【UPDATE】お世話になった人達(自己紹介6)
こんばんは!
1週間のうち、木・金・土は自分の自己紹介をひたすら続けている男、小栗義樹です!
さぁ、本日は僕の出世作「ちょうどいいハンデだ」のUPDATE記事を書きます。
本日アップデートする元ネタはコチラです。
アップデート記事とは何かというと、
・当時書いた本文(下線部分内)を少しだけ修正・加筆する。
・冒頭の挨拶文(これ)を完全リニューアルする。
・文末は有料パート。過去に書いた自己紹介を読み直し、思ったことや違った視点・別の切り口などを加筆、思い出した新たなエピソードを追加します。
有料部分はかなり尖った話をします。その話の先に、皆様の日ごろの生活に役立つ何かがあればいいなぁと思っております。
今回の記事は、僕の幼少期を彩ってくれた様々な登場人物を紹介する記事となっております。
うん。
今日の記事は僕の中では悲しい内容になっています。
これ以上に、補足のしようがないくらいに悲しいですね。
これは、読んでもらった方が早い気がするので、さっそくいきましょうかね。
この記事は、2023年1月3日に投稿された僕の6本目の自己紹介です。
では、どうぞ!
今日は、ここまでの記事の中で登場した人、そして、僕の幼少期の人格を形成する上で重要な人たちを紹介していきます。
まず初めに父方の祖父です。
3歳から5歳くらいまで、僕のスポンサーだった父方の祖父(笑)
当時僕は「じいちゃん」と呼んでいました。すごく優しい人で大好きでした。
今思うと、祖父はとても楽観的な人だったと思います。シンプルに言えばバカです(笑)
多分何も考えていない(笑)
僕を遊びに連れていく理由も、
義樹は可愛い。義樹の喜ぶ顔が見たい。義樹の願いは全部叶えてやりたい。
そんな単純な気持ちだったのだと思います。色々なおもちゃを買ってくれたのも、色々なところに連れて行ってくれたのも願いを叶えてあげたいからというたった1つの気持ちからだった気がします。
祖父の愛情表現はそれしかありませんでした。
これは僕だけでなく父に対してもそうだったのだと思います。
それは、とても分かりやすくて、非常に純粋な愛でした。僕が祖父の事を好きだった理由は単純です。愛してくれるからです。子供にもわかるような、シンプルで・目に見えて・形の分かる愛をくれる。
だから子供の頃の僕は祖父が一番好きだったのだと思います。
でも、シンプルで・目に見えて・形の分かる愛だけでは、人は幸せにはなれません。具体的に言えば、それだけじゃ大人になれないんです。
愛は形にするだけでなく、自分で探して自分で気づく必要もあるのだと思います。
僕はあのまま祖父の影響を受け続けていたら、確実に父の二の舞になっていたでしょう。めでたくドラ息子組の仲間入りです(笑)
何もわからない小さい子供のように、自分にとって許しがたい出来事に遭遇したら喚き散らして、事実から目を伏せる。そんな生活を延々と送り、父のようにすべてを失っていたと思います。
ちなみに記事の中で、何度も登場する祖父の会社ですが、あれは祖父が創業したのではなく、曾祖父が創業したものです。祖父は曾祖父から会社を受け継いだ2代目の社長です。
僕には、祖父が仕事をしているイメージがありません。どちらかと言えば、大事な決定は祖母が下していたような気がします。
今思えば、当時の祖父は人生上がり人的な存在だったと思います(笑)
後日談として、僕が大人になり、会社に入社して広告営業をしていた頃、祖父の会社に飛び込み営業してみたことがあります。本当に久しぶりに、お店に行ってみました(笑)
僕も内情は知らなかったのですが、僕が子供のころから働いているパートのおばちゃんに話を聞いたら「祖父は経営者ではなくなった」と聞かされました。それはそれでびっくりしたのですが、詳しく聞くと専務に会社を乗っ取られたみたいです(笑)
今では、そのクリーニング屋さんは無くなって、別のお店が入っています。
やっぱり、何も考えずにのうのうと生きてちゃダメなんだ。そんな風に思いました。
僕にとって祖父は、子供の頃の僕に無償の愛をくれて、大人になった僕には努力しないと恐ろしい目に合うという事を身をもって教えてくれた存在です。
楽しい思い出をくれましたし、夢を見せてくれました。僕も、あんな上がり人みたいな生活を送れるように頑張ります。もちろん、祖父のような失敗をしないためにも、盤石な仕組みづくりと危機管理を徹底しながら。
次に父方の祖母について。
記事の中で、あまり登場しない父方の祖母ですが。はっきり言って祖母との思い出はあまりないです。小さい頃の僕は祖母の事を「やや鬱陶しい人」だと認識していました。可愛い可愛い言ってくるけど、特段僕に何かをしてくれる人ではありませんでした。祖母には、物を買ってもらった記憶も、どこかへ連れて行ってもらった記憶もありません。祖母とどこかへ行くときはいつも祖父が一緒でした。
大人になって祖母の事を思い返すと、実はずる賢い人だったんだろうなぁと思います。祖父の会社の方針は祖母が決めていて、多分ですが、自分の懐はきっちり肥やしているタイプの人だったのだと思います。
これは、僕が覚えている祖母との唯一のエピソードです。
昔一度だけ、祖父母の家に泊まったことがあって、祖母の部屋で寝た事があります。祖母の部屋には大きな金庫があって、僕は「あの箱何?」と聞いたのですが、祖母は返事を濁しました。多分その中には家族にも、僕にも言えないようなお金、もしくは資産になるような何かが入っていたのでしょう。
結局祖母が一番大事なのは自分だったのだと思います。父は、祖父からは一辺倒の愛情を、祖母からは歪んだ愛情を受けて育ったのではないかな?と思います。
まぁ僕の中にある、野心的でずる賢い部分は祖母の影響を受けているのかもしれませんがね(笑)
次に母です。
母とは長い付き合いになります。この先も沢山登場するので、今までの記事の中に登場する母の印象だけ書きます。母は、僕の幼少期において一番まともな大人だったと思います。
母がいなければ、僕はドラ息子一直線だったでしょう(笑)
とても強く、芯のある女性です。僕達兄弟は自分の手で育てる。そんな覚悟をして家を飛び出さなければ、僕達兄弟は壊れていく父からもっと悲惨な暴行を受けていたかもしれません。母がストッパーになってくれたから事件にならずに済みました(笑)
でもまぁ、この後この母が色々やらかして、僕を苦しめるんですけどね(笑)
今の僕が当時の母を思い返して感じることは、少々世間知らずな一面があったなと思います。まぁ、30手前ですし、ネットもない時代だから仕方ないのかもしれませんが、僕が母の立場なら、もっと早くに家を出て、早々に離婚の手続きをしているはずです(笑)
とは言うものの、もしかしたら母の中にも「昔の楽しかった家族に戻れるかも」という淡い期待がずっとあったのかもしれませんから、そこを責めるつもりはありませんが。
この振り返りの中で、恐らく一番の見どころは母の変化です。今後も僕の母に注目してもらえると嬉しいなと思います(笑)
次に妹です。
こいつは本当に厄介でした(笑)
ちなみにこの先も厄介です(笑)
僕は4人兄弟の長男です。その中でも2つ下の妹は唯一生みの壊れた父と冷えた我が家を知っています。昔はとてもやさしい妹でしたが、空気が読めないのかなんなのか、いつも地雷を踏みぬきます(笑)
どう考えたって、それを言ったらキレるだろ。みたいな事を平気で言う。ちなみにこの先もちょこちょこ登場しますが、完全にトラブルメーカーとして登場します(笑)
今の僕が当時の妹を振り返るとしたならば、憎めない爆弾って感じです(笑)
まぁ、苦しい体験を共有した唯一の肉親です。今でも、ほおってはおけない気持ちがありますね。
次に弟です。
記事の中でさらっと登場した生まれたばかりの弟ですが、僕とは7歳差です。たまに、父と母のケンカが和らぐ瞬間があるのですが、その中心にはいつも生まれたばかりの弟がいました。僕からすると、あの当時の我が家の象徴みたいな存在です。ちなみにこの先も登場します。
ちなみに、僕と弟は仲がいいです。大学が地方のため、最近は、年に数回会うか会わないかになりましたが、会えば一緒に遊びに行きます。弟は僕の成長に大きく貢献してくれました。これも後ほど話します。
ただまぁ、最近は生意気ですね(笑)
大学生だからか分からないですが、完全に調子に乗っています(笑)
今年めでたく社会人になりますが、お前はまだ社会の厳しさをしらない(笑)
そして、僕が子供の頃に受けてきた過酷な洗礼に比べればお前の人生経験は生ぬるい(笑)
僕のような生き方ではなく、弟には弟らしい生き方をしてほしいと思っています(笑)
あ、そうそう。
昨日の記事に、1年生の頃のいじめに耐えられたのには友達がいたからと書いたのですが、僕には小学1年生の頃、親友と呼べる、一生の友達が2人出来ました。今でも、彼らとは仲良くさせてもらっています。この友達は、本名をだすわけにはいかないのでイニシャルでY君とA君とさせてもらいます。
ここでは詳しくは述べませんが、
この先、この2人は僕の事をめちゃくちゃ助けてくれます。
激動だった小学校高学年から中学生時代にかけて、彼らがいなければ、僕はここにいなかったかもしれません。
この先の記事で登場するので頭の片隅にでも置いておいてもらえると嬉しいです(笑)
最後に父について。
僕は父が大好きでした。
一緒に浅草に行きました。一緒に柴又に行きました。一緒に東武動物公園にいきました。一緒に上野でウルトラマンを見ました。大沢のお祭りで神輿を担いでいました。ボクシングをやりました。外でご飯を食べました。映画を観ました。バイクにのせてもらいました。
一緒にやった事、行った場所を数えたらきりがないんです。
確かに僕は父に対して気を遣っていました。でも、それはお酒を飲んでた父に対してです。僕の父はお酒を飲んでいない時は本当にカッコイイ、理想の父でした。
なんでだろう(笑)
あんなに大変だったはずなのにな(笑)
父の事を書き始めたら、皮肉が出てこないっす(笑)
もう20年以上も前の事だから、思い出として美化されちゃったんですかね?(笑)
父は、幼少期の頃から孤独だったそうです。祖父母は仕事で忙しかったから、特段監視される事もなく、お金だけはあったみたいでいつも自由に遊んでいたと聞きました。
学生時代は祖父母の会社でアルバイトをしていたようですが、車が欲しいと言えば買ってもらえたみたいですし、物に不自由したことはなかったみたいです。
でも、愛情には飢えていたんだと思います。この後、父がもう一度この振り返りで登場するのですが、その時、父が愛情に飢えていた事を感じ取ります。
まぁ、この父の登場も僕からしたら衝撃とショック以外の何物でないのですがね(笑)
父はアルコール依存症でした。
お酒を覚えた場所は学生時代にバイトしていた居酒屋だと聞いています。そこで知り合った仲間と毎晩飲んでいたと。
僕は、父がお酒に溺れてしまったのは幼少期から続く孤独を紛らわせるためだったのではないかと思っています。父が悪いのではなく、良い事と悪い事を区別する方法を教えてあげず、いつも孤独な状況を作り続けた祖父母に問題がある。
そんな風に思っています。
父は被害者です。
僕が父に気を遣い、けがを負わされた。それでも、父を嫌う事が出来ないのは、昔から父にはどこかそういう寂しさや孤独みたいなものの影を感じていたからなのかもしれません。
離婚後の父の人生については少しだけ聞いたのですが、とても大変な生活をしているそうです。施設に入ったり、病院で入退院を繰り返したりしてるとのことです。人見知りで神経質な人でしたから、集団生活は苦しいはずです。
父の人生が狂ったのは、父の責任ではないと思っています。
どうして父がそんな思いをしなければいけないのだろうか?と実は今でもちょっとだけ思っています。
僕は、父から教えてもらったことが沢山あります。それは、自分の人生の中で確実に活きています。
父は今も僕にお酒の怖さを教えてくれます。ケンカをするとすべてが崩れていくことを教えてくれます。僕もついカッとなることがあります。そんな時怒ったり、手を出さずに済むのは、父が止めてくれるからだという気がしてなりません。
世間的には最低な父親なのかもしれませんが、それでもやっぱり嫌いにはなれないんです。
長くなっちゃいましたね(笑)
今すんげー瞳が腫れてます(笑)
感情に任せて筆を進めすぎました(笑)
僕は父と20年以上会っていません。多分この先も会う事はないでしょう。でも、親子である事実は変わらないし、多分一生忘れません。
この記事を父が読むこともないでしょうけど、一言だけ(笑)
立派に大きくなれました(笑)
どうもありがとう!
はい!
と言う事で人物紹介は以上です(笑)
今回はライトな感じで仕上げたかったのに、結局一番泣いちゃいました(笑)
この後の展開としては、とうとう両親は離婚し、僕は一番ハードないじめ時期である4年生・5年生を迎えます!(笑)
ありがとうございました。
ダメですね。読んでて泣いちゃいました(笑)
父の話になると、やっぱり色々思い出します。結局僕たちは、どこまでいっても親子なんだって思い知らされます。
うん。。。やっぱりね。親子なんですよ。
よし!
これから有料パートに入るのですが、その前に1つ情報をアップデートします!
母と妹と弟についてです。この3人、本編ではあんまり長々と触れていないのですけど、僕の中で重要な役割を担っています。
幼い頃の僕にとって、母はお手本で、妹は僕と対極にいる存在で、弟は僕の本来の過去という位置づけでした。
僕の中で、人の成長に必要なのはこの3つだと思っています。
お手本と対極の存在と過去を重ねる存在です。
この人の背中を見る
こいつと同じようにはなりたくない
僕がもし〇〇だったら、こういう風になれたのかな
成長って、この3つを考えられるかどうかで決まると思うんです。
自分が進むべき方向、その反対には何があるか、自分が元居た場所から違う道を進んだ場合どうなっていたのか?
これを振り返る事で、人は成長し大人になります。
僕は要所要所で、この3つを考えられるような素敵な存在を見つけ、そこから学びとって成果を出してきました。
これを意識するだけで、成長のスピードが速くなると思うので、試してみてください。
さぁ、ここからは有料パートです。
有料パートも引き続き、僕が周囲の人から学んだ事を書きます。
祖父から学んだお金の落とし穴。
祖母から学んだ夜のわたり方。
父から学んだ「芸術や表現」で成功する方法について書いています!
芸術とか表現に答えはありません。でも、これが無い芸術は絶対に埋もれるという部分においては、明確な答えが1つあります。
僕は父からそれを学んだので、今日はこの答えについて書こうと思います。もしよければ、読みに来てください!
それでは、ここまで読んで下さりありがとうございました!
また明日の記事でお会いしましょう!
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