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【 #エッセイ 】キュビスムと私─シンポジウムと倉俣史朗展、グラフィックデザイン展を添えて─

はじめに

 ずいぶんとキュビスム中毒になっている私は、6月21日に最後となるキュビスム展の観覧をし、翌22日には「キュビスム、美の革命─その生成と拡張」と銘打たれた国際シンポジウムに参加してきた。
 今回はこの京都旅行をなるべく手短にまとめていきたい。なにせキュビスム関連の事柄以外でもイベントが盛りだくさんだったのだ。これまでの展覧会についての記事では頑張って解説を試みるなどしていたが、本記事はただのエッセイだと思って読んでいただけると幸いである。


6月21日─22日シンポジウム前まで

京都に到着!

 前日遅くに夜行バスへと乗り、翌日21日早朝には京都駅に到着。そこそこの雨が降っていたため、雨宿りを兼ねて近くにあったなか卯へと駆け込む。とり天うどんが旨かった。

胃に染みるぜ

移動して京都市京セラ美術館へ

 ずっとなか卯にいるわけにもいかず、京都市京セラ美術館に近い四条駅まで移動する。ここでふと詩が頭に浮かんだため、noteに書き出して投稿した。

『死と生と、昼と夜』

死に籠絡されて
ついぞ還ってこなかった人たちがいる
死の淵に身を投げるのは
かくも魅力的なことなのだろうか

彼らの夜はもう明けない
しかし本来昼と夜とに境目はないのだから
死と生も
実はほとんど差異のない現象なのではないか

もしそうなのだとしたら
昼の世界に
白昼夢のような生の世界に身を投じれば
案外心地良い死が訪れるのかもしれない
人びとよ
喜んで生に拐(かどわ)かされよ

死と生と、昼と夜


夜と陸続きであろう昼の世界で、死ぬまで生きられたらいいなと思った。このあとは2時間近く、駅のホームにあるベンチに座って本を読んでいた。

***

 そして移動、9時半頃美術館に着く。ジブリ展や村上隆展もやっているわけで、開館前にもかかわらずちょっとした待機列が形成されていた。雨脚は早朝と比べたら弱まっている。

京セラ美術館に来た!

ラストのキュビスム展

2024年3月20日─7月7日(会期終了)

 2、30分待ち、10時頃になってようやく開館。でっかいキャリーケースをクロークに、リュックサックをコインロッカーに預け、筆記用具等最低限の荷物を持ってキュビスム展に入場する。

東京展をあわせれば通算8回目、最後の観覧!

─キュビスム展入場─

 今回は4時間ほどかけてゆっくりじっくり鑑賞してきた。ああいいなぁとか、観られなくなるのは残念だなぁとか、そんな感想ばかり浮かんでくる。
 キュビスム展は今回までに7回観て、3回キュビスムに関する記事を執筆しているためいまさら書くこともないが、お気に入りの作品を挙げて語っていこうと思う。

●うちにほしい

ジョルジュ・ブラック《ヴァイオリンのある静物》(1911年)
《ヴァイオリンのある静物》部分

 本展で一番お気に入りの画、ブラックの《ヴァイオリンのある静物》は何度観ても最高だ。
 触りたいね。触りたい。この指向性のある精緻な筆触を撫でたい。レリーフのような荘厳さをたたえた画布のなかに入り込みたい。花瓶の配置を変えてみたい。ヴァイオリンを弾くことはできないが、この虚構の世界で音楽を奏でたい。机の暗がりに潜んでいたい。無残にも幾何学的に切り刻まれたい。無機質なタブローに付着した有機体になりたい。「Nature morte(フランス語で『死んだ自然』;『静物』の意)」の一部として、止まった時間の甘美なる犠牲者になりたい。そんな欲望たちがダダ漏れである。
 と、戯言はさておき、初めて観たときのインパクトは8回目でも衰えていなかった。人間をはじめとした生物の多くは、切り刻まれると血を流して(おそらく)死ぬ。しかし非生物は切られることで血液を流すようになるのではないか。傷口のような線に触れたら、たちまち赤い奔流に飲み込まれてしまいそう。そんな生命力を感じる静物画だ。
 ……いくらでも書くことあるな。抑えていかないと終わらない。

●うちにほしい

パブロ・ピカソ《若い女性の肖像》(1914年)

 この作品は観るたびに引き込まれていった。近くに展示してあったフアン・グリスやジャンヌ・リジ=ルソーの画と比べると、構成とか塗り方とかが「雑」に見えたから正直最初はピンときていなかった(めちゃくちゃピカソに失礼)。
 しかし何度も対峙するとどうだろう、丁寧に描かれたとても美しい画ではないか! 鑑賞者を包み込むような緑の背景。随所に描かれた植物の模様。きめ細やかに打ち込まれた点描。巧妙に象られた人物像。すべてが鮮やかに調和し、ひとつのタブローを構成している。
 しかも自分たちによってコラージュという手法を確立していたにもかかわらず、複雑な面の重なりをすべて絵の具で表現している。これを丁寧な仕事と評さないでなんというべきか。私の浅はかさと審美眼のなさを教えてくれた、非常に思い出深い作品。いまでは大のお気に入りである。

南回廊 フォトスポット

─キュビスム展終わり─

 ……本当にきりがないので、絞りに絞った2点だけを語って終わりにする。とにかく楽しかったということは強くお伝えしておこう。
 国立西洋美術館のときと同様、展示室内の作品の配置を記録した。かなり苦戦したがそのぶん大切な資料と思い出になる。

大変だった……

 しかし東京展、そして4月に京都へ来たときには問題なく展示されていた、ジャン・メッツァンジェ《自転車乗り》が所蔵美術館の都合により展示取り止めとなっていたことは気がかりだった。……このときは知る由もなかったが、7月12日にその真相が明らかとなった。これについては記事の最後に触れたい。

お昼ご飯、そしてホテルへチェックイン

 そろそろ14時半になるかという時分。キャリーケースとリュックサックを回収し、後ろ髪を引かれる思いのなか京セラ美術館を出る。朝は雨が降っていたのに、4時間ほど経過したらめちゃくちゃ晴れていて暑かった。

雲量5くらい! 暑い!

 近くのコンビニでご飯を食べ、ホテルのチェックインができるようになる15時まで待つ。

これが昼ご飯だと……?
(しかもスティックパンとゼリー飲料は
それぞれ翌日の朝ご飯、昼ご飯になったため、
ここで食べたのはドーナツだけ……)

***

 15時前にホテルへと向かう。京都トラベラーズインというところだ。おしゃれな外観!

美術館へ入る前(9:30ごろ?)に撮った写真
同じく美術館に入る前の写真
ホテルの前からは大鳥居と京セラ美術館が見える

 部屋に入ってエアコンを入れ、一息ついたら動けなくなってしまった。夜行バスで熟睡できなかったことに加え、京都に着いてから10時間くらいずっと行動していたのだ。それは疲れているだろうよ。

一晩過ごすだけなら充分すぎる

 結局1時間以上、部屋のなかでぼーっと過ごしていただろうか。この日はまだやりたいことがたくさんあった。重たい体に鞭打って外へ出る。

古書店に行く

 4月に京都へ来たとき、ギヨーム・アポリネールによる著書の邦訳版である『立体派の画家たち』(原題:『 Les Peintres Cubistes』) を発見した古書店。また何かないかという期待を込めて入店する。
 ……あった。『 Les Peintres Cubistes』のもうひとつの邦訳版、『キュビスムの画家たち』だ! まさか2冊とも同じお店で見つかるとは。

左が4月、右が今回入手した本
『キュビスムの画家たち』には、
クツワの透明ブックカバーを装着している
@我が家
Guillaume Apollinaire『 Les Peintres Cubistes』(1913)
@京セラ美術館 キュビスム展

 『立体派の画家たち』は外函付きの本で、しかもパラフィン紙が痛んでいた。ゆえに気軽に取り出して読めない代物だった。しかし『キュビスムの画家たち』はもともと外函のないハードカバーの書籍で、入手したものはパラフィン紙もしっかり残っている。さらにはB6サイズの本であるため、ぴったり合うブックカバーが市販されているのだ。
 こうして訳者は違うものの、愛蔵用と愛読用、2冊の『 Les Peintres Cubistes』を手許に置けるようになった。めでたい!

 結局『キュビスムの画家たち』と別の本の2冊しか手に取らなかったが、1時間半以上書籍の山とにらめっこしていた。ここにはまだ何かある気がする。いずれまた訪問したいな。

京都国立近代美術館へ

 ホテルには戻らず、京都国立近代美術館へと向かう。すでに18時近いが、この日は金曜日ゆえに20時まで開館していた。ここへ来た目的は倉俣史朗展とグラフィックデザイン展の観覧だ。足早になってしまうがコレクション展もあわせて回ろう。

京都国立近代美術館
もうすでに暗い 
豪華

倉俣史朗のデザイン─記憶のなかの小宇宙

2024年6月11日─8月18日

おおお

 本展にも出品されている倉俣史朗の《ミス・ブランチ》は、椅子の美術館こと埼玉県立近代美術館のコレクション展(記事内では言及なし)、そして東京国立近代美術館で開催中の「TRIO」展でも観ている。椅子をはじめとしたプロダクトデザインにも興味を持っていたため、ぜひこの展覧会も観ておきたかった。

─倉俣史朗展入場─

●ミス・ブランチ!

《ミス・ブランチ》(1988年)
《イメージスケッチ「ミス・ブランチ」》(1988年)

 写真撮影できるエリアは限られていたが、《ミス・ブランチ》はカメラに収めることができた。
 アクリルのなかに閉じ込められた造花の上に腰かけるとき、いったい人は何を想うのだろうか。さすがに展示品に座れるわけではなかったため、私がその体験をすることはできず。現実と非現実、物質と精神、プロダクトとアートのあわいを漂うような不思議な作品である。

***

 展覧会で紹介されていた倉俣氏の言葉のなかに、とても気になったものがある。

地球上の物体全てを支配下に抑えているものは引力であり、当然のことだが単に物理的にだけでなく、イデオロギーをも含めて全て支配しているという意味においてである。
透明のプラスチックとの出会いから10数年、それを素材として扱う過程で、常に潜在意識の中に抵抗するものを知覚していた。それは単にアンチという二次的な感情以外のところにおいてである。
最小限のシステム、要素、透可性、非物化または極から極への設定の移行の中で、非意識下においても且つ抗していたのは、幼児的な発想だと一笑されるかもしれないが、〈引力〉ではなかったかと思う。

「回転キャビネット」、「インテリア』第170号、1973年5月
展覧会キャプション(図録p.57)より引用
太字は引用者による

 引力に抗うってとてもいいな。この地球に生を受けた以上、ひとは生まれてから死ぬまで引力(特に地球と地球上の物体間に働く重力)の影響下にある。透明な素材を使う発想はそこからきているのだろうか。私も宙に浮いてやるぞ、という気概で創作をしていきたいと感じた。

 個人的には《椅子の椅子》(1984年)という作品が一番気に入った。言葉ではなかなか説明しにくいのだが、文字通り椅子が椅子に座しているようなデザインになっているのだ。なかなかかわいいため是非調べてみてもらいたい。
 あとでミュージアムショップに寄ったとき、《ミス・ブランチ》と《椅子の椅子》、それぞれのスケッチのポストカードを購入した。

─倉俣史朗展終わり─

 急ぎ足での観覧となってしまったが、美しいプロダクトの数々を観られて眼福だ。また倉俣氏の思考を垣間見ることもできた。
 しかし私の体は引力もとい地球の重力に抗えず、疲労がたまってきている。コレクション展とグラフィックデザイン展も限られた時間で堪能してこなくては。

印刷/版画/グラフィックデザインの断層1957-1979

2024年5月30日─8月25日

 本展はコレクション展の展示室内で行われている。

スラッシュ(/)の入り方が
断層のずれのようになっている

─コレクション展入場─

─グラフィックデザイン展へ─

 グラフィックデザインのコーナーに立ち入ると、けっこう立派なカタログが置いてあり、自由に取ることができる。

5ミリくらいの厚さがある
@ホテル

 ここからはインパクトを受けたものをいくつか列挙していこう。

●ポップなエロティシズム

横尾忠則《責め場1、2、3》(1969年)
《責め場1》
《責め場2》
《責め場3》
靉嘔《「レインボー北斎」ポジションA》(1970年)

 どちらも浮世絵がモチーフのようだ。ここまで性をポップカルチャーに落とし込むともはやすがすがしい。

●文字だけ

高松次郎《英語の単語》(1970)
高松次郎《日本語の文字》(1970)

 「この/THESE(これらの)」という指示語は概念的な符号のしての文字を指しているのか、印刷された「もの」としての文字を指しているのか、それとも両方なのか。
 倉俣史朗展の項で紹介した「アブソリュート・チェアーズ」では、高松の《複合体(椅子とレンガ)》(1972年)という作品を観ていた(記事内で言及あり)。同展の図録にて、高松は次のように紹介されている。

表現形式は絵画や写真、版画や立体など多岐にわたり、さまざまな分野を横断しながら視覚が感覚に及ぼす影響や見えない力学や現象を探求し続けた。

「作家解説」より『アブソリュート・チェアーズ』
埼玉県立近代美術館・愛知県美術館編、
平凡社発行(2024)、p.163より引用

なるほど、たしかに見えない何かを提示されている感じがする。単純だけど奥が深い。

●エレベーターの隅

森本洋充《エレベーターの隅No.1、No.2、No.3》(1979年)
《エレベーターの隅No.1》
《エレベーターの隅No.2》
《エレベーターの隅No.3》

 画角がすべて固定されているため、エレベーターのどこの隅かわからない作品。ひとつの直方体のエレベーターであれば8つの隅があるはずだ。いずれも天上に見えるところが汚れているから、足元(地面)側の隅を写したものなのかもしれない。

●東京国際版画ビエンナーレ展のポスター

《「第1回東京国際版画ビエンナーレ展」ポスター》原弘(1957年)
《「第1回東京国際版画ビエンナーレ展」ポスター(仏語版)》原弘(1957年)
《「第2回東京国際版画ビエンナーレ展」ポスター(英語版)》山城隆一(1960年)
《「第3回東京国際版画ビエンナーレ展」ポスター》田中一光(1962年)
《「第4回東京国際版画ビエンナーレ展」ポスター》粟津潔(1964年)
《「第5回東京国際版画ビエンナーレ展」ポスター(英語版)》早川良雄(1966年)
《「第6回東京国際版画ビエンナーレ展」ポスター》横尾忠則(1968年)
《「第7回東京国際版画ビエンナーレ展」ポスター》永井一正(1970年)
《「第8回東京国際版画ビエンナーレ展」ポスター(白)》杉浦康平(1972年)
《「第8回東京国際版画ビエンナーレ展」ポスター(銀)》杉浦康平(1972年)
《「第9回東京国際版画ビエンナーレ展」ポスター》福田繁雄(1974年)
《「第10回東京国際版画ビエンナーレ展」ポスター》石岡瑛子(1976年)
《「第11回東京国際版画ビエンナーレ展」ポスター》勝井三雄(1979年)
東京国際版画ビエンナーレ展関連資料(一部撮影)
東京国際版画ビエンナーレ展関連資料(一部撮影)

 いやー……何と言葉にすればよいのか。一言で表現するならばデザインの暴力といったところだろう。展覧会の顔たるポスターたちと相対したら圧巻と言わざるをえない。
 私は第4回と第5回(仏語版)、第11回のポスターが特に好きだ。

─グラフィックデザイン展終わり─

 私はすでにこの辺から、気になったものを機械的に撮影するマシーンと化していた。多くの作品が所狭しと展示されていて、記録をするのにとても苦労した。ゆっくりじっくり観たかったが仕方ない。しかしさまざまなグラフィックデザインや版画を観られて楽しかった。

令和6年度第2回コレクション展

2024年5月30日─8月25日

 こっちもすごい。時間の都合上記録しきれてすらいないが本当に充実していた。

●西洋近代美術作品選
 前回来たときはキュビスムを特集していたが、今回はダダ! まだあんまり勉強できていないけど、こちらもおもしろい芸術運動だと感じている。コラージュやフォトモンタージュの作品、特徴的なタイポグラフィーのチラシなどを観られる。

ハンナ・ヘーヒ《花嫁》(1933年頃)
テオ・ファン・ドゥースブルフ
《ささやかなダダの夕べ:プログラム》(1923年)

 いやーおもしろいねぇ。前衛がまだ存在した時代の熱量を感じる。コラージュやフォトモンタージュはいつか挑戦してみたい。
 ここでは紹介しきれないが、村山知義の絵画と彼を中心にした集団の機関誌『マヴォ』も展示されていた。ダダの運動は日本にも広がっていたのだ。

DADAは何も意味しない

「ダダ宣言1918」より
『ムッシュー・アンチピリンの宣言 ダダ宣言集』
ツァラ、塚原史訳、光文社古典新訳文庫(2010)
p.25より引用

 ダダという運動やそれの中心人物だった詩人トリスタン・ツァラについて知りたい方は、ちくま学芸文庫から出ている『ダダ・シュルレアリスムの時代』を読むとよい。ただしここで扱われているのはダダの言語・文学についての論述が主である。

●特集:横尾忠則 ─反復とスター─

《A LA MAISON DE M.CIVEÇAWA(ガルメラ商会)》(1965年)
《腰巻お仙(劇団状況劇場)》(1966年)

 横尾忠則氏の作品はグラフィックデザイン展でも観られたのに、コレクション展においては30点近く展示されていた。やばすぎる。
 同氏の作品をまじまじと観るのはこの日が初めてだったのだが、デザインに疎い私でもさすがに知っているポスターもあり感動した。洗練されていてかっこいい。

●「ポストモダンの地平」を振り返る

梅田正徳《月苑》(1988年、製作:1991年)
梅田正徳《KAZAGURUMA(風車)》(1964年)
梅田正徳《MUTSUGORO(睦五郎)》(1964年)

ポストモダニズムという言葉は、建築やデザインの領域において、一般に1980年代に流行した装飾や色彩が過剰なスタイルを指します。ただし、嚆矢とされるチャールズ・ジェンクスが「ポスト・ モダニズムの建築言語」 (1977年)において、モダニズムの機能主義を批判して象徴性や装飾性を重視したように、画一的な「モ ダン」に対する疑問は、各作家にとって切実な問題意識だったと いえるでしょう。

展覧会キャプションより引用

 この「ポストモダニズム」的なプロダクト──食器や椅子などが展示されていたのだが、そのなかでも梅田正徳氏の作品に強く惹かれた。
 《月苑》は椅子の美術館こと埼玉県立近代美術館で観たことがあった。とてもかわいらしいデザインチェアだ。
 そしてなにより、《KAZAGURUMA》と《MUTSUGORO》がかわいすぎる! うちにほしい。

●ガラス ─透明な流動体

ドミニック・ラビノ《三段階の形成》(1980年)
ジョエル・リナール《螺鈿細工のガラス雲》(1979年)

 美しいガラス工芸のコーナーも! ゆっくり眺めたかったなぁ……。

─コレクション展終わり─

 コレクション展に至っては駆け足の観覧だった。ほとんど観られず紹介できなかったセクションがあるほか、取り上げたコーナーもほんの一部の作品しか掲載できていない。

***

 ミュージアムショップに立ち寄ってから外に出ると、もうそろそろ閉館の20時というところだった。外もすっかり暗い。
 めちゃくちゃ疲れている。京セラ美術館のキュビスム展、京都国立近代美術館の倉俣史朗展とグラフィックデザイン展、コレクション展。1日に4つの展覧会を回りつつ古本屋にも寄るという行程に無理があったのかもしれない……。

暗い!
平安神宮の大鳥居と京セラ美術館

 翌日にはキュビスムの国際シンポジウムが控えている。それが今回の京都旅行の本命なのだからしっかり休まなくては。またコンビニに寄って晩ご飯と翌日の朝ご飯を買い、夜道を歩いてホテルへと戻る。

ホテルへ

 ホテルに戻ったあとにはまず食事を摂り、そのあと大浴場に入った。部屋に備え付けのユニットバスもあるのだが、やはり大きな浴槽でゆっくり過ごしたい。運良く(?)私が入浴している間は誰も来なかったため、たったひとりで静かに過ごすことができた。

晩ご飯

 シンポジウムに向けた予習のため、家からたくさん本を持ってきていたのだが疲れている。結局この日はほとんど目を通さず、翌日早起きして少し読むことにした。しっかり眠れるよう軽い睡眠薬を飲み、横になる。次の日が楽しみだ。

目覚め、そしてチェックアウト

 6月22日。たしか6時過ぎに目を覚ましたと思う。シンポジウムの会場に入れるようになる10時まではまだ時間がある。

質素な朝ご飯

 まずご飯を食べ、そのあとにはある程度の身支度を済ませる。ホテルをチェックアウトする時間を決め、それまでは書籍をパラパラと眺めていた。

***

 そろそろここを発つ時間だ。一晩お世話になったホテルに別れを告げ、重い荷物を持って、会場の京セラ美術館へと向かう。

国際シンポジウム「キュビスム、美の革命─その生成と拡張」

2024年6月22日

2日連続

 京セラ美術館に到着。またキャリーケースをクロークへと預ける。

会場入り口

 入口前の受付にて名簿確認をされたあと、同時通訳機(インカム)を渡された。本当に「国際」シンポジウムなんだとここで実感した。
 会場内はもちろん撮影不可。取ったメモからシンポジウムの内容を少し振り返りたい。
 ただし登壇された先生方の発言を齟齬なく本記事でお伝えするのは、私の能力では相当に無理があるため、ここでは講演タイトルと大筋の内容を記すにとどめる。私の書き取り能力のなさが浮き彫りとなっているから、あまり参考としないでいただければ幸いだ。
 
この日に持っていたノートブックの中身は、誰にも見せることなく後生大事に保管することになるだろう。

取ったメモの量は、B5プリントを貼り付けられる
大きいCampusノートを半分使うくらい
手前の小さいノートはぺぺ・カーメル氏へ質問したい内容を書いたもの

 なおぺぺ・カーメル氏の講演のあとには質疑応答の時間が設けられ、そこで質問をする機会をたまわるというとても貴重な体験をした。そこだけは可能な限り詳細に書く。

─シンポジウム開会─

青木淳京セラ美術館館長 主催者挨拶

 「多面的なキュビスム展、多面的なシンポジウム」というお話をされていた。

ブリジット・レアル「キュビスムの道のり」

 あらかじめ録画された20分ほどの映像による基調講演。同時通訳がないかわりに日本語字幕あり。

 キュビスムの道のりをおおまかにたどる。キュビスム展の図録に同氏が寄せた、「芸術の大革命」(p.10-15)に内容が重なるところも多い。
 いわゆるサロン・キュビスト(?)を「ネオ・キュビスト」と表現していた点が気になった。

ぺぺ・カーメル「複数のキュビスム:カーンヴァイラー画廊からサロンまで」

 カーメル氏は急病につき来日できなかったため、シンポジウムにはオンラインでの参加。質疑応答の時間も含め、2時間近い大ボリュームの講義。ここでインカムを使う。本来の予定時間より20分ほど伸び、そのぶん昼休憩の時間が短くなった。

 前半では本質的キュビスムとも言われる、カーンヴァイラーに作品を買われた4名(ピカソ、ブラック、グリス、レジェ)と、レジェの展開に貢献したロベール・ドローネーについておもに触れる。後半はサロンのキュビスムやオルフィスムについて。

 講義の最後のほうで、マリア・ブランシャールとジョルジョ・デ・キリコが知り合っていた可能性について言及されていたのは興味深かった。本展に出品されていた、ブランシャール《輪を持つ子供》(1917年)とよく似たモチーフの人物が、デ・キリコの《通りの神秘と憂鬱》(1914年)にも登場するのだ。

マリア・ブランシャール《輪を持つ子供》(1917年)


★質疑応答
※メモからだいたいこんな感じだったなと話を再構築しているため、発言内容は正確ではないかもしれない点は注意されたい。
 
カーメル氏はとても親切丁寧な方で、ひとつひとつの質問に時間をかけて回答されていたため、本当の発言はもっともっと長かった。


Q.キュビスムにセピア色が使われる意味と効果は?

A.彼らはかたちに囚われ色を使わなかったと言われてきたこともあった。ピカソについてはレンブラントの暗い色合いを考えていたのではないか?(可能性の話)
 ピカソの版画についてはレンブラントの影響が見られ、言及もされている。レンブラントは重要な人物かもしれない。
(セピア色の効果についてはあまりメモが残っていなく、ほとんど言及されていなかったか私が記し損ねたか)


Q.《アヴィニョンの娘たち》はキュビスムの出発点ではないのか? ※カーメル氏は1908年にピカソによって描かれた《3人の女たち》をキュビスムの出発点と主張していた。

A.《3人の女たち》はすぐにスタイン(スタイン兄妹の妹、ガートルード?)が購入し、5年間彼らのアパートに飾られた。人々はスタインのもとでこの画を観たため、明確にひとの目に触れていた。
 一方《アヴィニョンの娘たち》は注目を浴びず、なかなか売れなかった(《アヴィニョンの娘たち》は戦後に評価されるようになった、という話もされていた気がする)。前者は過小に、後者は過大に評価されている。


(トウソクジンによる質問)
Q.キュビスム作品を観るにあたっての心得について伺いたい。キュビストたちの描いた面は──特にブラックとピカソの作品では閉じられたものから開かれたものになっていく(太字はカーメル氏の発言を引用している)。
 また重ねられた面からはこちらに向かってくるようなパースペクティヴを感じることから、彼ら(ブラックとピカソ)の秘教的な姿勢とは裏腹に、作品からは親密さを感じる。キュビスムの読み取りは難しいが、こちらが心を開けば彼らの絵画も語りかけてくれるだろうか? 

A.可能である。どういう見方、耳の澄まし方をするかによるだろう。
 ずっとこれは何かと考えていたものが、ただの箱(タバコの箱と発言されていたかも?)だったことがある。分かったときはそれはそれでうれしかったが、ものを探すというのはキュビスムを観るにあたっては良くないことかもしれない。
 鑑賞者は光や影、線のリズムを観る。モーツァルトの音楽のように、キュビスムはそれらの複雑な関係性を、ハーモニーを楽しめばよい。絵画の真ん中を見ればわかるものはない。探すことを、答えを得ようとすることを我慢しよう。


 もうひとつ「キュビスムとバレエの関わりについて」という質問があったが、私の質問に回答いただけたことがうれしくてうれしくてあまり聴いていなかった。ピカソがバレエ・リュスの衣装デザイン等をしたことは触れられていた。


休憩

 1時間ほどの昼休憩。がっつり食事すると眠くなってしまうから、ふたつのゼリー飲料だけを胃に入れる。

***

 勇気を出して質問をできてよかったなぁ。国際シンポジウムという場に身を置くことも、カーメル氏という著名な美術史家とお話しする機会を得られたのもすごい体験だ。
 ド素人っぽい質問だったけど、丁寧に回答いただけてうれしかった。しかも省察を促すようなお言葉をたまわった。

絵画の真ん中を見ればわかるものはない。探すことを、答えを得ようとすることを我慢しよう。

本気でカーメル氏を追いかけて美術史家にでもなるなら別だが、いち鑑賞者の心得としてここまでありがたいお言葉はない。

 もちろん分析する視点に立つのは悪いことではないだろう。キュビスムに関する書籍を読むと、ここに描かれているのはこれであるとさまざまなかたちが浮き彫りにされている。解説と図版とを行ったり来たりするのも楽しい。
 しかしいざ美術館で作品と相対したとき、ついつい学者気取りになってこれはこれだろうと分析していたことは否めない。

 これからキュビスムの絵画を絵画として鑑賞しようとするときは、描かれた要素の複雑な関係性から生み出されるハーモニーに耳を傾けていきたいと思う。

***

 さあよろこびを噛み締めたところで、そろそろ午後の部である。早めに会場へと戻り、緊張と興奮で乱れた息を整える。

永井隆則「セザンヌとキュビスムの誕生」

 セザンヌ絵画に見られる醜悪さ「醜の美」について、セザンヌの言葉(自然を円筒、球、円錐として……)の真の意味について、等。

 セザンヌが行った非連続性の点的並置はコラージュなどに受け継がれていったのではないか、といった論述が最後にあった。

松井裕美「キュビスムの劇場と現象学的ユートピア」

 現象学的ユートピアについての説明、ピカソと感覚のユートピアについて、ロベール・ドローネーとキュビスムの劇場について。

 虚構の舞台を見せる窓のような役割を持った、キュビスム絵画が生み出す現象学的ユートピアについて論ぜられた。

 「手に触れられるような舞台設定」についての論述があり、そこでバルカン戦争やキュビスム絵画の果物・飲み物に言及される。それは以下の記事に内容が重なる点があったように思える。こちらもおもしろいため読んでみていただきたい。

 またピカソのユートピアについては《ゲルニカ》への言及があった。これは以下の記事を参考にするとよい。

河本真理「キュビスムのコラージュとコンストラクション:戦争のコンテクストにおける新たな考察」

 ピカソとバルカン戦争、第二次世界大戦時のキュビスム、コラージュとコンストラクションの拡張、日本のキュビスム。

 ピカソがコラージュをはじめたのはバルカン戦争が始まったころ。コラージュは見るものだけでなく読むものでもあるという話が興味深かった(バルカン戦争や読むコラージュの話題は、前項で掲載した松井氏の「掌の美術論 第15回」にも書かれている)。

休憩

10分ほどの小休憩。

久保田有寿「キュビスムと女性芸術家たち」

 キュビスム展に出品している女性芸術家たちを通して、美術界にジェンダーの視点を導入する。

 キュビスム展の図録に同氏が寄せた、「キュビスムと女性芸術家──6人の出展作家を中心に」(p.223-228)に内容が重なるところも多い。

中山摩衣子「キュビスムと日本」

 アンドレ・ロートと黒田重太郎、毛利眞美を通して、日本におけるキュビスムの需要や国内におけるロートの評価について触れられた。

 キュビスム展の図録に同氏が寄せた、「1950年代、アンドレ・ロートと日本──キュビスムをめぐる試論」(p.229-233)に内容が重なるところも多い。

休憩

10分ほどの小休憩。

質疑応答・全体討議

 司会は松井裕美氏。本来は国立西洋美術館館長の田中正之氏の予定だったが、体調不良とのことで急遽変更があったようだ。

 またぺぺ・カーメル氏とブリジット・レアル氏もオンラインにて討議に参加した。しかしレアル氏はカメラの画角がおかしく本人が映らず発言もされなかった。
 途中松井氏がレアル氏に呼びかけたところ、話すためのマイクがなかったとのこと。そして「楽しく聴いている」といった旨のチャットが届くという、場が和むちょっとしたハプニングがあった。

 はじめはカーメル氏が他の発表者たちへ、後半で参加者から発表者たちへの質問をする場となった。

 ……全体討議の内容は発表した先生方の論述に直接依拠するものであるため、それらと同じく私のメモからまとめるのは難しそうだ。大変申し訳ないが、ここでのやりとりは私の胸とノートのうちに秘めさせていただこうと思う。

大髙保二郎 閉会挨拶

 キュビスムはルネサンスに匹敵する第2の革命なのではないか、とおっしゃっていた。

─シンポジウム閉会─

シンポジウムを終えて、京都を発つまで

美術館を出る

 朝はそこそこ日が見えていたのだが、シンポジウムを終えて外に出ると小雨が降っていた。

さらば!

 この立派な建造物ともいったんはお別れだ。また何か良さそうな展覧会があったら再訪したい。

雨のなかをさまよい、晩ご飯にありつく

 晩ご飯は弟におすすめされていた店に向かおうとしたのだが、疲労からか乗る電車を間違え大幅なタイムロスをし、結局そこでは食事にありつけなかった(後日になってから、向かった場所も間違っていたことがわかった)。
 雨のなかキャリーケースを引きずり、おとなしく夜行バスが出る京都駅へ行くことに。

***

 京都駅に着いたが、夜行バスの乗降口があるのとは反対側の出入口に来てしまった。思いがけず夜の京都タワーと邂逅する。

ブレブレだ……

 反対側の出入口に行き、マクドナルドでハンバーガーを食べる。結局京都らしいものを一度も口にしなかったが、マックはどこの土地で食べてもおいしい。
 正直ご当地のものは食べられたら御の字くらいな心構えであるため、出先の食事にはあまりこだわりがない。

しかしまともな食事をしていなかったから腹は減る

バスを待つ、京都との惜別

 コンビニでおみやげを買い、トイレに行き、バスが来るのを待つ。読書をしていたらだんだん雨が弱まってきた。

***

 読んでいた本は角川文庫の『寺山修司少女詩集』。Xのフォロワーさんにおすすめされていたものだった。19日の夜に池袋で京都行きのバスを待っていたとき、ブックオフに立ち寄って購入していた。

『一ばんみじかい抒情詩』

なみだは
にんげんのつくることのできる
一ばん小さな
海です



つきよのうみに
いちまいの
てがみをながして
やりました

つきよのひかりに
てらされて
てがみはあおく
なるでしょう

ひとがさかなと
よぶものは
みんなだれかの
てがみです

『海』より
『寺山修司少女詩集』、寺山修司、角川文庫(1981)
p.6-7

 普段は韻律を伴わない自由詩や散文を編む/読むことが多いけど、この詩に導入されている七五調は抒情に与している気がするなぁ。ずんずんと沁み込んでくる強さみたいなものを感じる。
 私は抒情的な詩を編むのは苦手だから(先に紹介した『死と生と、昼と夜』を読んでいただければわかるだろう)、詩的アナロジーを操る力を磨いていきたい。

***

 東京行きのバスが来た。さみしいが、これでもう京都ともお別れである。充実した2日間だった。この京都旅行を忘れることはないだろう。

結びにかえて─キュビスムと私

私の原点

 2023年12月。ひょんなことから国立西洋美術館のキュビスム展へ行くこととなり、そこでいままでに感じたことのない情動を喚起させられた。
 それから東京展の会期終了の日までを振り返ると、計6回もキュビスム展へと赴いていた(調子に乗って絵まで描いている)。そして京都展にも2回行った。

《スマートフォン》
上掲の記事にて紹介
ブラックやピカソの描き方をリスペクト
画鋲のトロンプルイユ(騙し絵)はかなり頑張った

 思えばキュビスム展は、いまここにいる「芸術好きな私」の原点であった。美術・芸術というものには、これまでもそれなりに興味を持っていたが、深く学ぼうとしたことはなかった。
 私はキュビスムを通して芸術史を知りたくなった。そしてキュビスム展に行ってから、その他の展覧会へも足を運ぶようになった。私はキュビスムによって、「芸術を知らない私」から「芸術好きな私」へと再構築されたのだ。

読書への回帰

 高校生の頃は、よく公共交通機関のなかで読書をしていた。幼少期もある程度文学には触れていて、『エルマーの冒険』や『モモ』が好きだった記憶がある。
 しかし大学生になってからキュビスムに出会う直前までの約7年。みずから本を読むことなどめっきり減ってしまっていた。単に忙しかったからなのか、活字に飽きたのか。今となって理由はわからない。大学に在籍していた4年間、レポートの資料を探すため図書館には入り浸っていたが、これを読書とは呼べないだろう。

 ただキュビスムとの邂逅を果たす直前、私は詩に出会っていた。ここで久しぶりに書籍というものに手を伸ばした気がする。

 そして2023年12月から翌年1月に、キュビスム展の図録を読んだ。読書スピードが遅すぎて一冊読み切るのも大変だったが、とてもおもしろいと感じた。
 それから今日に至るまで、キュビスムに関する書籍を集めては活字を追った。キュビスム以外にも興味が出てきて、他の展覧会の図録も読んだし、芸術関係の専門書も手に取った。なんだか賢くなった気がして、自分なりにキュビスムを紹介したこともあった。ヘッダーの絵まで描いている。

《果物皿と楽譜、本のある静物》
上掲の記事にて紹介

 いまでは芸術に関係なく小説や詩集、理論書や哲学書なども読んでいる。相変わらず読書は遅いくせに、気になる本を安く入手する機会があるたび手許に置いたため、かなり積ん読が増えてきた(早く読んで解消していかなければならない)。
 スカスカだった本棚は、いまやさまざまな書籍で埋め尽くされている。私はいつの間にかすっかり読書好きに戻っていた。これもキュビスムがきっかけであろう。

創造/想像の芽が生える土壌、あるいは巨大な焔

 キュビスムに出会ってから創作意欲が湧いてきたことは言うまでもない。また想像力もより養われたように思う。それはキュビスムという土壌に、創造/想像をする「私」が芽生えたということだ。

***

 アポリネールは「美の省察」にこう記している。

 父親の屍体を場所(ところ)かまわず何処にでも搬び歩くということは許されない。屍体は他の死者たちと一緒に棄て去られるべきものだ。しかしひとは父親を想いかえし、懐かしみ、賛嘆の言葉をもって父親について語るのである。だから立場が替って、もし私たちが父親となった場合には、自分が死ぬまでに過ごした人生とそっくり同じ生活を子供たちの誰かがもういちど繰返してほしいなどと決して期待してはならぬのだ。
 とはいっても私たちの足は、死者を包容するこの地面(つち)からいかに離れようとしてもできるものではない。

註:ここでいう「父親」とは「前代の画家」(p.13)を指すのだろう。

「美の省察」『キュビスムの画家たち』
ギィヨーム・アポリネール、斎藤正二訳
緑地社(1957)、p.14より引用

 運動としてのキュビスムを率いた芸術家たちは、もう「父親」と呼ぶべき存在なのかもしれない。しかし彼らの屍体が埋められた土壌には、これまでに幾多もの萌芽が起こったことだろう。
 それは「父親」の人生の繰り返しではなく、新たな芸術の予兆だ。私たちと「父親」とは地面を通じて繋がっている。

***

 私たちはこれからも「父親」について語り、そして「父親」の眠る地面を踏みしめていく。もしかしたら標すらない道を進まなければならないときが来るかもしれない。
 けれど心配はいらない。彼らと彼らの芸術は、私たちが忘れない限り永遠に灯り続ける炎、「巨大な熱情の焔(フラム)」*  として私たちを導いてくれるだろう。

 私のなかでずっと「アポロの徒輩ギヨーム」** たるギヨーム・アポリネールに、そして数多の「父親」たちに敬意を表して──そろそろスマホが熱くなってきたため、このあたりで筆を置くこととしよう。

今回の京都旅行で購入した本とポストカード
ここには思い出が凝縮されている

註釈
*〈ピカソ〉「新しい画家たち」、前掲書p.53
**「アポリネール──人と作品──」『アポリネール詩集』堀口大學訳、新潮文庫、1954年(第十五刷改版)、p.196


余談:ジャン・メッツァンジェ《自転車乗り》

 出品取り止めになっていた《自転車乗り》について、7月12日にこのような報道がなされた。

 ……マジで? けっこう気に入っている作品だったんだけどな。

先月、近代美術館の関係者がインターネット上で見つけた記事のなかに、ドイツ人のヴォルフガング・ベルトラッキ氏が作った偽物の作品として「自転車乗り」と同じ絵画が掲載されていたことから偽物の疑いがあることがわかりました。

美術館によりますと、ベルトラッキ氏は、現存する作品そのものを模写するのではなく、作家の描き方を真似してオリジナルのものを描いていて、世界中に偽物の作品が出回っている可能性があるということです。

前掲記事より引用

 正直なところ、ショックより「贋作作家ってすげー」という思いのほうが強い。もちろんいけないことなのだけど、ずっと人びとを欺き続けられるくらいメッツァンジェっぽい画を描いたのだから。

 徳島県立近代美術館の関係者どころか徳島県民ですらない者のわがままに過ぎないが、もしこれが偽物と認定されても、封印や破棄などはしないでまた展示してほしいと切に願う。作品は偽物であったとしても、それを観たときの感動は偽物ではないはずなのだ。

 青年時代にファン・ゴッホの絵画を観て感動したが、のちにそれは贋作だと判明したというエピソードを持つ、圀府寺司(こうでら つかさ)先生のお言葉にはとても考えさせられる。上掲の記事をぜひ読んでみていただきたい。


 これにて本記事は終わりです。キュビスム展の尺をずいぶん削ったというのに、結局長いエッセイとなってしまいました。
 ここまでお付き合いいただき誠にありがとうございました。


参考文献(刊行年順)

●『アポリネール詩集』、堀口大學訳、新潮文庫、1954年(第十五刷改版)
●『キュビスムの画家たち』、ギィヨーム・アポリネール著、斎藤正二訳、緑地社、1957年
●『ダダ・シュルレアリスムの時代』塚原史著、ちくま学芸文庫、2003年
●『ムッシュー・アンチピリンの宣言 ダダ宣言集』、トリスタン・ツァラ著、塚原史訳、光文社古典新訳文庫、2010年
●『日本におけるキュビスム─ピカソ・インパクト』、美術出版社編、読売新聞社/美術館連絡協議会発行、岩波書店、2016年
●『キュビスム展─美の革命』、日本経済新聞社編集・発行、2023年
●『印刷/版画/グラフィックデザインの断層 1957-1979』、企画・執筆・編集:中尾優衣・牧口千夏、国立工芸館・京都国立近代美術館発行、2023年
●『倉俣史朗のデザイン──記憶のなかの小宇宙』、執筆・編集:稲塚展子・加藤絢・野田尚稔、宮川智美、朝日新聞社発行、2023年
●『アブソリュート・チェアーズ 現代美術のなかの椅子なるもの』、埼玉県立近代美術館・愛知県美術館編、平凡社、2024年

関連リンク


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