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雑記

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#対話

政治を政策論議の場とするために(思案中)

政治とは一体なんなのか、ということが常に頭に取り憑いてきてしまう。私は政策の話は好きなのだが、それが政治的になったと感じた瞬間にどうも冷めてしまう性質を持っているようだ。とは言っても、一体何が政治的なのか、というのはどうにも定義しがたく、嫌だと思ったらそれを政治的であると表現するよう自分をチューニングしてきたようにも感じる。だとすると、一般的に言って政治とはなんなのだろうか。

政治が社会的意志決

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情報”社会”の基本インフラ

情報は、そもそもが相互作用の結果として意味を生じるものなので、情報が意味を持つということ自体が社会の成せる業であると言える。つまり、個人が情報に何らかの意味を見出したとしても、それが他者に伝わり、そこで意味の伝達がなされて初めてその情報が意味を持つことが認識されるということであり、情報が意味を持つとは、社会における相互作用によって起こることであるということだ。

情報伝達のプロセス

ここで、情報

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認識の社会実装

社会と個人との関係性を、個々人の考えを擦り合わせた結果できた制度が社会であると考えると、新たな考えをいかに社会に実装するのか、というプロセスが繰り返されて社会が動いてゆくのだと言えるのかもしれない。つまり、社会制度とは認識の社会実装の結果現れる抽象構造だと言えるのかもしれない。

認識の社会実装サイクルモデル

そうなると、社会的に解析する個人のモチベーション様式、それが一般的かどうかはともかくと

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代表制間接民主主義の限界

独裁対民主の構図が作られる中、民主主義は理想的として語られがちであるが、私の目から見れば、少なくとも代表制の間接民主主義には、様々な点で限界が見られるようになっていると感じる。それについて論じてみたい。

まず、民主主義というのは対話によって成り立つのが理想ではないかと感じるが、代表制の間接民主主義、特に顕著なのは小選挙区制度であるが、一つの選挙区から一人しか代表が選ばれないとなると、候補者同士の

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二重の相対的実存

年明け以来、というか去年の年末くらいから歴史を追ってゆくことにちょっと行き詰まりを感じて、ずっと雑記を書き続けるようなことになっていた。それも少しネタ切れになってきたな、と思って、ちょっと書いたものを振り返ってみると、どうも今年になってからの雑記は質が落ちている物が散見される。特に、哲学とか数学とかに取り憑かれるような感じになってからは、正直人様に見せられるようなものではなく、よくもまあこんなもの

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対話のあり方

昨日の続きのような感じで、数学的に対話は記述可能なのか考えていた。

そもそも対話とは一体何なのか、ということで、皆が自分の仕事に追われている状態で起きる対話というのは、結局仕事の順序の決め方のようなことになっているのではないか、と感じる。仕事全体が流れのような中で行われている時、流れの順序に合わせないと仕事がうまく進まない、ということになり、自分の仕事の優先順位を上げるということが対話(?)の大

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市場・政府・組織・社会 経済学と経営学の境目

市場・政府・組織・社会 経済学と経営学の境目

経済学と経営学は一体どこで分かれるのか。現代において、ざっくりと言えば、経済学はマクロの社会的厚生のようなものを極大化するためにあり、一方経営学はミクロの経済主体の利益の最大化のためにあるのだと言えそう。そして、近代経済学は、ミクロの利益最大化行動が市場を通じてマクロの社会的厚生の最大化をもたらすのだと説明していると言えるのだろう。しかしながら、実際にはそこには、経済学において合成の誤謬として知ら

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