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菜食と動物倫理③日本史と動物
・日本と動物倫理 前回までは、世界(特に欧米)の動物をめぐる展開を述べてきました。それでは、日本の場合はどうだったのでしょうか?今、どうなっているのでしょうか?
日本では19世紀後半に西洋諸国の文化がもたらされるまで、肉食は一般的ではありませんでした※2。明治・大正期になっても食肉需要は大きくなく、動物の飼育や屠殺は家庭の中で行われていたようです。また、役牛など農作業の助けとして飼われる家畜が
日本の原発最終処分場建設の現状
これまで世界の原発最終処分場について見てきましたが、今回は「日本の原発最終処分場がどのような状況にあるのか」を考えていきます。
今回見ていくのは北海道・寿都町。ここでは原発最終処分場の建設に対する住民の意見が分かれています。寿都町の議会だよりから読み取れる、最終処分場を建設するプロセスの中にある様々な課題を話し合いました。
まず、コロナ禍によって住民や町長の間での意見交換の場が少なくなる中、十
原発にも、「つくる責任」、「つかう責任」
産経ニュースの「10万年後の安全―『信頼』と『責任』の意味」という記事を読みながら内容に関して思うことを共有し、議論しました。
記事の内容は、フィンランドのエウラヨキという小さな町における原発の最終処分場の建設が国によって正式に認められたというものです。
エウラヨキには原発があり、そこで出た核のゴミをその場で処理しようということだそうです。
核のゴミは高い放射能を含んでおり、放射能が使用前の
ベジタリアン、ヴィーガンと多様性➁菜食とセクシャルマイノリティ
前回の記事では、プラントベース=菜食の生活を送る理由はとても多様であること、西洋社会から生まれた定義が国際的に広まっていること、けれど菜食を多面的に捉えるのも大切であること、などを述べました。
今回は、菜食と、菜食をする人々についての、新しい捉え方を提案してみたいと思います。
1.「指向」と捉える
プラントベースの生活実践を、食べ物の好き嫌いや、外見の好みといった「嗜好」ではなく、その
Plant-Baseプロジェクト~ベジタリアン、ヴィーガンと多様性①
プラントベース=菜食中心の生活をする理由は様々に分かれています。健康、環境、動物倫理、宗教、文化、経済など、「vegetarian」、「vegan」という言葉がまだ存在しなかった何千年も前から、世界中の様々な地域でそれぞれに異なる理由で実践されてきました[1]。
古代にはギリシアの数学者ピタゴラスのほか、インドの仏教の創始者ブッダやジャイナ教の創始者マハーヴィーラが肉を避ける菜食の生活を広め