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クリエイティブ界隈の労働倫理と生産性について

先日、このようなツイートがTLに流れてきた。

 昨年、クリエイティブ関係の仕事に参加した。徹夜も休日稼働もある現場だったが、その現場では誰も「徹夜しててでも良いものつくります!」と明言していたわけではない。しかし、実際の言動がそう語っていたのは事実だった。そういう人々と一緒に働いた体験から、このツイートに書かれているようなカルチャーが存在することは、どこか納得できてしまう。

 このツイートでは直接書かれていないが、徹夜の有無というよりも、過剰な滅私奉公せずに働くことが「人として正しく生きること」であり、仕事が生活を蝕んではいけないと言いたいのだろうと察した。しかし、実際の経験をもとに立ち止まって考えてみると、この正義は果たして人を幸せにするのだろうか。また、生産性を高めるのだろうか。クリエイティブ業界の人達と交流した後でこのツイートを見ると、そう思ってしまう。

 「クリエイティブな業務において、労働倫理と生産性は必ず相関するわけではないのではないか」

 自分が実際に関わったクリエイティブ界隈の人達のなかで、印象的だった出来事がある。昨年の開発メンバーのうち一人が、仕事の追い込み際で、「自分が関わる作品がダサくなるの”だけは”嫌だ」と言っていた。これは、先のツイートに見え隠れする主義との違いを明示する例として、わかりやすい良い発言だったと考えられる。

 ここで、一般的な製造業を対照的な例として考えてみる。安定して製品やサービスを提供しつづける点に責任を持つ製造業では、人として正しく生活できるようマネージすることに重きが置かれる。さらに、製品の高い質が求められ、その質と消費者の安全が強く結びつく場合など、徹夜してアウトプットを出す点にバリューはない。無理に間に合わせても仕様を満たせないことや、検査、QCが通ってないのであれば、商品として無価値だからだ。また、それだけプロセスに不透明な状態はない。例外やアクシデントが起きようが、プロセスや完成形は設計されたうえで、業務が進められる。

 一方で、クリエイティブ界隈には製造業のような正解や完成がない。語弊がないように表現すれば、設計と製造だけでなく、具現化した後の追究やステークホルダーとの利害調整までも含まれる。製造と表現の割合が、圧倒的に異なる。自分の作品が、自分個人のスキル証明やバリューを証明するものになる。クリエイティブ界隈の物作りでは「間に合わせること」や「オリジナリティを高めること」に責任を持つ。

 このような、そもそもの違いを振り返ってみると、クリエイティブ界隈の生産性というのは、型押しでコンベアに送る製造と比べられるものではないのではないか。

 無論、企業と労働者の雇用関係や社会的な責務を鑑みれば、その正義を通さねばならないのは、言わずもがな。1日8時間で回るように.....理想はいくらでも言える。しかし、実際のところ、その正義が通用しない”からこそ”成り立つ”生産性”も、あるのではないだろうか。画一的な生活習慣からオリジナリティが追及できるのであろうかと、疑問を抱かずにはいられない。

 当然、自分は非クリエイティブ界隈の職業であり、悲惨な現場を知らないから好き勝手言ってるのであって、あくまでもツイートに対する雑な感想としてとらえて頂きたい。業界を知っているわけではないので、知ったかぶりをしつつ、ちょっとその正義を通すにも矛盾を抱えるのではないかと言いたいだけだったりする。

 自分が前居た、研究界隈がいい例だと思う。大学の研究室で不夜城のところは多い。好奇心で、「好き」でやってるところは高い倫理性よりも個人のリズムや自由度、裁量を優先したほうがアウトプットが出たりするということは、矛盾するだろうが、多くの教授陣が同意するところと思われる。
 逆に、ちゃんと1日8時間、いい子ちゃんにコツコツのタイプは、サラリーマンとして優秀であり、必要以上のアウトプットが出ない傾向にあると思っている。これも、多くの方に同意していただけると思う。学術であれ、クリエイティブ界隈であれ、好きなんだから気が済むまで追求する、時間があるんだから、全力で取り組む。そういう人程、たとえ不健全であれアクションの量が増え成長する。結果、個性がついてくる。そもそも、そういう構造なのではないか。だとしたら、労働倫理の正しさを前面に押し通しても、面白さに欠ける世界にしかならないのではと思ってしまう。

 大きなお金が動く世界では、どこでも、強い人の主義で組織が動くのだと思う。そういう環境の中で、様々な苦労を観て、体験して、努力をしてきたような人だから、過度に追い込んで身体を壊す人を見ていたりするのかもしれない。冒頭紹介したツイートの人や、クリエイティブ系のディレクターの方々は、そんな環境の中で人を使う側にいれば、より一層正義感を強く抱くのだろう。自分にはその知見や体験が無いので、その心中を的確に推し量ることはできない。ただ、クリエイティブなものを追求する世界で、労働倫理を前面に押し出す主張には、どこか違和感を覚えざる得ない。

 おそらく、僕は冒頭のツイートと反対の意見を述べていたようで、実は、同じ方向を見ているのだと信じている。


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