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私のこと

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過去の日記とは別に、私の個人についてのことや、私が考えたことなどをまとめました。
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#眠れない夜に

この鎖を切ってくれ

この鎖を切ってくれ

私は家族を愛している。
家族もきっと、私を愛してくれている。

この家に生まれたことが、最大の幸福であり、最大の不幸である。

私と信仰

私の家は、昨今話題にあがる新興宗教を信仰している。
幼児期から、日曜日は教会へ通って礼拝を捧げ、教祖の出身国の言語を習った。週に一度、朝4時半に起こされて、安息日の儀式をした。教祖の自伝を音読し、「神様の愛を中心とした家庭」となるための長い宣誓を唱えた。食事の

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ひとがた

ひとがた

私は薄い陶器の人形だ。

中には何も入っていない。

からっぽ。

どこにも穴はあいてないから、中に物を入れることはできない。

ただの冷たい洞窟が、陶器の皮膚によって私の形をとっているだけ。

貯金箱のように、叩けばすぐに粉々になる。

弱くて脆い。

私は散らばった破片となって、そうしてようやく解放されるのだと思う。

私は使い古された布の人形だ。

中には、押し潰されて萎んだ綿が入っている。

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陽光

陽光

樹になりたい。

太陽の光を浴びて、ゆっくりと枝を伸ばし、葉を茂らせ、大地に根を張る。樹になれれば、長い年月のなか、痛いとも苦しいとも感じず、自然に身を任せて、あるがままに生きていけただろう。

死にたいなんて、生まれてきたくなかったなんて、思わずにいられただろう。

疲れたよ。毎日希死念慮に襲われて苦しい。もうやめたい。人間でいるのをやめたい。

最近は、NHKのネコ歩きを観るたびに、猫になりた

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RE:CREATE

RE:CREATE

保育園に通ってたころ、楽しかった遊びはなんだっけ。
遊具で怪我をしたことや、仲間はずれにされたこと、その怒りや鬱憤を自分の中に収めたこと、周りと違うことをする恐怖。そんなものは、この歳になっても忘れられないのに。

数えきれないほど、嫌なことがあった。
それと同じくらい嬉しいこともあったはずなのに、嫌な思い出ばかり思い返して、笑顔になれたことは、どんどん記憶から薄れていく。

美しいことを覚えてい

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雨の日に会いましょう

雨の日に会いましょう

6月に死のうと決めた。

高校生の母は、持病のため修学旅行で鳥取砂丘に行けず、誰もいないフロアの、誰もいない教室で1人自習をしていたという。
うつ病になって一年目だったか。母がそう語るのを、私は布団の中で聞いていた。

その時から、ずっと、母に鳥取砂丘を見せてあげることが夢だった。叶うかも分からない夢。明日自殺をしないなんて、どんなことをしても約束できない私。
しかし、ビー玉越しに見る世界のような

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さよーなら またいつか!

さよーなら またいつか!

6月になったら死のうと思ってたのに、絶対死ぬんだと決めていたのに。

私も、こんなふうに鮮やかに中指を立てて、自分の鎖を断ち切りたい。
それが許されるなら、その勇気を持てるなら、あなたに会えるなら、生きていける気がする。

私は、この先を生きる覚悟ができていない。
だって、今日一日の希死念慮をやり過ごすだけでも、精一杯なんだから。

でも、いきたいな。
米津さんのライブに行きたい。この曲が、私を生

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ごめんね

ごめんね

後悔をしている。

過去中学3年の時、父方の祖父母が立て続けに亡くなった。私は彼らに、何もしてあげられなかった。

祖母は、その年の春から肺癌で入院していた。
3月にあった、吹奏楽部の定期演奏会。その後に、「来年も絶対見にきてね」と、祖母と約束をした。
約束は果たされることなく、3ヶ月後に祖母は逝ってしまった。

火葬が終わり、遺骨を祖父母の自宅に連れて帰って、みんなで食事をした。
寡黙な祖父が、

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