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岡村靖幸 LIVE TOUR 2014 将来の夢
もう10年前だ。
久々に見た岡村靖幸のコンサートレポート。この5年後の2019年も観ている。
感想は一緒。とにかく楽しいし、音の洪水に酔いしれることが出来る。
もうそろそろ生で観たくなってきた。なんだか5年周期なのかな。
2024年9月
もうそろそろ書いてもいい頃か。
2014年4月6日から全国ツアー「岡村靖幸 LIVE TOUR 2014 将来の夢」がスタートし、5月4日のZepp Div
『ジャニス・ジョプリンズ・グレイテスト・ヒッツ』 ジャニス・ジョプリン
今日はジミ・ヘンドリックスの命日。「27クラブ」という27年で生涯を終えた芸術家たちの総称にジミは入っている。そしてその中にはジャニスも。ちなみにジャニスの命日は10月4日。
2024年9月18日
27年という短い季節を駆け抜けた天才は伝説となり、女性ロックヴォーカリストのアイコンとなった。
1960年代は、きれいな声で、朗らかに歌う女性ヴォーカルが主だったアメリカンポップス。しっとりと濡
「朝までやるぞ!」と吠える吉田拓郎のオールナイトコンサートの考察
吉田拓郎のイベントといえば「朝までやるぞ!」でおなじみのオールナイトコンサートである。
拓郎が主催したオールナイトコンサートといえば、1975年にかぐや姫と一緒に開催した「つま恋」。1979年の「篠島」。そして、1985年に再び「つま恋」で開催した3回がある(1987年に南こうせつのサマーピクニックにゲスト出演したオールナイトコンサートもあるが、それは除外)。
1975年の「つま恋」について
映画「レッド・ツェッペリン 狂熱のライブ」
友達のMが待ち合わせ時間に30分も遅刻してくるものだから、僕たちは飯田橋の駅から全速力で映画館に向かって走った。息が上がり、ふらふらになりながらチケットを買ったときはもうすでに上映時間を3分ほど過ぎていた。
重い映画館の扉を開けると、暗闇の向こうに上映の明かりが見えた。
目を暗闇に慣らしながら空いている席を探す。
するとM君が僕のシャツを引っ張りながら「おい、間違えてないか?」と画面の方を見て
『ブラザー・イン・アームス』 ダイアー・ストレイツ
初めてダイアー・ストレイツを聴いたとき、なんともいえない感覚にとらわれた。このサウンドとこのヴォーカルは今の時代に合っているのか?何なんだこの音楽は・・・?
時は1977年。ロンドンでは安全ピンとカミソリをアクセサリーにしたパンクスが大流行していたし、片やアメリカはディスコサウンドでみんなフィーバーするか、往年のアーティストがAOR路線に移行していた時期。そんな中でダイアー・ストレイツは異端に
『嘉門雄三&VICTOR WHEELS LIVE !』 嘉門雄三&VICTOR WHEELS
若さに任せて過激な事を書いている。今読み返すと恥ずかしい。20年前の稚拙なコラムだ。
僕は音日記には嫌いなミュージシャンは載せないと決めている。なぜなら悪いことしか書けなくなるから。別に音楽評論家でもないので、無理して嫌いなミュージシャンの事を書いても悪いことしか書けない。そんな中でいきなりこのコラムでは例外的にサザンにモノ申している。
ま、戯言と思って読んでくれればいい。
2024年8月
『ザ・スカイ・イズ・クライング 』 スティーヴィー・レイ・ヴォーン
明日は天才ブルースギタリストの命日だ。34年も経ってしまった。35歳の若さで亡くなるとは誰も予想していなかった。
今も生きていたら、70過ぎ。いいブルースを聴かせてくれそう。
2024年8月26日
スティーヴィー・レイ・ヴォーンは、1980年代初頭に煌き、その10年間を駆け抜け伝説となったブルースギタリストである。
スティーヴィーはテキサス生まれのコテコテのブルースマンだったが、陽の目を見
『VANISHING POINT』 小山卓治
1980年代の半ば、日本の音楽シーンは“O”というイニシャルがキーポイントになっていた。期待の新人として尾崎豊、大江千里、小山卓司の3人がデビューしたからだ。安定的な人気を誇るハウンド・ドッグの大友康平や大沢誉志幸もいたが、この時の“O”は新人3人のためにあった。
3人の中で頭ひとつ出ていた尾崎豊は、ティーンエイジャーの代弁者として確固たる地位を築いていた。高校を中退し、ドロップアウトした若い
映画「ディア・ハンター」
映画「ディアハンター」(1978)を約久しぶりに観る。
最近の友人の何気ない一言。
「ディアハンター」で、あいつ最期どうやって死んだんだっけ?自殺?という質問の意味。
その質問、実は私が高校時代に観た時もわからなかったのだ。だから、友人と最近話した会話の中でも曖昧となってしまった。
だから、もう一度観る。
その質問に出てくる、「あいつ」とはクリストファー・ウォーケン演じるニックという青年。
『アット・フィルモア・イースト』 オールマン・ブラザース・バンド
1970年から1971年にかけて、一人の男の絶頂期を記した作品が2つ生み出された。デレク&ザ・ドミノスの『いとしのレイラ』(1970)とオールマン・ブラザース・バンド(以降オールマンズ)の『アット・フィルモア・イースト』(1971)である。そしてその一人の男とは、デュアン・オールマンその人である。
デュアン・オールマンのバンドであるオールマンズは、アメリカ南部のジョージア州出身。デルタブルーズ