見出し画像

あなたにとっての「ボクたちはみんな大人に〇〇〇」はなんですか?


映画『ボクたちはみんな大人になれなかった』の最後、打ち込まれたタイトルの「なれなかった」が消されました。

原作も映画も「鑑賞者が観た後に自分の人生と絡めて話をしたくなる」人が多くなるらしいので、きっと鑑賞者100人集めたら答えが100通りあるんじゃないでしょうか。

私にとっての答えは「なったね」です。そして本来のタイトルの「なれなかった」は、大人になった主人公が過去を振り返った時に、「あの時の自分はは大人じゃなかったね」って思いから出た言葉だと思っています。

大人になった佐藤

映画内において、2020年時点の佐藤には、いわゆる「大人の対応」ができるようになっています。

例えば、時間が2020年に戻ってすぐのzoom会議。部下のオリジナリティがクライアントにバレた時、佐藤はすかさず「気づいちゃいました?」と言ってなごやかに場をおさめ、部下にもクライアントにもちょうどいい妥協点に結論を持っていきます。

劇中で後輩を持ち始めた頃の佐藤は、オリジナリティを出してきた後輩をしばき、「言われたことだけやれ」と怒っていました。なので、その頃の佐藤だったらzoom会議の時のような三方ヨシ!な対応はできていなかったと思います。

そして、佐藤が渋谷でクタクタになった七瀬に再会した時。佐藤の身なりや話ぶりを見て「会わなければよかった」と言う七瀬に対し、佐藤は「俺は七瀬に会えてよかったよ」と言います。

ここでの「会えてよかった」は本音でも建前でもどっちでもいいんです。過去に助けられたことへの感謝だろうが、自虐的な七瀬への最適解だろうが、あの場でその言葉を言えるということが大人としての素敵な対応なのです。冒頭に恵と関係解消した時の無神経さからかなり成長してます。

結果論としての大人

大人に「なる」って慣用句、成人式とか通過儀礼で建前上使うにはいいけど、実際とは乖離してませんか?

体感としての大人っていうのは結果論で、佐藤みたく過去を振り返った時に「なってる」ものだと思います。それが当人にとっていいことなのか悪いことなのかはさておき、職業みたく「なるぞ」でなれるものではない気がします。

そのうちどこかで書くかもしれませんが、私は仕事でどうしても大人になるしかなくて、映画で言うところの「びっくりマークの表現に対して社長が言ってたこと、新人の頃はわかんないけど社会人歴重ねるとわかってくるよね。」って思った側です。

「なった」でも「なってしまった」でもなくて「なったね」を選びたい

冒頭のあなたにとっての「ボクたちはみんな大人に〇〇〇」の話に戻ります。私はこの映画において「なったね」を選びたいです。

ボクたち、つまり佐藤と佐藤に関わった人たちは、タイミングはどうであれいわゆる大人になりました。

かおりはかつて抵抗していた普通を享受し、関口はいわゆるライフイベントにあわせて仕事や生活を変え、七瀬は舞台に立つこともお店に立つこともやめました。そして佐藤も、周りよりはゆっくりだけれど大人の対応ができるようになります。

だから、気づけばそれぞれのタイミングでみんな大人になってたね、という意味で「なったね」を選びたいです。

個人的に最後の「ね」は外したくありません。きっとTHE NOVEMBERS の 今日も生きたね の影響だと思います。この曲の「ね」に詰まっている相手への想いや温かいものが、映画《ボクたちはみんな大人になれなかった》にもあるような気がしたからです。

あなたにとっての〇〇〇はなんですか?

人の数だけ答えがあるであろう〇〇〇は、きっとどんな答えでも答えた人の人生が詰まってて、それはきっと苦しくて愛おしいものだと思います。

だから私は「なったね」を選んだし、他の人が何を選んだか聞いてみたいです。あなたは何を選びましたか?


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?