪くなかったところの話をしようと思います。

好きなところ①:時間配分

『愛なのに』の時間配分はすごく好きです。特に、濡れ場売りの作品なのに濡れ場の尺が絶妙
だったところがよかったです。
あれより長かったら途中で帰ってたかもしれない…っていう絶妙な長さでした。

また、私はつまらない映画でも面白すぎる映画でも「(キャパオーバーすぎて)さっさと終わって…」って思いがちです。

それなのに、『愛なのに』では「早く終わって!」とはなりませんでした。内容がしんどくても、展開の時間配分とテンポがちょうどよかったからだと思います。

好きなところ②:ちゃんとラブコメしてる

作中では万引きからの追いかけっこ、コンドーム2枚重ね、岬両親の突撃等々、これ笑うところじゃん…ってシーンがたくさん出てきます。

そのどれもがコテコテのアメリカドラマだったら、スタッフの笑いが入ってるんじゃないかな?っていうコメディ要素に満ちてました。

かつて私は映画『勝手にふるえてろ』がラブコメとして売り出されたことに憤慨し、それ以降ラブコメって言葉が嫌いでした。

しかし、『愛なのに』のラブコメっぷりのおかげでラブコメって言葉への抵抗感が薄まった気がします。

『愛なのに』の気持ち悪くないところ

『愛なのに』で「気持ち悪い」と思った言動

=行為者または受容者として「気持ち悪い」と思ったことがある言動

だと思ってるので、経験のないものに対しては鑑賞中に「気持ち悪い」が発生しませんでした。

特に印象に残ったのは、「諦め」と「告白」です。

『愛なのに』における「諦め」は「気持ち悪い」と同じくらい大事なキーワードで、鉄棒の男の子の成功体験が「『愛なのに』には諦めて成功した/諦めなくて成功した、が散りばめられてる」って気づく装置になっていたわけですが、その鉄棒以外で「諦め」に紐づく行為が「告白」でした。


例えば、その時1番最悪なアプローチを的確に繰り返す正雄と、押せばいけると(おそらく)わかって手紙を渡し続ける岬。

正雄は岬を諦めたから他の子と上手くいって、岬は粘り勝ちして主体性のなかった多田に自分を選ばせました。

アプローチの方法自体は思春期の子だからギリギリ許せる「気持ち悪い」でも、「諦め」を選ぶかどうか、そして振られても再度「告白」するって行為自体は「気持ち悪い」と感じませんでした。

一歩間違えると犯罪なので安易に肯定できませんが、『愛なのに』を経由して考えるうえでは、「諦め」を拒否して再度「告白」することってわりと平気だなー、ありだなー、などと思いました。

「気持ち悪い」を連発してできたもの

絶対に公開できませんが、私は『愛なのに』の登場人物と演出、そしてこれまでの今泉さん作品のどこが気持ち悪いかを書き連ねた下書きを持っています。

しかし、その下書きで「気持ち悪い」を熟成させたら前述の文章が出来上がりました。不快感情に向き合うこと=生産性がない、が必ずしも成立しないことをはじめて体感したような気がします。

精神衛生上、ごくたまになら今回みたいに文章を熟成させてみるのも面白いものですね。

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