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『形而上学 この私が今ここにあること』『序論』Prologue――守時奴から<記憶>へ

『形而上学 この私が今ここにあること』『序論』Prologue――守時奴から<記憶>へ

Prologueには、劇の内容を紹介する前口上/序幕という意味があります。以下の顔アカウント氏のツイートは、これから上演されていく劇を照らすものとして、まさにPrologueにふさわしいと思います。ツイートにおける「守時奴」という興味深い概念は、彼が発明したものです。

顔アカウント@sitasimiyasui 2024年4月22日
私が言っている「守時奴」は内容のない(未だ消費されていない)時間

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『形而上学 この私が今ここにあること』『序論』Prelude

『形而上学 この私が今ここにあること』『序論』Prelude

 Preludeには前兆、前触れという意味があります。前兆/前触れにふさわしいPreludeとして、永井 均氏による2023年8月21日付けの二つのツイートを転載します。

 今「前兆/前触れ」と書きましたが、本書において、「A/B」と書いた場合のスラッシュ記号「/」の使い方について説明します。このスラッシュ記号「/」は、AとBのどちらかだけを取ることなく、また必ずしもAとBが対立したり対比された

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『形而上学』叙述構造

『形而上学』叙述構造

序文 <私>と現実性へと向かって

第1章 無内包性と形式性

Ⅰ アリストテレス『形而上学』第3巻第5章――「点や線や面」「いま」のアポリア

附論 大森荘蔵を巡って その最深部の問題

Ⅱ カント『純粋理性批判』――「形式としての空間」の形式性

形式性の生成という問題――<超越論的自由>という要請

「マイナス内包」への遡行/想定と<超越論的自由>

Ⅲ この<私>の<今-(hyphen)こ

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Archives 16歳1か月時の試論 『(一つの)新たな直観によってそれ迄のいくつかの思考をいくらか結合させた総合的な(諸)問題に対する概括的な試論』

Archives 16歳1か月時の試論 『(一つの)新たな直観によってそれ迄のいくつかの思考をいくらか結合させた総合的な(諸)問題に対する概括的な試論』

『我々は、各自固有なベクトルの帯の内部に生きている。我々が知り得るどんなこともそのベクトルの内部より超出することはできないし我々の知り得るどんなこともその存在要因を我々の存在するベクトル以外に求め得ない。従って我々は何も真に知り得ない。しかもこのベクトルを測る規準などどこにも存在しないのだから我々はあるいは無限である全体の中における有限であるかも知れぬし、虚無であるかも知れぬし、あるいはそのどちら

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原草稿『形而上学 <私>は0と1の<狭間>で不断に振動している』『序論』

原草稿『形而上学 <私>は0と1の<狭間>で不断に振動している』『序論』

 『<私> は0と1の<狭間>で不断に振動している』 の序論の位置づけを持つ本論考は、『純粋理性批判』を核とするカントの思索の場でXというもの――例えば痛みというもの――という形式をとる経験を考察することをその標的としている。ここでXというものとは、我々によってXと呼ばれるもの――例えば我々によって痛みと呼ばれるもの――の簡潔な表現である。本論考では、我々によってXと呼ばれるものという形式をとる経

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『形而上学』 序文 & 『序論』Epigraph & Prelude & Prologue & リライト版(適宜更新) & 叙述構造

『形而上学』 序文 & 『序論』Epigraph & Prelude & Prologue & リライト版(適宜更新) & 叙述構造



『本論』 序文 <私>と現実性へと向かって 第一次リライト版

 以後、この<私>の無内包性を、無内包の現実性とともに探究していきたいと思います。ここで無内包(性)とは、その無内包性については、感覚の程度/内包量ゼロという状態を含むいかなる実在性もない――「ない/ゼロ」と記述することも言うこともできない――という事態でした。すなわち、この私が、そして私たちが生きるこの世界におけるあらゆる物事

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