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《戦争と女の顔》鑑賞記録

先日読んだマンガ版『戦争は女の顔をしていない』で衝撃を受け、本屋大賞を受賞した『同志少女よ敵を撃て』も読了していたので、関連あるかはさておき観ることにしました。

2020年代の映画とは思えない間の取り方

登場人物が視線を交わしてさあどちらが動く?ってシーンが沢山あって、これは映画館じゃなかったら耐えられずスキップと巻き戻しを乱用していたと思います。車の中のシーンとか、イーヤが服を脱ぐところとか、2倍速で観たって長さに耐えられなくなっていたと思います。

この間って、実際に挙動が不思議な人に遭遇した時の緊張感とか、兵士が実際に体験したであろう前線での張り詰めた空気感を表しているようで興味深かったです。

印象的な赤と緑

レオス・カラックス作品を想起するような鮮やかな緑と赤が作品全体を通して印象的でした。イーヤの緑のカーディガンとマーシャの赤いトップス。色が逆転した、ラストシーンのイーヤの赤ニットとマーシャの緑ワンピース。赤い壁に雑に塗られた緑のペンキ。そして血の赤。

ロシア正教における色の意味であれば緑=永遠で赤=父なる神なんでしょうが、その意味で使ってないだろうし、ここは複数回観て理解する必要があるところかもしれませんね。

幸せになるための執着

マーシャの子への執着と、イーヤのマーシャへの執着。マーシャもイーヤも幸せになる方法を1つに絞りすぎて、しかもそれらは同時に成立するものではないので、互いに苦しんでいるように見えました。

たとえイーヤがマーシャの子を出産できたとしても、マーシャはきっとサーシャもしくは次の男と仲良くやるでしょう。終盤でマーシャがイーヤの生死に焦ったのだって、代理母と自分の子が心配だっただけでしょう?と勘繰ってしまう私は意地が悪いのでしょうか。

この話の解決策ってきっと、イーヤとマーシャが別離して、互いの執着に区切りをつけるしかないように感じます。昨今流行りのシスターフッドは成立しない世界です。そもそも、結婚と出産適齢期で、かつどちらかを諦めていない女同士のシスターフッドっていわゆる「男女の友情」と同じでしょうし。

辛い女の映画が豊作であることの複雑さ

『戦争と女の顔』、『わたし達はおとな』、『リコリス・ピザ』、『わたしは最悪。』等々、最近生きづらい女の話が豊作過ぎませんか?

女の生きづらさを語る場と見せたい人の多さって、幸福なのか不幸なのかわかんなくなりますね。とはいえどれも興味深くて、かつ映画館で反拘束されなかったら途中で逃げ出していただろうから、全部映画館で観られたのはよかったなと思います。




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