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『彼岸花の咲く島』には、ならない(「彼岸花が咲く島」中編)
日本語は‘monologue’に寄った言語と、いわれることがある。
“ありがとう”を遡ると、‘有り難い’を参照し、更に敷衍していくと『(眼前に)有り得ないことが発生した』という、感嘆を露わす“独りごち”、に行き着くことになる。
無論、言葉は入れ物に過ぎず、任意に割り当てていく“連想配列”のように、必ずしも形骸(包み箱)と中身(本来的な謂)が一致している必要がない。仲間内で伝わる“符合”(exp
信じる、と“信じてる”(「彼岸花が咲く島」前編)
まだ長い文章を読み慣れていない頃、筆者のもつ“文体の癖”に阻まれ頓挫する、という内容以前の“選択”がままあった。漫画雑誌を読む際の、絵柄がどうにも受け付けずに後回しにしていく、そんな感覚に似ている。
一方で、必ずしも書籍類に限らないが、“積ん読”状態だったものをふと手に取り、“わたしは今、まさにこれが読みたかったのだ”と、時空を超えて自分にグッジョブする感じを、幾度と無く経験している。
今とな
臆病な性格で威嚇することもあります
就職して暫く経った頃、諸処の申し送りの後に、
“small-talk”は大事よ
と言われた事がある。
有無なんて無いでしょ、とする、はみ出すそんな面倒臭を隠しきらない応接。教育係でもある彼女の‘善良’を纏う配慮に、表層に首肯しながらも、名状し難い感触をなぞった。治りの遅い屈曲部の傷のように、今でも不意に思い出す。
☆
職業作家は『言葉』の不具に挑み、戸惑い、彷徨いながら、時に先達の叡智に
水田に揺蕩う「カルガモ」は、今際に何を見るか
「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」を初めて観たとき、この作品をどう回収すればいいのか、よくわからなかった。"感動ポルノ"的、"世界名作劇場"的、というpropagandaを警戒し、作品評価を留保するというものではなく、作品内に通暁する、とってつけたような'残酷さ'を、イマイチよく理解出来なかった。
残酷、という言葉は妙だ。
人為的、というnuanceを多分に含む。
予測不能に横たわる、acc
'PERSONA'lization
作家の平野啓一郎さんの唱えるconception[観念モデル]に、分人というものがある。
もう、10年くらい経つでしょうか。わたしも当時読んでいた『空白を満たしなさい©平野啓一郎』と、ほぼ同時期に、新書判で'分人'についての一考察を発表する。'intelligentsia'の役割というのか、漱石や川端や大江らに連なる試論の提出は、どこかold-skoolな、'文人'らしい矜持のある方なのだなと、
'ghost'の在りか
ネコを飼っていると、通称"デビルフェイス"と呼ばれる'顔つき'に出くわす。"出くわす"、というのは、意図してそれを'させている'わけではない、という最低限の'親心'に発している。
"家出少年"保護してる白アッシュの長毛種かつ去勢済オスなので、傾向として、穏和かつ甘えん坊なのは、巷間いわれる通り。保護猫という履歴も関係するのか、弱いものには強く、強いものには弱い。考えうる限り、この世で最も姑息に、
用法・容量を守って、正しくお使い下さい。
かつてでいう『援助交際』や『ブルセラ』、今でいう「デートクラブ」や「JKリフレ」等の、"未成年による性の切り売り"に言及する際は、常に'ひとつの命題'がついてくる。
『日本の未来』を見据えて、ある種の'良識'を振りかざした時、いわば斥力としての"彼女たち"を、目下の「他山の石」として'損切り'し、捨て置いていってしまう。その姿は、つまびらかに―――を露出しながら、"こんな事してちゃダメだよ"と、
【have a strong desire to ~】
『女子高生』を拾ったことは無いが、酔っ払いを拾ったことがある。
自宅マンション敷地内の駐車場に寝転がっていたのを、居住関係者と勘違いし、思わず声を掛けた。深夜遅く、死角に横たわると、端的に轢かれる恐れがあり、もし看過して事故が起きたら、心中穏やかでいられない。gender-schemeどちらにも寄らない服装と体躯、そして栗毛のモジャモジャゆえ、ぱっと見に性別が判らない。酩酊の相手に、幾つかの問答
Devil,made,Devil.and,Devil
オバマ元大統領の回顧録が出版された。原題"A Promised Land"はそのまま『約束の地』と訳される。自明ゆえに、或いはconflictを避けるがために、宗教性を剥奪したこの"お題"を聞いた多くの者は、"ZION"の四文字を思い浮かべる。
1948年イスラエル建国。それを後押ししたのが、1900年初頭から顕わになる、"Zionism"の運動体であった。時はEurope再編となる、経済恐慌