情報”社会”の基本インフラ
情報は、そもそもが相互作用の結果として意味を生じるものなので、情報が意味を持つということ自体が社会の成せる業であると言える。つまり、個人が情報に何らかの意味を見出したとしても、それが他者に伝わり、そこで意味の伝達がなされて初めてその情報が意味を持つことが認識されるということであり、情報が意味を持つとは、社会における相互作用によって起こることであるということだ。
情報伝達のプロセス
ここで、情報伝達のプロセスを見てみると、それは、取得、理解、納得、伝達という流れではないかと考えられる。取得とはその通り感覚器によって情報を得ることであり、理解とは脳でその情報の内容を統合的に把握すること、納得とはその情報について意味を見出すことで、そしてその意味を伝達することで情報伝達のプロセスが完了することになる。
実際の情報伝達がこのプロセスに従って行われれば伝達ミスなども少なくなり、有意義で効率的な情報交換がなされるのであろうが、実際には取得段階での反射的伝達や、理解したがまだその意味について納得に至っていない段階での伝達というものが発生し、それによって情報拡散過程での混乱が起こりやすくなる。それを防ぐためにも、対話によって情報の意味確認が行われ、そこでの納得ということが重要になってくるのだろう。
納得という情報社会基本インフラ
この、情報の意味確認による納得というのが、情報”社会”の基本インフラであると言えそう。情報を社会の基盤として考えるのならば、この納得という概念で情報の意味共有を一単位の相互作用の結論として考え、その納得に至った意味をその基盤とする、と定めることで、ようやく社会の上に構築される構造が検証可能となり、安定するのではないだろうか。社会の不安定化はその意味が不安定になっているということの証拠となり、だから再度意味の確認と納得を繰り返すことで、その安定を確保することができるようになるだろう。
社会不安定化理論 マルクスと代表制と
社会理論がマルクス的革命理論に基づくと、納得がいかなければ革命を起こしてぶっ壊してしまえ、ということになるが、これでは壊された方は全く納得いくことはないだろう。それは、報復の連鎖につながるだけで、全く安定につながる要素が見当たらない。一方で”民主的”と呼ばれる政治を含め、特に代表制で行われる政治は、その性質上権力闘争にならざるを得ず、これもまた互いの納得よりも、力によって相手を言い負かす、ねじ伏せることで従属させることが基本的なありようであるといえ、ここにもまた納得によって社会を安定させるというメカニズムが作用する余地はない。つまり、現代の社会は、理論、実践ともに社会の安定化に至るような仕組みにはなっていないのだと言える。
反対話的な押し付け相互作用
このような社会では、情報を納得に至るまで考えるよりも、自分の意味を一方的に押し付けるということが合理的となり、対話による納得よりも押しの強さが相互作用の決め手となってゆく。それは、押し付けられた側は納得がないので、相手の押し付けを記憶し、そこからズレたところで納得のいかなかった部分を取り返そうとして、押し付け側を論理でガチガチに固めてそこから出られないようにし、押し付けた側はその意味に従って論理超特急で走らざるを得なくなる、という、どちらにとっても対話とは相反することになってゆく。
論理的不安定社会を支える人間理性
これは、上で見た通り、情報社会の基本インフラが整っていない証拠であるといえ、これでは社会は安定のしようがないのだろう。そしてさらには、競争やら駆け引きやらで、情報を納得から切り離すような仕組みがすでに社会の中には大きくビルトインされている。仕組みがこのように納得に至らないようなものになっている以上、社会が安定に至る要素は見つけるほうが難しい。このような論理的に安定しそうもない社会を支えているのは、人間理性であり、そしてそれを支える人々の頑張りや意地であると言えるのだろう。これをさらに金を追いかける速度を上げるような競争、駆け引き、意志の押し付けというようなことにインセンティブがつけば、人間理性を支える人々の頑張りや意地もどこかで挫け、社会を安定に保つ要素は消えて無くなってしまうだろう。
社会を不安定化させる限界越え圧力
人間理性をわざわざ削り取るような仕組みが社会の中に組み込まれている、ということ自体が異常であると言えるが、どうも社会というのは、人に限界を超えさせる、ということを目指すよう構築されているようにも見受けられる。限界を越えるかどうかは社会が決めることではなく、自由意志の結果として、それぞれの人がそれぞれの限界を日々超えて成長しているのだと思われる中、社会が一方的に個別の限界線を定め、それを越えるよう圧力をかけ続けるという歪んだあり方が結局社会を不安定化に向かわせるのであろう。
社会に安定化を組み込むために
このようなリスクを避けるためにも、納得に基づく相互の意味確認ということを社会の基本インフラとして整え、対話を重視した社会に変えてゆく必要があるのだろう。互いの納得に至る、ということを相互作用の目的とし、目的合理性はお互いが納得することであるという具合で、社会の仕組みを”合理的”に整えてゆくことで、社会が安定に至るビルトインスタビライザーが仕組みとして整うことになるのではないだろうか。
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