はなっちの音日記

音楽、映画好き。 音楽活動も行なってます。 他のブログで長年音楽ブログを書いていました…

はなっちの音日記

音楽、映画好き。 音楽活動も行なってます。 他のブログで長年音楽ブログを書いていましたが、古いブログをこちらに移管。新しいブログも月1のペースで書いていきます。 既発表作は400近くあるので、気長に進めて参ります。 古いコンサートや昔のアルバム評など懐かしい話が中心になります。

最近の記事

『シルク・ディグリーズ』 ボズ・スキャッグス

 ボズ・スキャッグス『ミドルマン』(1980)に収められている「トワイライト・ハイウェイ」のギターソロはカルロス・サンタナが弾いている。長く伸びるハイウエイをサンタナのフィードバックと鳴きのフレーズでうまく表現し、感動モノのトラックになっている。僕がボズを聴き始めたきっかけになった歌だ。正直言ってボズの声よりもサンタナのギターに感動し、ボズを聴き始めたから、ボズに対してAORの代表などという概念は全く無く、作品そのものに惹きつけられていったというのがファースト・インプレッショ

    • 『黒船』 サディスティック・ミカ・バンド

       ザ・フォーク・クルセイダースを解散し、ソロ時活動を始めた加藤和彦は、数枚のアルバムを発表する。時代は1970年前半のことだ。加藤は時代の音を読む天才で、日本の中で誰よりも早く欧米の動きを押さえていた。拓郎の「結婚しようよ」のバックに流れるスライドギターのプレイもそのひとつ。当時誰も名前を知らないライ・クーダーを研究し、彼の得意とするプレイ(スライドギター)を加藤自らが行なっている。  レゲェやグラムロックが世界的に流行した時も、すぐにその音楽に身を傾けた。頭を金髪にし、ギブ

      • 山下達郎コンサートのススメ

         今年も達郎のコンサートツアーが始まった。1980年代前半から観てきているから40年以上だ。 最近のシティポップスブームでチケットが年々取りづらくなっていて、先行予約は全国全ての会場にだしている。 今年は早めに決まって、今日の宇都宮。日帰りコース。 昨年は大阪、その前は新潟だったから近い方。 楽しんできます。 以下のブログは9年前ですが、基本的に内容は何も変わって無いと思います。匠です。 2024年7月15日  山下達郎のコンサートに行かれたことがない方。一度は観てください

        •  音楽雑誌 Player誌 Billboard(売りますコーナー)

           音楽雑誌「Player」は昨年の6月をもって55年の歴史を一旦終わらせた。 休刊という形を取っているが、webメディアの現代で紙媒体が昔のように流行るとは思えない。雑誌という形態が無くなってもおかしくない世の中になったからだ。 雑誌でワクワクした、そんな昔を思い出すコラム。 2024年7月12日  ミュージシャンであれば、音楽雑誌「Player」という月刊誌をご存知だろう。創刊1968年というから今年で50年を迎える歴史ある雑誌だ。創刊当初は楽器店用の専門誌だったよ

        『シルク・ディグリーズ』 ボズ・スキャッグス

          『一触即発』 四人囃子

           渋谷に昔ヤマハ・エピキュラスというホールがあった。コンサートホールやスタジオを擁しており、ヤマハ系のミュージシャンがよくレコーディングをしていた。中島みゆきやチャゲ&飛鳥がホールのロビーでお茶を飲んでいるところを何度も見かけたことがある。 僕は、大学の時に組んでいたバンドで、よくこのエピキュラスホールでライヴをしていた。その時、いろいろなアレンジャーやプレイヤーからアドバイスを受けたが、忘れられないのは、岡井大二さんから受けた一言だ。“バンドはリズムだよ。音楽はリズムで感じ

          『一触即発』 四人囃子

          エフェクター初体験

           ギターやベースを弾く人なら「エフェクター」という言葉はご存知だろう。使用したことがある人も大勢いると思う。  僕のエフェクター初体験は中学2年の時だ。友人がエレキギターを弾いているのを横で見ていた時、彼がおもむろに足元の緑色の箱のスイッチを踏んだ。その瞬間、窓ガラスをびびらせ、地鳴りのような音が部屋にこだました。彼はとりつかれた様に弾き始めた。僕は一瞬何が起きたのかわからなかった。 「これは、チューブスクリーマーっていうエフェクター。まあディストーションやね。それからこれは

          エフェクター初体験

          『明日に架ける橋』 サイモン&ガーファンクル

           2人は学生時代から音楽活動を行い、「トム&ジェリー」というポップスデュオを組んだ。レコードデビューは1957年のことだった。そこそこのヒット曲に恵まれたが、所属レコード会社の倒産と大学へ進学する理由により「トム&ジェリー」を解散したが、ポール・サイモンは類希なる作曲の力で再びレコード契約を最大手のコロンビアレコードと取り付けてしまう。当然、再びアート・ガーファンクルを誘い、1964年サイモン&ガーファンクルが結成された。  全世界がビートルズやプレスリーに騒ぎ、若者はアート

          『明日に架ける橋』 サイモン&ガーファンクル

          雨の2曲

           梅雨である。湿気が多く、気分も落ち込みがちとなるこの季節だが、学生の頃は、雨の日に聞きたくなる音楽や「雨」という言葉のタイトルがついた楽曲をカセットテープに録音し、オリジナルテープを作って楽しんだものだ。 ビートルズの「レイン」やBJトーマスの「雨にぬれても」など鉄板ネタはいいとして、私が必ず選ぶ2曲の邦楽があった。 山下達郎の「レイニーウォーク」と矢沢永吉の「レイニーウェイ」だ。この2曲、意外なところに共通点がある。 もちろん「雨の歌」と言うことだが、ともに1980年に発

          『セブーンス・ソジャーン』 ムーディーブルース

           6月は梅雨の季節。じめじめとしたうっとおしい季節。そんな時期に聞きたくなるムーディーブルース。  洋楽。それもロックに目覚めた中学1年の頃、わたしの頭の中では、フリーのポール・ロジャースが何を歌っているのか、が興味の中心だった。 そして、同じ様な音楽(ロック)に興味を持ち始め、それは最終的にレッド・ツェッペリンの「独自性」「個々の実力」と「見栄え」に興味は移り、彼等は私の中のロックバンドのアイコンとなった。 ブルース、ロックンロール、ケルト、プログレ、レゲエなど多様な音

          『セブーンス・ソジャーン』 ムーディーブルース

          甲斐バンド<SPECIAL LAST NIGHT>-PARTY-(黒澤スタジオ)

           1986年3月に衝撃が走った。東京・表参道のライブスポット、青山CAY。 深夜に始まった謎のパーティー。専属のクラブバンドのような“お揃いの出で立ち”で甲斐バンドは演奏を始めた。そして甲斐よしひろの言葉。 「大森の耳が悪くなったということも理由の一つです。しかし、俺たちはこの12年間に音楽的にも全ての面でも十分やれたと満足してます。俺たちの解散とは消え去るといったようなトーンダウンしたものじゃないんだ。俺たちはもう真夏の夜の花火のように燃え尽きたんだ。12年間といえば長い

          甲斐バンド<SPECIAL LAST NIGHT>-PARTY-(黒澤スタジオ)

          クラプトン ウィンウッド 2011来日公演

           私はエリック・クラプトン(EC)のコンサートを1979年から欠かさず観ている。それは、アルバムのプロモーションでの来日やジョージ・ハリスン、エルトン・ジョン、ジェフ・ベックなどとの競演来日もあり、ECは毎回毎回我々を楽しませてくれる。 今回はあのスティーブ・ウィンウッドとの競演で、ブラインドフェイスの再演もあるとのこと。これは行かねばと武道館に駆けつけた。  2011年12月9日。 武道館のアリーナを歩きながらの感想は、天井から垂れ下がった白いカーテンはきっとロンドン

          クラプトン ウィンウッド 2011来日公演

          クラプトン2006 来日公演

           ザ・ローリングストーンズのドラムはスティーブ・ジョーダンが叩いている。  チャーリー・ワッツのシンプルかつストレートなドラムにパワーが加わったリズムが想像できる。  僕はスティーブ・ジョーダンのドラムが好きだ。その初見は24thストリート・バンドでもジョン・メイヤーのトリオでも無く、クラプトンだった。 2024年6月  どういう経緯でバンドメンバーが編成されたかわからないが、とにかく2006年のクラプトンのバンドはすごかった。  僕は1979年以降、毎回欠かさずクラ

          クラプトン2006 来日公演

          『竹田の子守唄』 赤い鳥

          「竹田の子守唄」は特別な歌だ。部落差別のレッテルを貼られ長きに渡って放送自粛とされていた。 僕は高校生の頃、ラジオから流れるこの歌を聴いたが最後、約20年近くはラジオやテレビから聴く事は無かった。 その間、放送自粛の歌を特集する本や社会運動が起き、1990年代の終りに、ロックバンドソウル・フラワー・ユニオンやヒートウェイヴが「竹田の子守唄」をメジャー録音した。そして2000年末にはサザン・オールスターズの桑田佳祐がステージでこの歌を歌う映像がNHK-BSで放送された。 その後

          『竹田の子守唄』 赤い鳥

          『生聞59分(ライブ)』 憂歌団

           憂歌団のベーシスト、花岡さんが鬼籍に入られた。 ドラムの島田さんも既に亡くなっているから、憂歌団のリズム隊は全滅だ。  木村さんの激しいダミ声と内田さんの流れるようなスライドギター。何を演奏していても、どんなに大袈裟なアレンジでも花岡さんと島田さんのリズムは微動だにしない。しっかりとした低音を刻む。 花岡さん、ご冥福をお祈りします。 2024年6月  フォークギターを弾き始めた中学生の頃、音楽誌の「新譜ジャーナル」や「ガッツ」が聖書だった。タブ譜を見ながら、AugやDi

          『生聞59分(ライブ)』 憂歌団

          『1984』 ヴァン・ヘイレン

           ハモンドオルガンの前に立つと必ずプロコルハルムの「白い影」を弾いてしまう。 ピアノの前に立つと自然とビートルズの「レット・イット・ビー」のイントロが出てきてしまう。 では、アナログシンセの前では・・・ヴァン・ヘイレンの「ジャンプ」なのである。 あの軽快なイントロを弾くだけで一気に「ジャーンプ!」なのである。何の変哲も無いシンセフレーズだが、80年代のロック小僧はみんな反応してしまう。 エディが間奏でいくらギターの速弾きを駆使しても「ジャンプ」の中ではあのシンセフレーズの前に

          『1984』 ヴァン・ヘイレン

          『BIG WAVE』 渡辺美里

           1985年6月15日。東京国立競技場では全国の民放各社の協賛による“All Together Now”が開催された。 はっぴいえんどやサディスティック・ミカ・バンド(ヴォーカルはユーミン)の再結成やオフコース、チューリップ、こうせつ、さだまさし、イルカなどのベテラン組。吉田拓郎は司会も勤めた。 若手の中では、山下久美子と白井貴子が同じステージに立ち、佐野元春、サザンオールスターズがトリをつとめた。他にもチェッカーズやアルフィー、ラッツ&スター、アン・ルイスなどが出演。総勢約

          『BIG WAVE』 渡辺美里