はなっちの音日記

音楽、映画好き。 音楽活動も行なってます。 他のブログで長年音楽ブログを書いていました…

はなっちの音日記

音楽、映画好き。 音楽活動も行なってます。 他のブログで長年音楽ブログを書いていましたが、古いブログをこちらに移管。新しいブログも月1のペースで書いていきます。 既発表作は400近くあるので、気長に進めて参ります。 古いコンサートや昔のアルバム評など懐かしい話が中心になります。

最近の記事

『まぼろしの世界(12inch+LIVE)』 エコー&ザ・バニーメン

 北朝鮮は日本だけに留まらず、中国や韓国にも緊張感を与えている。ロシアへの派兵も加わり、ウクライナとの戦争が助長される危機感が高まる。 戦争の緊張感が2017年にも感じた7年前のブログから世の中は全然変わっていないのだ。 2024年10月  アメリカと北朝鮮の代表2人が核ミサイルのボタンに指を乗せていた頃、お花見で盛り上がる日本では、一部のマスコミだけに緊張が走ったが、概ねどのテレビ局も普段どおりのバラエティ番組の中で荒唐無稽な笑いを提供していた。  そんな2017年4月1

    • 『君のために作った歌』 松山千春

      古いレコードの整理をしていると、自分の音楽史を振り返ることができる。特に中学時代や高校時代は“なけなし”の小遣いを工面しながらレコードを購入していたから、真剣に聴いた。今のダウンロードやスポティファイのような配信サービスで慣れてしまっている若者は、多分じっくりとステレオの前で音楽に没頭するなんてことはできないだろう。 レコードジャケットや歌詞カード、ライナーノーツなどの限られた情報の中で音楽を聴き、歌の世界観だけにとどまらず、作り手の気持ちにまで想いを巡らせ、無限の妄想を膨ら

      • ブルースにみる音楽の変遷

         日本人に理解しづらい洋楽にブルースというジャンルがある。昭和の人はブルースというと淡谷のり子の「別れのブルース」とか内山田洋とクールファイブの「中の島ブルース」を思い出す人が多い。洋楽としてのブルースを知らない日本人は、「ブルース」は哀しく憂う歌というニュアンスで理解したのだと思う。  例えば、淡谷のり子の「別れのブルース」は戦前に服部良一が作った。服部は西洋音楽のブルースはもちろん知っていて、黒人の労働歌であるブルースがジャズの基礎となったという認識もあったという。但し、

        • 献杯 ルパン三世

           先日大山のぶ代が亡くなった。我々世代なら誰もが知っている初代ドラえもんの声。ドラえもんの声を2代目に引き継いでからは、表舞台に出なくなった。 こういう長寿番組は、「サザエさん」にしても後継者がいるかどうか、ハマるかハマらないかでその後の人気に大いに影響されていく。 ルパン三世もその一つ。ちょっと前のコラム。 2024/10/18  ルパン三世の生みの親であるモンキー・パンチが亡くなった。  ルパンの声優だった山田康雄が亡くなった時もルパンはこれからどうなるのか、なんて話が

        『まぼろしの世界(12inch+LIVE)』 エコー&ザ・バニーメン

          『フルハウス』 ウェス・モンゴメリ

           何もいきなりマイルスから聴いたわけじゃない。ビル・エバンスは死ぬ直前までピアノと歌っていた。ガレスビーは狂気だ。セロニアス・モンクは静寂の嵐を表現する。チャーリー・パーカーの流れるような旋律やソニー・ロリンズの轟くようなメロディーは人間の生き様だ。チャーリー・クリスチャンやケニー・バレルまで突き詰めるとギターの可能性が見えてくる・・・。グズグズと酒を飲みながらジャズの話を始めると、最後に決まって思うことがある。何故ジャズを聴き始めたのか。  中学3年の夏休み、友達と吉祥

          『フルハウス』 ウェス・モンゴメリ

          スプリングスティーンのレコード

           中学、高校時代はとにかくレコードを買うためにいかに金を工面するかということに心血を注いだ。  部活や委員会の仕事もあったので、バイトなんて出来ない。かといって小遣いだけではLPレコードを1枚購入するのがやっとである。当然、昼飯を削って金を作ってもタカが知れているし、毎日昼飯を抜くのも辛いものがある。 そんな時に手っ取り早く金を手に入れる方法として考えたことは、自分の持っている不要なものを友達に売るということだった。自分の家にある本や漫画、Tシャツやらトレーディングカード類な

          スプリングスティーンのレコード

          映画「OUR SONG and all of you(ライブ・アット・武道館)」 原田真二

           1977年秋、原田真二はフォーライフレコードからデビューした。クシャクシャのカーリーヘアにマッチしたベビーフェイスは、歌を聞くまではそれまでのアイドルと何一つ変わらぬ出で立ちであったが、彼がピアノの前でひとたび歌い出せば、今までに聴いたことの無いポップス感覚に富んだシンガーであることは誰の目にも明らかに映った。そして、それは3ヶ月連続シングル発表という奇想天外なデビュー方法も手伝い一大センセーショナルを生んだ(後述するキャロルは7ヶ月連続シングル発表という例がある)。  原

          映画「OUR SONG and all of you(ライブ・アット・武道館)」 原田真二

          ディランとの出会い・・・

           親戚の家で初めて触れた“よしだたくろう”と“井上陽水”と“かぐや姫”。ちょうど歌謡曲にも飽き始めた私が小学生の高学年の頃のこと。 そういえば、その従姉妹からはビートルズの『ホワイトアルバム』(1968)も教えてもらった。面食いのちえちゃんは、4人のポートレートを見ながら「やっぱりジョージが一番ハンサム!」なんて言っていたっけ。  さて、そんなフォークの洗礼を受けた私は、従姉妹の家から沢山のレコードや音楽雑誌を借り、せっせと自宅で聴く毎日。ちょうどその頃の私は、エレクトーン

          ディランとの出会い・・・

          『かぐや姫LIVE』 かぐや姫

          『かぐや姫LIVE』(1974)というアルバムがある。『かぐや姫さあど』(1972)、『三階建ての詩』(1973)を発表し、「神田川」の大ヒットでフォークブームの真ん中に立っていた時のライヴツアーを収録した作品だ。3人の甘いコーラスやこうせつの楽しいMCもしっかり収録されている。  僕の高校の文化祭での出来事。このアルバムを完コピしている先輩達のパフォーマンスには笑った。高校の文化祭ライヴでは、大抵オフコース、アリス、長淵剛などのフォーク系コピーバンドが名を連ねる。にきび面

          『かぐや姫LIVE』 かぐや姫

          ライブ8

           ライブ8から20年が経とうとしている。このイベント以来世界的規模なチャリティコンサートは実施されてない。その理由は様々なものだが、国を相手にした慈善行動の限界とみる。  こういう特別なイベント(祭り)は、再結成や面白いコラボレーションがあるので楽しみなのだが、ビッグネームもどんどん鬼籍に入ってきており、出演者の質の問題も出てくるだろう。  また、最近の音楽は世界的なミュージシャンよりパーソナルの強い特徴があるから、音楽で大規模に集まることも難しいのかも。 2024年9月

          岡村靖幸 LIVE TOUR 2014 将来の夢

           もう10年前だ。 久々に見た岡村靖幸のコンサートレポート。この5年後の2019年も観ている。 感想は一緒。とにかく楽しいし、音の洪水に酔いしれることが出来る。 もうそろそろ生で観たくなってきた。なんだか5年周期なのかな。 2024年9月  もうそろそろ書いてもいい頃か。 2014年4月6日から全国ツアー「岡村靖幸 LIVE TOUR 2014 将来の夢」がスタートし、5月4日のZepp DiverCity TOKYOの公演を観戦した。 全国ツアーといっても追加公演(赤坂B

          岡村靖幸 LIVE TOUR 2014 将来の夢

          『ジャニス・ジョプリンズ・グレイテスト・ヒッツ』 ジャニス・ジョプリン

           今日はジミ・ヘンドリックスの命日。「27クラブ」という27年で生涯を終えた芸術家たちの総称にジミは入っている。そしてその中にはジャニスも。ちなみにジャニスの命日は10月4日。 2024年9月18日  27年という短い季節を駆け抜けた天才は伝説となり、女性ロックヴォーカリストのアイコンとなった。  1960年代は、きれいな声で、朗らかに歌う女性ヴォーカルが主だったアメリカンポップス。しっとりと濡れるような絹のヴォーカルのジャズヴォーカル。黒人音楽の世界でコーラスグループやゴ

          『ジャニス・ジョプリンズ・グレイテスト・ヒッツ』 ジャニス・ジョプリン

          「朝までやるぞ!」と吠える吉田拓郎のオールナイトコンサートの考察

           吉田拓郎のイベントといえば「朝までやるぞ!」でおなじみのオールナイトコンサートである。  拓郎が主催したオールナイトコンサートといえば、1975年にかぐや姫と一緒に開催した「つま恋」。1979年の「篠島」。そして、1985年に再び「つま恋」で開催した3回がある(1987年に南こうせつのサマーピクニックにゲスト出演したオールナイトコンサートもあるが、それは除外)。  1975年の「つま恋」については、私は参加していないのでビデオや当時の記事、拓郎やこうせつのラジオでの発言、実

          「朝までやるぞ!」と吠える吉田拓郎のオールナイトコンサートの考察

          「Don't Look Back in Anger」 oasis

           兄弟の仲が悪く、喧嘩が絶えないバンドだったオアシスが再結成する。 1990年~2000年あたりのブリットポップブームはオアシスを筆頭にブラーやレディオヘッド、プライマル・スクリーム、スーパー・ファーリー・アニマルズなど次々とバンドが登場し、それはあたかもビートルズが世に出た後のブリティシュポップブームの再来と言われた。 そして、60年代のリバプールサウンドやマージ―ビート同様、90年代のそれもバンド数のデフレーションを起してブームは終息していった。  オアシスにしてもブラー

          「Don't Look Back in Anger」 oasis

          映画「レッド・ツェッペリン 狂熱のライブ」

           友達のMが待ち合わせ時間に30分も遅刻してくるものだから、僕たちは飯田橋の駅から全速力で映画館に向かって走った。息が上がり、ふらふらになりながらチケットを買ったときはもうすでに上映時間を3分ほど過ぎていた。  重い映画館の扉を開けると、暗闇の向こうに上映の明かりが見えた。 目を暗闇に慣らしながら空いている席を探す。 するとM君が僕のシャツを引っ張りながら「おい、間違えてないか?」と画面の方を見て言った。 僕たちは「レッド・ツェッペリン 狂熱のライブ」と「ウッドストック・愛と

          映画「レッド・ツェッペリン 狂熱のライブ」

          『ブラザー・イン・アームス』 ダイアー・ストレイツ

           初めてダイアー・ストレイツを聴いたとき、なんともいえない感覚にとらわれた。このサウンドとこのヴォーカルは今の時代に合っているのか?何なんだこの音楽は・・・?  時は1977年。ロンドンでは安全ピンとカミソリをアクセサリーにしたパンクスが大流行していたし、片やアメリカはディスコサウンドでみんなフィーバーするか、往年のアーティストがAOR路線に移行していた時期。そんな中でダイアー・ストレイツは異端に見えた。  マーク・ノップラーはロッドやミックのようなロックスターのキャラクター

          『ブラザー・イン・アームス』 ダイアー・ストレイツ