記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

「TRIO」展 美術館遍路記①

 金曜日。それは博物館・美術館が20:00まで開館している(こともある)日──。某金曜日、私は東京国立近代美術館の「TRIO パリ・東京・大阪 モダンアート・コレクション」と「MOMATコレクション」展、東京都美術館の「デ・キリコ展」、国立西洋美術館の「真理はよみがえるだろうか? ゴヤ〈戦争の惨禍〉全場面」を1日で回ってきた。疲れた。
 
本記事は東京国立近代美術館に絞っている。東京都美術館、国立西洋美術館の話は、後日それぞれ別記事にてしようと思う。


TRIO パリ・東京・大阪 モダンアート・コレクション

 モダンアートを収集する東京国立近代美術館(MOMAT, The National Museum of Modern Art, Tokyo)、パリ市立近代美術館(MAM, Musée d'Art Moderne de Paris)、大阪中之島美術館(NAKKA, Nakanoshima Museum of Art, Osaka)の3館が、テーマごとにそれぞれ1点ずつ出し合ってトリオを組ませる、という聞いたこともないコンセプトの展覧会。※前期後期の展示入れ替えあり。
 音声案内は有村架純さん。会場レンタル版650円、音声案内アプリ「聴く美術」配信版は700円。複数回行く予定のある方は、配信期間中は家でも聴けるアプリ配信版の購入をお勧めしたい。
 前情報だけ見ても、国内外の著名な芸術家110名の作が一堂に会するという、なんとも豪華な企画だ。公式サイトにも図版で見たことある作品がちらほら……。楽しみすぎる。
 34テーマもあり見所たっぷりなのだが、ここでは10組のトリオに絞って紹介しようと思う。

 ●東京国立近代美術館に……

来た!
来た!

──TRIO展入場──

プロローグ

●1 コレクションのはじまり
 各館のコレクションの始まりにまつわる作品たちだそう。三者三様だが、それぞれのワールド全開だ。観れば誰の画かわかる、そんな3名の作品である。

椅子に座っている画だ

 佐伯はパリへと渡った際、モーリス・ド・ブラマンクからアカデミックな作風を批判され、新たな画風を模索し始めたそう。
 彼の作品には必ずと言っていいほど「文字」が現れる気がする。それが異国情緒とその街の風俗とを私たちに伝えてくれるのだ。佐伯の作品は本作も含め3点出品されている。

NAKKA
佐伯祐三《郵便配達夫》(1928)

 抽象芸術の先駆者のひとり、ロベール・ドローネー。1912年には非常に抽象的な〈窓〉の連作に取りかかっている。本作は1915年の作にしては具象的であるという印象だ。しかし彼による巧みな色彩のリズムは失われていない。
 また彼の妻、ソニア・ドローネーの作品をⅥ章「26 色彩とリズム」で観ることができる。こちらも要注目だ。彼らの作品については以下の記事も参照いただきたい。ドローネー夫妻はキュビスム展のなかでも、特に感銘を受けた芸術家である。

MAM
ロベール・ドローネー《鏡の前の裸婦(読書する女性)》(1915)

 安井曽太郎が描き出した女性は、深く椅子に腰かけながらも存在感を放っている。
 明瞭な輪郭、メリハリの効いた色面の構成、黒の効果的な利用。彼のスタイルは「安井様式」と呼ばれるらしい。

MOMAT
安井曽太郎《金蓉》(1934)


Ⅰ 3つの都市:パリ、東京、大阪

 パリ、東京、大阪の3都市を、ひとつのテーマにしたがって集めたトリオだ。

●2 川のある都市風景

 3つの都市の川にまつわる作品。

川のある風景

 フォーヴィスムのイメージしかなかったマルケの静謐な画にびっくり。セーヌ川とノートルダム大聖堂が、優しく淡い色彩で描かれている。

MAM
アルベール・マルケ《雪のノートルダム大聖堂、パリ》(1912)

 小出楢重の画では、堂島川を蒸気船が進む。奥にも工場だろうか、煙突から黒煙があがっている。全体的に暗い色調だ。川の水面には近代化の影が落ちているのかもしれない。

NAKKA
小出楢重《街景》(1925)

 小泉癸巳男の木版画。こちらは関東大震災から復興した後の様子を描いたものらしい。江戸の町は幾度となく大火に見舞われながら、それを乗り越えてきたという。
 近代的な橋やダムからは、惨禍を克服しようとする人間の強さを垣間見ることができ、かつての江戸の姿に重なる。

MOMAT
小泉癸巳男 上中下の順で、
《「昭和大東京百図絵」より 15.関口・大滝》(1931)、
《同 30.聖橋》(1932)、
《同 77.春雨降る平川門》
※前期展示品:5/21~7/7


Ⅱ 近代化する都市

 都市の近代化にあわせて芸術の主題も変わっていく。変化を敏感に察知した、先進的な芸術家たちの作品。

●8 近代都市のアレゴリー
 アレゴリーとは比喩、寓意のこと。近代の都市風景をそのまま描いたわけではないものばかり。

すごいのが見えるぞ!
もう1点右にあったのだけど写りきらなかった

 古賀春江! この画は図版で何度も見たことがあった。ついに対面が叶ってうれしい。本展の図録で初めて知ったのだけど、古賀はキュビスムやシュルレアリスムの影響を認められる作品を世に出しているのに、戦前のパリへ行ったことはなかったらしい。(p.25参照) なんて先進的なんだ。
 日本におけるシュルレアリスムは、1929年の第16回二科展において古賀春江、東郷青児、阿部金剛らの作品群において出現したといわれる。《海》はそのうちの1点である。古賀による同年の作品は「シュルレアリスムと日本」展にて出品されていた。

MOMAT
古賀春江《海》(1929)

 池田遙邨は戦禍によって失われた建造物と、それを免れた大阪城の天守閣などを重ね合わせた。その黒々とした色調が暗示するのは戦争の惨たらしさだろうか、あるいは見通せない未来だろうか。

NAKKA
池田遙邨《戦後の大阪》(1951)
※前期展示品:5/21~7/7

 ラウル・デュフィの作品は10点組のリトグラフ。1937年のパリ万博に際して制作した、巨大壁画の縮小版らしい。右から左にかけて、科学技術の発展の様子ととそれに貢献した人物たちが描かれている。左端には電気の精が飛んでいる。繊細ながら迫力のある作品だ。

MAM
ラウル・デュフィ《電気の精》(1953) 一部


Ⅲ 夢と無意識

 シュルレアリスム(超現実主義)をはじめ、夢や無意識、幻想、非現実などを取り入れた作品。理性の及ばない世界に心を掴まれる。

●11 夢と幻影
 なんとも不可思議な、どこかにありそうな世界の画だ。

人は理解できない物事に魅せられるのかもしれない

 マルク・シャガールの画では、天地のひっくり返った世界のなかに、女性を背中に乗せた謎の生物がいる。幻想的な色彩に引き込まれそうだ。

MAM
マルク・シャガール《夢》(1927)

 ジェット機もない時代に雲のうえの世界を描いた三岸好太郎。そこには無数の蝶が羽ばたいている。
 31歳でこの世を去った彼が生前最後に独立展へと出品したのは、蝶と貝殻をモチーフにした作品群だったそう。三岸による貝殻の描かれた作品は、先に紹介した「シュルレアリスムと日本」展に出品されていた。

MOMAT
三岸好太郎《雲の上を飛ぶ蝶》(1934)

 地面から立ちのぼる、暗く量塊のある雲。地平線の奥に薄くかかる虹。タイトルから「幽霊」であることが示唆される女性。サルバドール・ダリが描きだしたのは、現実の延長線上に存在し得そうな超現実の風景だ。

NAKKA
サルバドール・ダリ《幽霊と幻影》(1934頃)


Ⅳ 生まれ変わる人物表現

 旧来の宗教画、風俗画に描かれた人体の理想美。その美の固定観念ともいうべきものへ挑んだ芸術家たち。彼らが描き出した彼らの人物像を観ることができる。

●15 モデルたちのパワー
 アンリ・マティス、萬鉄五郎、アメデオ・モディリアーニによる人物画。メインビジュアルのひとつにもなっているが、よくこの並びが実現したな!? このトリオのタイトルは「モデルたちのパワー」、しかしそれを引き出した彼らのパワーにも目を向けなければなるまい。

TRIO展だからこそ実現したトリオだ!

 マティスの作品はニースに行き着いて間もない、1920年代の中心的な主題であるオダリスクの連作の1点だ。彼は東洋風の調度品をアトリエに置き、それらを入念に配置しモデルとともに描いた。堂々としたモデルの着ている衣装、そしてそれらの周囲にある物品たちは無論マティスのコレクションだろう。
 マティスは国立新美術館の「マティス 自由なフォルム」で一気に好きになった芸術家だ。また観られてよかった。

MAM
アンリ・マティス《椅子にもたれるオダリスク》(1928)

 萬鉄五郎の《裸体美人》は重要文化財に指定されている作品で、以前何かの図版で見たことがあった。こうして観ることができとても感慨深い。
 彼は日本にいながら西洋圏の潮流を敏感に察知していた人物のようだ。本作は日本におけるフォーヴィスムの受容を認めることができる、最初期の作例のひとつであるらしい。Ⅴ章「21 分解された体」では、萬によるキュビスム作品も観られる。

MOMAT
萬鉄五郎《裸体美人》(1912)
※作品保護の観点から7/23~8/8の期間は別の作品が展示されるため注意。公式サイトを参照のこと

 モディリアーニの裸婦像のなかでもよく目にする作品のひとつ(である気がする)こちらは、大阪中之島美術館が所蔵してたんだなぁ。
 彼が獲得した卵形と形容される頭部の造形は、交流のあった彫刻家、コンスタンティン・ブランクーシからの影響があったという。ブランクーシの彫刻《眠れるミューズ》は、Ⅲ章「14 まどろむ頭部」で観ることができるため、ぜひ見比べてみてほしい。

アメデオ・モディリアーニ《髪をほどいた横たわる裸婦》(1917)

●19 美の女神たち
 ジャン・メッツァンジェ、藤田嗣治、マリー・ローランサン。この並びもすごい。

ローランサンの画は突きあたって右の壁に

 キュビスムの画家、メッツァンジェ。まずはその大きさに圧倒された。幾何学的に分解されたヴォリューム、そして色彩が画家の手腕によって巧みに制御されている。
 キュビスムの芸術は一見すると難解である。しかしこの幾何学の画面から、描かれたモチーフの数々を探し出すのはとても楽しい。黄色い扇はよく目立っている。

MAM
ジャン・メッツァンジェ《青い鳥》(1912-13)

 藤田が初めて群像に挑んだという大作。最初に彼の画を観たのは、アーティゾン美術館の「マリー・ローランサン─時代をうつす眼」展でのことだった。こちらを見透かしてくるような黒い瞳と、人間離れした乳白色の肌、和洋を折衷した独特の画風に不気味さを覚えたものだ。
 しかし何度か藤田の画に触れるうちに、それらの要素がすべて「いいもの」と感じるようになった。やはり実物の作品を何度も観ないと得られない、芸術の妙とでもいうものがあるのだろうか。

MOMAT
藤田嗣治(レオナール・フジタ)《五人の裸婦》(1923)

 この画は先に挙げたマリーローランサン展にも展示されていた。4人の女性と3匹の犬が描かれている。(探してみよう) 藤田とはまた違うパステルの白に、同じくパステルカラーの色彩が柔らかく響き合っている。とても優雅だ。
 メッツァンジェ、藤田、ローランサンの作品は以下の記事でも紹介している。 

NAKKA
マリー・ローランサン《プリンセス達》(1928)


Ⅴ 人間の新しいかたち

 芸術家たちの探求は人体の造形にまで及ぶ。キュビスムの技法を用いたり、機械化・工業化する時代と結びつけたり。戦争体験も芸術家の造形思考に影響をもたらしたという。

●21 分解された体
 キュビスムはパブロ・ピカソとジョルジュ・ブラックにより、20世紀初頭に始まった造形的実験だ。その技法や理念は彼らのみにとどまらず、パリのサロンへと影響を与え、そして世界的な広がりを見せることになる。

すごい迫力だ……!

 国立西洋美術館の「キュビスム展─美の革命」でも観ることができた、彫刻家デュシャン=ヴィヨンの《大きな馬》。また会えるとは。幾何学的な造形に関わらず、どこか有機的なフォルムをしている。西美のキュビスム展についてはこちら。↓

 デュシャン=ヴィヨンは《馬》(1914)という彫刻を拡大鋳造しようと考えていたが、大戦時に前戦で病を患い1918年に早世している。こちらは弟のマルセル・デュシャンによる監修のもと、1966年に制作されたものだ。

NAKKA
レイモン・デュシャン=ヴィヨン《大きな馬》(1914)

 キュビスムの絵画を観たときに、インパクトを受けるのはやはりピカソとブラックの作品だ。小さな油彩画ながら迫力はしっかりと存在する。
 タイトルを知ったうえで観察しても、どこがどうなっているのかの判別は非常に難しい。そんななか「GR」「KOU」と何を表しているのかわからない、言葉の断片が漂っている。
 キュビスム芸術を観るときの楽しみ方は、芸術家が寄越した挑戦状を受け取り全力で分析をしてみること、わからなかったらおとなしく眺めることだと思う。ただ目をやるだけでも、巧みに操られた形態と色彩の美に気づけるはず。

MAM
パブロ・ピカソ《男性の頭部》(1912)

 《裸体美人》の萬鉄五郎によるキュビスム作品だ。幾何学的に単純化された形態、抑えられた色彩からは、彼なりのキュビスムに対する回答が示されている。
 本作は「アジアのキュビスム 境界なき対話」(2005)や「日本におけるキュビスム─ピカソ・インパクト」(2016-17) でも出品されており、ずっと鑑賞してみたかったものだった。美術に興味を持つ前の展覧会にはもう行けないが、こうやって図録に載っている名作にお目にかかれるのはありがたいことだ。

MOMAT
萬鉄五郎《もたれて立つ人》(1917)


Ⅵ 響きあう色とフォルム

 色彩と造形を突きつめると、どこか抽象的なものになりがちだ。しかしそれが具象であるか抽象であるかは、作者本人にしかわからない。色とフォルムとが奏でるハーモニーをただ感じてみよう。もしかしたらそこには生命が宿っているかもしれない。

●28 色彩の生命
 いわゆる抽象画だが、あまりにも雄弁な作品たちだ。

これもすごい迫力だな……

 そのスタイルは「カラーフィールド・ペインティング」と呼ばれる、アメリカの抽象表現主義の代表的な画家、マーク・ロスコ。
 相対するとかなり大きい。単純な色面の構成に見えるが、筆遣いの差異による塗りムラがありついつい眺めてしまう。優しく友好的だが、むこうからはなしかけてくるというよりはただ佇んで待っているという印象。

NAKKA
マーク・ロスコ《ボトルグリーンと深い赤》(1958)

 セルジュ・ポリアコフによって描かれたそのその造形は、唇にも見えるし心臓にも見える。あるいは瞳かもしれない。
 この有機的なフォルムはいまにも動き出しそうで、抽象画だからといってそこに何もないわけではないんだぞと語りかけてくるようだ。言葉か心音か、視線でなのかはわからないが……。

MAM
セルジュ・ポリアコフ《抽象のコンポジション》(1968)

 辰野登恵子の作品は、他のふたりと比べると荒々しい筆致で描かれている。また陰影のような黒も効果的に配置されており、コの字型のモチーフは生き生きと浮かび上がって見える。
 背景はなんだか海のようであると感じた。ふたつのコの字は魚類かな。

MOMAT
辰野登恵子《UNTITLED 95-9》(1995)


●29 軽やかな彫刻
 アレクサンダー・カルダーのモビールをはじめ、彫刻なのに重力から解き放たれたような作品たち。この記事ではあまり紹介できていないが、本展ではちらほら立体作品もあるため注目してほしい。

「軽やかな彫刻」だ!

 「モビール」というものは知っていたが、それはこの彫刻の作者、アレクサンダー・カルダーが発明したものだそうだ。
 モビールは白い台座に幾何学的な影を落としている。残念ながら風に揺らめく様子は見られない。どんな動きをするのだろうか、いつか観察できる機会があるといいな。

MAM
アレクサンダー・カルダー《テーブルの下》(1952)

 北代省三のこちらもモビールタイプの彫刻作品だ。かなり大きく、天井から吊り下げられている。うちわ持ってきて風を送りたい。

MOMAT
北代省三《モビール・オブジェ(回転する面による構成)》(1953)

 モビールのように動きはしないが、音楽のような軽やかさを感じるファウスト・メロッティの作品。タイトルにある「対位法」とは、作曲技法のひとつのことらしい。まったく異なるかたちのオブジェたちが、正方形の仕切りのなかで調和をみせている。

NAKKA
ファウスト・メロッティ《対位法 no.3》(1970)


Ⅶ 越境するアート

 本展もとうとう最終章。アートはジャンルや素材、表現手段を超え、さらには現代芸術(コンテンポラリー・アート)と近代芸術(モダン・アート)という曖昧な境界をも超越する。
 ここでは紹介しきれないが、東日本大震災やCOVID-19流行以後の作品もあり、3館の「いま」を見つめることになる。

●31 日常生活とアート
 日用品をアートに引き入れることで、生活と芸術との境界を揺さぶってくる。

後ろにも何か見えるけど……ぜひ足を運んで確かめて

  冨井大裕の《roll》は、折り紙を丸めてホチキスで留めただけ。「指示書」がありそれに従えば作り直せるそう。しかしその見た目ほど簡単にできるものでもなさそうだ。
 写真でも確認できるとおり、台座から垂れるように置いてあるだけですでに歪みが発生している。展示期間中に指示書が取り出されることはあるのか、少し気になるところである。

MOMAT
冨井大裕《roll (27 paper foldings) #15》(2009)

 はみ出しそうなほど膨張した水色のガラスを、鳥籠がなんとか押さえ込んでいる。ガラスとその密閉された空間は、外に出ようと「窓」を押し広げている。果たしてこの鳥籠は何を捕らえているのだろうか? たとえばガラスは人類の発展を、鳥籠は超えられない理を表現しているとしたら?
 ちなみに展覧会図録では、「まるで内部に空を囲い込み、檻の外=自由という常識を逆転させているかのよう」だと考察されている。なるほどね~。

MAM
ジャン=リュック・ムレーヌ《For birds》(2012)

 倉俣史朗のデザイン椅子は、「椅子の美術館」こと埼玉県立近代美術館のコレクション展で観たところだった。美しいデザインの日用品はもはやアートである。

NAKKA
倉俣史朗《Miss Blanche(ミス・ブランチ)》
(デザイン1988/製作1989)
@埼玉県立近代美術館「MOMASコレクション」
3/2~6/2

──TRIO展おわり──

MOMATコレクション

 東京国立近代美術館の所蔵品展。こちらも相当充実した展示だったのだが、時間の都合上かなり駆け足だった。セクション関係なく気になったものを厳選し、勝手にテーマをつけて列挙していこう。

──MOMATコレクション入場──

シュルレアリスム

●北脇昇!
 紹介できていなかったが、TRIO展にも北脇の作品は展示されていた。「シュルレアリスムと日本」展で知った画家。巨大な珊瑚、あり得ないであろう高度を飛翔する種子。おもしろい画だ。

北脇昇《空の訣別》(1937)

●福沢一郎!
 1931年第1回独立展に、福沢がフランスから出品した作品群(1930年製作のもの)のうちのひとつと思われる。古賀のように書籍や印刷物から引用したモチーフを、コラージュ風の手法をもって脈絡なく描き組み合わせている。
 マックス・エルンスト『百頭女』(巌谷國士訳、河出文庫) に掲載されているコラージュをぜひ見てほしい。本場フランスの第一人者の手によるものであるため、福沢らと似通った雰囲気を感じられるだろうと思う。

福沢一郎《Poisson d'Avril (四月馬鹿)》(1930)


キュビスム

●岡本唐貴?
 申し訳ないことに記憶になかった方だったのだが、「日本におけるキュビスム─ピカソ・インパクト」(2016-17)に名を連ねていた。この作品はキュビスム的であるが、どう見てもジョルジョ・デ・キリコリスペクトだよな!?
 そういえばTRIO展ではデ・キリコの絵画も観られる。ちょうどこの岡本の画のように、顔のない「マヌカン(マネキン)」が描かれているものだ。

岡本唐貴《製作》(1924)

●古賀春江!
 キュビスムの古賀春江も展示されている! 《観音》は過去の展覧会の図録で見覚えがあった。レイヤー状の色面構成はキュビスム的だ。

古賀春江《観音》(1921) 

 こちらの作品も過去の展覧会の図録で図版を見つけた。あまり幾何学的ではないため分かりにくいが、ヴォリュームの操作からはキュビスムの言語を感じ取れる。
 それにしてもけっこう画風の変わる人だったんだな。ずっと試行錯誤し続けていたのだろう。

古賀春江《女》(1924)

●フアン・グリス!
 キュビスム第3の名手と言っても過言ではないのではないだろうか。創始者のピカソとブラックがキュビスムから離れてしまったのとは対照的に、フアン・グリスはずっとキュビスムを探求し続けた。ヴォリュームを解体されたモチーフたちは、画面上で非常に美しく再構成されている。

フアン・グリス《円卓》(1921)

●アルベール・グレーズ!
 もうとことん平面化を追求しているようだ。国立西洋美術館に展示されていた《収穫物の脱穀》(1912)と比較してみると、とても同じ人物が描いたとは思えないためおもしろい。(こちらの記事にも掲載している)

アルベール・グレーズ《二人の裸婦の構成》(1921)

●黒田重太郎!
 この作品も図版で見たことがあった! こんなところでお目にかかれるとは。パリでキュビスムの画家、アンドレ・ロートに学んでいたそう。

黒田重太郎《港の女》(1922)

その他

 キュビスム、シュルレアリスムには関係なさそうな作品をまとめてどうぞ。

●ピカソ!
 ピカソといえばキュビスムだが、これはカウントしないでおこう。こちらは「ミステリアス・ピカソ──天才の秘密」という映画の撮影中に描いてみせた作品だそう。よくそんな作品を購入できたな……。ミステリアスなのはピカソ自身もそうだがこの絵画もである。

パブロ・ピカソ《ラ・ガループの海水浴場》(1955)

●ルーチョ・フォンタナ!
 フォンタナ!!!! いつか観てみたかったんだ。今期のMOMATコレクションの情報はあまり仕入れないでいたため、まったく思わぬ出会いであった。視界に入ったとき本当に鳥肌が立った。
 深い緑とキャンバスに刻まれた亀裂は、観者を吸い込もうとしているよう。これは抹茶アイスの色だな。

ルーチョ・フォンタナ《空間概念・期待》(1961)

●ウィレム・デ・クーニング!
 デ・クーニングもあるのか! アメリカの抽象表現主義を代表する画家だ。美術館のキャプションによれば、彼の主要なテーマは「水」と「女性」であったらしい。水のような流動性を感じる筆致のなかに、ぼんやりと女性の姿が浮かび上がる。 

ウィレム・デ・クーニング《風景の中の女》(1966)

●ジャクソン・ポロック!
 ポロックまであるぞ! TRIO展とMOMATコレクションをあわせれば、ロスコ、デ・クーニング、ポロックとアメリカの抽象表現主義の大画家の作品を観ることができる!
 キャプションによればこちらは絵の具をまき散らすドリッピングに至る前、ピカソの影響を受けていた頃の作品だそう。不穏に歪んだ人物像、意味を読み取れない図形。知っているポロックではない彼の作品を観ることができてよかった。

ジャクソン・ポロック《無題(多角形のある頭部)》(1938-41)

椅子

 「なぜ椅子?」と思われたかもしれないが、これは先述したように倉俣の《Miss Blanche》を埼玉県立近代美術館で観ていたことに関係する。この美術館を訪れたことがきっかけで、設置されている椅子が目に入るようになったのだ。
 東京国立近代美術館内に置かれていた気になった椅子を3点ほど紹介する。なお「椅子の美術館」の話は以下を参照いただきたい。

●埼玉県立近代美術館で観た!
 こちらはTRIO展のいたるところに、スタッフ用として置かれていた椅子。「椅子の美術館」で観ることができた。シンプルながら可愛らしいデザイン。

アルネ・ヤコブセン《アント(蟻)》

●可愛い
 おそらく柳宗理によるデザインの《バタフライスツール》。シンプルで小さいが機能性は充分そうだ。腰かけてみるのを忘れてしまったな。

柳宗理《バタフライスツール》?

●和!
 こちらは剣持勇によるデザインの、「S-3○○○」という型番のつく椅子だと思われる。日本画のセクションに置かれていた。これも座ってくればよかった。

剣持勇《スツール》?

──MOMATコレクションおわり──

おわりに

 いや~、東京国立近代美術館ははじめて行ったのだけど、ものすごく充実していた! お目当てのTRIO展はもちろんのこと、MOMATコレクションも思わぬ出会いにあふれていた。両展示ともコンセプトがしっかりしていて、キャプションもあり分かりやすく、とても勉強になった。
 期間中にあと2、3回は行きたいところである。先述したように、前後期の展示入れ替えがあること、そして萬鉄五郎《裸体美人》も一時的に観られない期間があることはご注意いただきたい。
 それと次期のMOMATコレクションは、シュルレアリスム宣言から100年にちなんだキュレーションが行われるようだ。絶対に行かないと!

うおおお

 さて、本記事はひとまずここでおしまいとなる。東京都美術館、国立西洋美術館の感想は後日更新予定だ。ここまでおつき合いいただき、誠にありがとうございました。

関連リンク


2カ所目 東京都美術館


3カ所目(終) 国立西洋美術館



参考文献(刊行年順)

● 『キュービズム展』、東京国立近代美術館編集・発行、1976年
●『第19回 名作展 日本の立体派』、岡山県教育委員会・山陽新聞社ら、1980年
●『百頭女』マックス・エルンスト、巌谷國士訳、河出書房新社、1996年
●『シュルレアリスムとは何か』巌谷國士、筑摩書房、2002年
●『アジアのキュビスム 境界なき対話』、東京国立近代美術館/国際交流基金編・発行、2005年
●『日本におけるキュビスム─ピカソ・インパクト』、美術出版社編、読売新聞社/美術館連絡協議会発行、岩波書店、2016年
●『アーティゾン美術館 ハイライト200 石橋財団コレクション』、アーティゾン美術館編集・発行、2020年
●『キュビスム展─美の革命』、日本経済新聞社編集・発行、2023年
●『マリー・ローランサン─時代をうつす眼』、賀川恭子編集・執筆 、アーティゾン美術館発行、2023年
●『シュルレアリスムと日本』速水豊・弘中智子・清水智世編著、青幻社、2024年
●『マティス│自由なフォルム[カタログ]』、クロディーヌ・グラモンら監修、読売新聞社/国立新美術館発行、2024年
●『ブランクーシ 本質を象る』、石橋財団アーティゾン美術館編集・発行、2024年
●『TRIO パリ・東京・大阪 モダンアート・コレクション』、MAM/MOMAT/NAKKAの各執筆者、日本経済新聞社発行、2024年

 


 


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?