Devil,made,Devil.and,Devil

オバマ元大統領の回顧録が出版された。原題"A Promised Land"はそのまま『約束の地』と訳される。自明ゆえに、或いはconflictを避けるがために、宗教性を剥奪したこの"お題"を聞いた多くの者は、"ZION"の四文字を思い浮かべる。

1948年イスラエル建国。それを後押ししたのが、1900年初頭から顕わになる、"Zionism"の運動体であった。時はEurope再編となる、経済恐慌吹き荒れる世界大戦前夜。祖国をもたぬ異邦人に対す迫害は厳しさを増し、反作用にて加速する、血縁に基づく凝集はやがて民族回帰運動へと繋がる。大文字で"Diaspora"と綴ると、今でも欧米圏では特定の意味を持つ。民族離散を伝承する旧約聖書と、ヤハウェ‎を"scotomata"にして脱構築する-不条理を"一カ所"に集め馴致する-一神教的世界観。"約束の地"とは、"来たるべき、そして還るべき"の換喩となる。

宗教を足掛かりにしたが、信仰の話をしたいのではない。というよりそもそも宗教は、曼荼羅図絵にみられるように、『世界把握の方法と解説』のひとつの有り様であり、この世の不条理を、あるがまま伝えていく手段とされる。だから、そもそも"政治"とは癒着関係にあるし、立憲下で"姑息的"に切り離しても、根っこの部分は政治界と癒着し、遺り続ける。

『○○』は宗教なのか、という問いは、何時でも起こり得るし、問いそのものが"自家撞着"しているが故に、解は出ない。つまり"手段であること"こそが宗教性の本懐であり、目的化し、肥大する『延暦寺』は、必ず" 焼き討ち"される(≒黙示録)。宗教を意味する"religion"が含意するように、ある種の"縛り"は、それを信仰する者をidentifyし、宗教的儀式に伴う反復動作は、対象を自意識から解放する。意味のない反復行動を、神経症状に伴う代償行為(Neurose)と呼ぶが、その反復動作に物語を添加し、"意味"を持たせたのが宗教的儀式の客観的な姿といえる。これは宗教のもつ大きな機能性のひとつとなっている(写経は瞑想の一種)。この反復動作から宗教性を剥奪し、"心療"(科学)の衣を纏ったのがcopyingで、今挙げるどれもがみな、外見的には"ほぼ同じ"にみえるというのが、思考上の補助線となろう。無論、気分転換に身体を動かしても、これらと"ほぼ同じ"効果は得られる。


子育てに携わると遭遇する、"Terrible Twos, Horrible Threes, Wonderful Fours"という言い回しがある。韻文ゆえに訳すると霧消するので、原文まま載せている。要は、一次反抗期と後に訪れる平穏を、諧謔に著したものだが、地域性問わず共通感覚であるのが微笑ましい。その一方で、"子は3歳までに一生分の親孝行をする"と謂われる。片方で悪魔と罵られながら、もう片方で親孝行を完遂する『子供』。これらは結局、子を形容するより、親の情緒不安定さを露わしているのではないか、と立ち止まったりするが、あながち見当外れではないように思う。

子の、作為ない表情仕草に、遠い記憶の-写真に残る-自分自身の幼児の頃の面影を、発見する瞬間がある。それを梃子にして、その頃住んでいた家の、温度や光の具合まで鮮明に浮かんでくる。記憶の中の"わたし"を見る、その眼差しは"誰か"のもので、それは、今、目の前にいる我が子を見やる"眼差し"に、にわかに重なってゆく。子を育てるとは、今ある自分自身が、"誰か"の手によって育てられてきた事実を、追体験する作業にほかならず、この様を"悪魔"と形容するのは、けして大袈裟ではないのかも知れない。

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高校の頃付き合っていたヒトと、どちらからともなくお互いに、祖父が死んだときの、その夜の話をしたことがあった。もしかしたらその話がきっかけで、気を寄せ合うようになった、のだったかも知れない。"友人"の距離感では、祖父の話は余りしない気がする。その祖父の住む処は、人より牛が多い、どこからか仄かに糞と下水のにおいが漂う、一定間隔でカラス除けの空砲が鳴るような、かなり本格的な農村地域で、切り取り方によってはオシャレな"古民家"風の、そのリアル農家には汲み取り式の便所が、プレハブ造りの"離れ"にポツンとあった。都会の子だったわたしは、そこで犬と共に散歩に出掛け、当たり前のように迷子になり、ひとり泣いてるところを"見知らぬおじさん"に、犬と共に軽トラで送ってもらったりした。田んぼとお寺と、似たような農家しかなく、GoogleMap無き世界で、座標軸を把握するのは難解だった。

サラッと書いてしまったが、「汲み取り式の便所が、プレハブ造りの"離れ"にポツンとある」ことを、どうか想像力もって感受してほしい。道照らす外灯の明かりは、納屋のある農家造りのその内側までは届かず、夜ともなると漆黒で、玄関ノキに下がる誘蛾灯を頼りに、ほぼ手探りで便所に向かうハメとなる。傍らに、虫の羽音と"ソレ"が弾け飛ぶ断末魔を聞きながら、急いで用を済ませ、目の端にゲジゲジやカマドウマを捉えつつも、"見なかったこと"にして母屋に戻る。ほかの田舎と比べるむべもなく、"おじいちゃん家"とはこういうものと、どこか力なく受け入れていた。親戚の皆が喋る、しゃがれた関西弁はよく聞き取れず、語彙の変換にも時間が掛かり、にわかに返答する間を逸してしまう。いとこ達見渡してもおミソであったわたしは、関東のとは違う、間断のない蝉時雨のなか、いつも所在なく過ごしていた。わたしにとって田舎は、異世界ファンタジーそのものだった。

その祖父が死んだ。この時初めて、父が泣く様を見た。父の涙を見たのはこの一度だけで、今後ともこの一度きりなのだろうと、どこかで予感している。人は死ぬと蝋人形みたくなるのだなと、当時まだ東京タワーにあった、蝋人形館のことを思い出しながら、遺体と遺影とを見比べたりしていた。祖父に対しては、その突き放したように喋る、表情の読み取れない雰囲気に気圧された思いしかなく、涙にくれる哀しみは最後まで抱けなかった。遺影に笑う、表情豊かな祖父はどこか別人のようで、近しい肉親が死んだにも関わらず、そんな空疎な感覚しか持てない自分に、少し焦ったりした。

その夜、トイレに行った。外灯も届かぬ、漆黒と呼べるはずの暗闇は、その時何故だか薄明く、青みがかっているように拡がっていた。怖さという感情が無くなってしまったかのように、庭の大部分を占める、祖父が世話していた池の鯉を、循環流水の絶え間ない音と共に、群青色した世界に暫く眺めていた。神秘体験というほどではなく、今思えば満月か何かだったのだろうと思う。鯉に餌をやる時の、満たされて、この世のすべてを慈しむように微笑んでいた祖父の横顔を、餌のキツい匂いと共に、思い出していた。

水木しげるはかつて、蛍光灯の普及が妖怪をこの世から追いやった、と言った。文明批判などではなく、彼の率直な想いであったのだろうと感覚する。蛍光灯のflatな光のもと、妖怪の寄る辺となる陰影は生まれない。祖父の家の"離れ"のトイレで用をたす間、目の端で蠢いていたゲジゲジやカマドウマの群がる"隙"は、気密性の高いマンションの、人感センサーLED照明の下では存在し得ない。そういう話なのだと思う。

幽霊というのは、視野の左端に顕れる、という。蛍光灯が妖怪を駆逐するのと、反目するように、都心部に住まう核家族に『発見』されていったのは、怪談なのだろうと思う。江戸の街の男女の非対称性は有名だが、確かに四谷怪談なども、"都心"に住まう人々の、遊興に消費されるものだった。ヒトは記憶から対象を呼び出すとき、目は左方向を向く。視野の左から顕れる幽霊とその怪談話とは、"近しい人"を失ったことの無い、淋しき都会人の見間違う、"仮想敵"を名宛する謂なのだろう。

蛍光灯は普及し、清潔なトイレで用が足せる。"トイレの花子さん"的幽霊は、もしかしたら増えたのかも知れないが、"ユタと不思議な仲間たち"連なる妖怪たちはいなくなった。現在もし道に迷ったら、GoogleMapを呼び出せばいい。大人は利便や経済性で住まう場所を決める。かくして、そうして大人たちが偶発的に決めた住まう場所は、子どもにとっては必然的に、そこが"約束の地"となっていく。

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