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「できそう」という感覚を奪うのは、今時とても罪深いことなのだろう
前回の投稿に続き。
若手育成において「できそう」という感覚を失わせてしまうことは、今時とても罪深いことなのだろうと思っている。なぜなら、できそうという感覚を奪うことは、当人の成長の機会や労働の動機を奪うことであり、さらに、労働の動機付けや成長の管理までもがチームマネジメントに求められるようになってしまったからだ。
「できそう」という感覚や伸びしろ、遊びしろがあるからこそ、期待を抱きながら目
それでも、いい子はやめられないようだ
怒涛のイベントシーズンを終えて、ようやく落ち着いた生活に戻った。イベントの会期中、若手の子がダウンしてしまい、その様子を見てふと思ったことがあったので書き残しておく。
最近入ったZ世代くらいの若手社員がいる。イベント要員として採用され、海外のチームと準備を進めていたが、業務が手に負えず会期中ずっと体調を崩し、全日欠勤してしまった。
体調を崩しても、この子はいい子だった。会期中、関係者への
現代社会における「〇〇力」の表現は成長の視野を狭めているのではないか
「〇〇力」という言葉を、よく目にするようになった。昔から使われている表現なので、全く新しい表現というわけではない。一方で、昨今の「〇〇力」表現にはどこか、不健全さや社会の余裕のなさが感じ取れる。そんな「力」の表現についての雑考を書き留めておく。
「〇〇力」という表現は、受けてに対し「問題を解決する手段」という印象を与える。少なくとも、この記事の対象である「〇〇力」という表現は、問題を解決する
HSPと加害者になりたくない人達
先月、Kindle Unlimitedでイルセ・サン著のHSP本が追加されていたのに気づき、ダウンロードして読んでみた。”敏感な人”(Highly Sensitive Person)について解説が書かれており、半日もあれば読み切れる量だった。読後の感想と、最近の関心ごとについて書いておこうと思う。
著書の内容をざっくり言えば、”すごい敏感な人”の解説。この「敏感」というのが多様で、物理的な刺
千葉先生のエッセイを読んで
昨年のメモやツイート・ブログ・飲み会話を省みると「もちろん言い切れないんだけど」「すべてがすべて、そういうわけじゃないけど」と言う機会が増えたと思う。
例えば、会社で大学生の傾向について聞かれた時。大学の後輩から、就活について聞かれた時。アカデミアと企業の違いについて会話する時。一つの傾向や解釈を伝えるときに「みんながみんな、そうとは言えないんですが」と添えて説明することが多かった。
一方で、