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国家安全保障

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#朝日新聞

朝日新聞ジャーナリスト 非科学的な思い込みだけで記事を書く

#私の作品紹介

元・朝日新聞記者



現在も

朝日新聞GLOBE+



連載を続けるなど

朝日新聞



密接な関係

にあり

朝日新聞の代理人

として

有力な朝日新聞言論人

となった

成川彩。

元朝日新聞の成川彩は2021年9月に韓国・中央日報で記事を発表した。

韓国に住む日本人の立場で韓国の新聞に福島原発「処理水」放流問題に対して文を書くのは難しいことだ。「敏感な

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朝日新聞記者殺害を非難する左翼 安倍元首相暗殺を賞賛する左翼 左翼テロを擁護する左翼

#多様性を考える

1987年5月3日に

朝日新聞阪神支局が襲撃され朝日新聞記者1人が死亡、1人が重傷となった事件。

36年たった

2023年でも

朝日新聞
「明日もしゃべり続けなければ」 阪神支局襲撃36年、市民らが献花:朝日新聞デジタル (asahi.com)
2023年5月3日 20時23分

NHK
朝日新聞 阪神支局襲撃事件から36年 亡くなった記者を悼む | NHK | 事件

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首相暗殺未遂の木村と鹿児島大学

#多様性を考える

岸田首相を暗殺しようとした

木村隆二容疑者。

木村隆二容疑者



年齢などを理由に参議院議員選挙に立候補できなかったのは憲法違反だとして、

国に損害賠償を求めて神戸地裁に本人訴訟を起こし、

同年11月に棄却されている。

首相暗殺未遂の木村隆二容疑者



同じようなことをしていた人物



鹿児島大学

にいた。

鹿児島大学3年生の中村涼夏さん(21)

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日本の国家安全保障90年代 104

#多様性を考える

国家安全保障 マス・メディアにおける論議 1990年代

オピニオン・リーダーたちの安全保障論 1990年代

朝日新聞におけるその他の主張

1995年1月23日



朝日新聞「論壇」

では、

国弘正雄・参議院議員

が、

「『軍事費』を地震対策費に回せ」



主張している。

1995年5月5日には

香西茂・大阪学院大学、京都大学名誉教授(国際法)



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日本の国家安全保障90年代 97

#多様性を考える

国家安全保障 マス・メディアにおける論議 1990年代

オピニオン・リーダーたちの安全保障論 1990年代

坂井定雄・龍谷大学法学部教授の主張

坂井定雄・龍谷大学法学部教授は

1999年9月11日の

朝日新聞「論壇」において、

「TMD(戦域ミサイル防衛)より多国間安保急げ」

と題し、

「軍事力による威圧をやめて、

 東北アジアの多国間安保体制、非核地帯条約を

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日本の国家安全保障90年代 96

#多様性を考える

国家安全保障 マス・メディアにおける論議 1990年代

オピニオン・リーダーたちの安全保障論 1990年代

金子熊夫・東海大学教授、元外務省外務参事官の主張

金子熊夫・東海大学教授、元外務省外務参事官は

 1999年7月27日の

朝日新聞「論壇」において、

「感情論やタブーは排し、核抑止力は本当に役に立つのかどうか、

 『核の傘』に代わる安全保障政策として

 期

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日本の国家安全保障90年代 95

#多様性を考える

国家安全保障 マス・メディアにおける論議 1990年代

オピニオン・リーダーたちの安全保障論 1990年代

暉峻淑子・埼玉大学名誉教授の主張

暉峻淑子・埼玉大学名誉教授は

1999年5月3日の

朝日新聞「論壇」において、

「『大国』日本が残せるもの」

と題し、

「戦後、『大国』として日本が唯一、

 世界に対して手本となりえたのは平和憲法ゆえであり、

 二十一

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日本の国家安全保障90年代 93

#多様性を考える

国家安全保障 マス・メディアにおける論議 1990年代

オピニオン・リーダーたちの安全保障論 1990年代

吉田均・東京財団主任研究員の主張

吉田均・東京財団主任研究員は

1999年12月2日の

朝日新聞「論壇」において、

「平和による相互発展というイメージを周辺国に伝えるため、

 日本も自治体に役割を再認識し、

 二国間組織や多国間組織を積極的に活用する必要が

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日本の国家安全保障90年代 92

#多様性を考える

国家安全保障 マス・メディアにおける論議 1990年代

オピニオン・リーダーたちの安全保障論 1990年代

水島朝穂・広島大学助教授(憲法学)の主張

 水島朝穂・広島大学助教授(憲法学)は

1995年1月27日の

朝日新聞「論壇」において

「92年秋、

 筆者は憲法の理念に基づく非軍事的国際協力のモデルとして

 『ニッポン国際救助隊』設立を呼びかけた。」

と主

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日本の国家安全保障90年代 91

#多様性を考える

国家安全保障 マス・メディアにおける論議 1990年代

オピニオン・リーダーたちの安全保障論 1990年代

北山愛郎・元衆議院議員の主張

北山愛郎・元衆議院議員は1997年4月4日の

朝日新聞「論壇」において、

「日米安保依存から脱却しよう」

と題し、

「2005年ごろまでに安保の解消を予定し、

 そのプロセスを協議することを提案する。

 これと並行しアジア諸

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日本の国家安全保障90年代 87

#多様性を考える

国家安全保障 マス・メディアにおける論議 1990年代

オピニオン・リーダーたちの安全保障論 1990年代

政治部記者の安全保障観

雑誌「文芸春秋」1996年1月号では、

「現役政治部記者107人が選んだ 21世紀のリーダーは誰か」

と題したアンケートを掲載した。

アンケートでは

鳩山由紀夫、

船田元、

谷垣貞一、

加藤紘一

の4名が圧倒的上位に位置してい

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日本の国家安全保障90年代 78

#多様性を考える

国家安全保障 マス・メディアにおける論議 1990年代

オピニオン・リーダーたちの安全保障論 1990年代

柴山哲也・京都大学経済学部講師、元朝日新聞記者の主張

柴山哲也・京都大学経済学部講師、元朝日新聞記者は

雑誌「Ronza」1996年(平成8年)12月号において、

「21世紀の国家の枠を超える情報化社会を前に、

 有用な情報の価値はますます高まるが、

 愚鈍

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日本の国家安全保障90年代 75

#多様性を考える

国家安全保障 マス・メディアにおける論議 1990年代

オピニオン・リーダーたちの安全保障論 1990年代

鴨武彦・東京大学法学部教授の主張

TBS『報道特集』



日米防衛協力のための指針(ガイドライン)法案

について

日本とアメリカによるダブル・ヘゲモニーになる

と反対していた

鴨武彦・東京大学法学部教授。

鴨武彦・東京大学法学部教授は

  雑誌「Rо

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日本の国家安全保障90年代 69

日本の国家安全保障90年代 69

#多様性を考える

国家安全保障 マス・メディアにおける論議 1990年代

読売新聞と朝日新聞 1997年/1998年/1999年

読売新聞 1997年

 1996年12月に発生したペルー・日本大使公邸占拠・人質事件について、

1997年2月3日の社説で、

テロリストの要求に屈しないペルー政府を支持し、

1997年2月19日の社説では、

日本のテロ対策が不十分であると指摘している。

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